森林総合研究所報 電子付録

S2_AM04_01_trans-text

十和田国立公園地域

(十和田湖・八甲田山地方)

植生調査説明書

青森営林局植生調査係

(現代語訳:柴田銃江・川村志満子・設樂拓人・大橋春香・

小黒芳生・黒川紘子・佐々木雄大・米倉浩司・松井哲哉)


【現代語訳にあたっての注意】

 現代語訳にあたって、底本となる原本の構成や意味にできるだけ忠実になるように配慮した一方、文章表現は誰にでもわかるように、次のような修正を加えた。

(1)漢数字をアラビア数字に、 旧漢字を新漢字に置き換えた。

(2)意味を損なわない程度に、句読点を追加し、段落を区切った。

(3)最近では馴染みのない用語や難読漢字は、できるだけ現代語やひらがなに置き換えた。資料名称などの固有名詞は、新山ら(2020)に準拠して旧漢字を使用した。

(4)植物名称は、旧仮名遣いのひらがなを現代仮名遣いのカタカナに変更した。

(5)生物学的用語や地名は、歴史性に配慮して基本的に原本のとおりに表記した。

(6)人名、地名には[ ]のふりがなをつけた。人名については参考文献を検索しやすくするためできるだけ姓名を示した。

(7)歴史や地理、植物名称については、当該地域の現代の地質図や関連文献のほか、日本の野生植物図鑑類を参照しながら必要に応じて訳注も付記した。

(8)現在では差別用語にあたる単語については、歴史性と原著者の言いまわしを尊重し、そのまま記載した。

(9)誤字脱字や数値間違いが明白な文言には、適宜、訂正語・文を挿入した。

(10)翻訳に不安がある箇所(意味不明、訳語に不安がある、誤記が疑われるも確証がない単語や文言)については、訳注を付記した上で暫定的な翻訳をした。

(11)訳注は、本文では「※」の脚注、表中では表訳注として記載した。

(12)訳注やふりがなを付記した同じ用語が複数回出た場合、原則として二回目以降には付記しなかった。

(13)原本には、赤丸や赤線等が引かれるほか、赤字や張り紙による訂正が何箇所もあった。これらの追記者は不明だが、追記・訂正箇所が現代語訳版でもわかるようにするため、該当する語句や文章に適宜、印をつけた。

(14)原本に掲載されていた図表類については、その数値データを活用しやすくするため、できるだけ文字起こしをしたが、作業困難な場合は原本の画像ファイルを切り出して訳文の該当部分に貼り付けた。なお、それぞれの図表と本文との対応関係を明示できるよう、訳文では図表番号を付け直した。

(15)当該植生調査説明書に記載されていた植物名称と現代の名称との対応関係については、別ファイル「S3_新旧植物対応表_十和田八甲田(S3_AM04_01_sp-name.xlsx)」を参照のこと。




目次

第1章 緒言 (原本1頁に該当)

第2章 位置 (原本5頁に該当)

第3章 地形及地質 (原本9頁に該当)

第4章 気候 (原本21頁に該当)

第5章 植生研究経過の概要 (原本37頁に該当)

第6章 植生概況 (原本47頁に該当)

第7章 垂直分布 (原本413頁に該当)

参考書



第1章 緒言

  十和田国立公園部、すなわち、十和田湖・八甲田山の占める地域は本州の北端に近く位置し、植物分布学上において北海道に入ったオコック要素※1)やベーリング要素(小泉源一 植物学雑誌第33巻(202頁)[1919])の植物が、津軽海峡を経ていかに本州緒高山に現れているかの問題に付き、これを解決すべき最も重要な関門を抱いているのであるから、当地方の植物学的研究はかなり古くから種々の方面の学者によってなされた様子である。しかし、近来までに一括明示されたもの無く、我々林業に携わる者の不便が少なからずあったので、当局においては昭和10年3月「十和田湖・八甲田山の植物」を公にした次第である。その後、幸いにして国立公園地域の全般を実査する機会を与えられたので、今回収集し得た資料を基準とし、諸先輩の収集された資料を参考として本報告を取りまとめる事ができたのである。しかし、調査は万全を期したけれども到底完全なものといえない。いつの日か改訂補強さるべきであるのは言うまでもないが、とりあえずこれまでの材料を整理して本報告を作成することとしたのである。本報告は村井三郎、渡辺由規夫、桐山広一の3名によって実査取りまとめをなしたものである。本報告を作成するにあたり、東京帝国大学の牧野富太郎博士、佐竹義輔氏、前川文夫氏、伊藤洋氏、猪熊泰三氏、京都帝国大学の小泉源一博士、大井次三郎氏、北村四郎氏、田川基二氏、北海道帝国大学の秋山茂雄氏、須藤千春氏、東北帝国大学の木村有香氏、東京女子薬学専門学校の小泉秀雄氏、農林省林業試験場の柳田由蔵氏等の方々にそれぞれ御専門の高等植物の同定を煩わし、また、下等植物では蘚苔植物を仙台市の故飯柴永吉氏に、地衣植物を東京帝国大学の朝比奈泰彦博士、佐藤正巳氏にそれぞれ同定して戴いた。ここに謹んで深謝の意を表す。また、植物標本の借覧を許された東北帝国大学の吉井義次博士、齊藤報思会博物館の畑井新喜司博士、青森県師範学校の和田干蔵氏に対し感謝の意を表すものである。


第2章 位置

  十和田国立公園地域は青森県(陸奥国)の上北郡十和田村(旧称 法奥沢村[ほうおくさわむら])、東津軽郡浜館村(旧称 造道村[つくりみちむら])、横内村、荒川村、南津軽郡竹館村、秋田県(陸中国)の鹿角郡七滝村、小坂町大湯村等に跨り[またがり]、いわゆる十和田湖、八甲田山の全地域を占めるものであり、その面積は北緯40度23分ないし40度43分、東経140度46分ないし141度0分10秒に渡る地域である。この地域に入るには現在次のような道路がある。

1青森道  青森―横内-雲谷[もや]-茅野茶屋(県道)

2幸畑道  青森―幸畑[こうばた]―雪中行軍遭難者銅像(村道)

3七戸道  沼崎―七戸―八ケ田-八幡岳-田代(県道)

4三本木道 古間木[ふるまき]-三本木-法量-渕沢-燒山(県道)

5五戸道  尻内-五戸―金ケ沢-宇樽部(県道)

6毛馬内道 毛馬内―大湯―発荷峠-和井内(県道)

7小阪道  小坂―徳兵エ平※2)-鉛山峠-鉛山(町村道)

8温川道  黒石―温湯[ぬるゆ]―膳棚山※3)―子ノ口(県道)

9板留道  黒石―板留-大川原-酸ヶ湯(村道)

  これらのうち、現在省営バス・コース※4)として青森道から酸ヶ湯→猿倉→蔦→焼山→奥入瀬→子ノ口→休屋に出で、和井内(生出)において毛馬内道に合するものが最も良く利用されているが、三本木道もまたかなり良く利用されている。七戸道、五戸道、温川道なども道路の幅員を広げ、近き将来において開発されようとしている。また、当地域の面積的関係は全面積約41,400ヘクタールであり、その所有別面積は表1のとおりである。


表1 所有地別面積※5)

第3章 地形及地質

(I)地形

  当地域を地形上から見れば大体次のようにいえる。

  山岳の主なものは北に偏り北八甲田連峰、南八甲田連峰があり、両者を以て当地域の高山帯を形成している。北八甲田連峰はいわゆる八甲田山と称される部分を主体とするもので前岳(1,251.7m)、田茂萢岳[たもやちだけ](1,324m)、赤倉岳(1,548m)、井戸岳(1,550m)、大岳(八甲田大岳または酸ヶ湯岳と称され標高1,584.6mで当地域の最高峰である)、小岳(1,476m)、硫黄岳(古く石倉岳と称されたものの一部で参謀本部※6)5万分1地形図においては硫黄岳と石倉岳とを区別しているので、これに従う事とした。1,360.2m)、高田大岳(1,551m)等の八峰がそびえ立ち、また山上の諸所に湿原が散布しているので、湿原を田とみなし八耕田山から現在の山の名称が出たといわれている。この他いわゆる八甲田山に入らない山に石倉岳(地形図上のもの1,205m)および雛岳(1,240.3m)の両峰がある。これらの位置的関係は前岳、田茂萢岳、赤倉岳、井戸岳、大岳、硫黄岳、石倉岳がほとんど北から南に渡って一直線をなし、大岳―硫黄岳間から直角に東方に向かって、小岳、高田大岳、雛岳(前者からやや北東に偏る)が出ている。南八甲田連峰はこれらの南に接続して広く土地を占めているが概ね荒川、蔦川両河川のなす東西の一線がその境界線をなしているのである。これには逆川岳[さかさがわだけ](1,183.4m)、横岳(1,339.6m)、櫛ヶ峯(1,516.5m)、駒ヶ峯(1,416.3m)、猿倉岳(地形図には無名峰になっている標高1,353.6m)、乗鞍岳(1,449.8m)、蔦赤倉岳(地形図には赤倉岳となっている1,298m)等の諸峰がそびえ立って山中諸所に湿原が発達している。これらの他、山岳の主たるものには最北界の七十森山(885.5m)、その東南にある黒森山(1,022.6m)、十和田外輪山上の膳棚山[ぜんだなやま](別名御花部山[おはなべやま]または御鼻部山1,011.0m)、御子岳[おんこだけ](別名十和田山1,053.8m)、戸来岳[へらいだけ](三ツ岳1,159.4m)、白地山[しろじやま](1,034.0m)等の諸山がある。

  湖沼の主なものには言うまでもなく南に偏り、概形はほぼ円形で南岸に御倉[おぐら](または小倉)、中山の両半島が突出しており、湖水を西湖(内湖ともいわれる)、中湖、東湖(外湖ともいわれる)等に区分している。また、湖面のほぼ中央には御門石(ゴモンセキ)なる安山岩の小露出があり水鳥の好休憩所をなしている。蔦温泉付近には俗に「蔦の沼巡り」と称される程、小沼が散在しているが、蔦沼(蔦湯沼とも称される)を第一とし、長沼、重沼※7)これに次ぎ月沼、鏡沼、瓢箪沼等は小形である。これらを蔦から北―西南―東と各方向に巡って再び蔦に帰るのが「沼巡り」であるが、その順序は蔦沼→鏡沼→月沼→長沼→重沼→瓢箪沼である。該所に近く蔦赤倉岳の東麓に赤沼があり、これら7個はいずれも成因が堰止湖でありそれぞれ特有の風景を有しているので遊覧で訪ねる者が多い。これらの他亜高山帯以上のものに乗鞍岳西南の黄瀬沼[おうせぬま](別名太田沼)、逆川岳南腹の横沼[よこぬま]等があるが、いずれも流出口を有しない溜沼である。さらに各泥炭地間に散在する小沼池があるが、沼等は地形に関係が薄くあまり多数あるので省略する。

  河川の主なものでは十和田湖(子ノ口)から発する奥入瀬川が最も著名であるが、これは湖水自体が貯水池の様な作用をなして奥入瀬川に流出する水量をほぼ一定にするため、水は常に清浄をなし、また河床に散在する岩石上には蘚苔類のみならず時に樹木までも成立せしめて独特の景観を呈している。加えて周囲の森林は原始林の型を保存し、絶壁、瀑布が多く、幽邃[ゆうすい]の気を満喫せし得る所である。

奥入瀬川に流入する川沢には西方に尻辺川(地形図に「ソスペ川」または「ヒシッペ川」とあり)。小幌内川[こほろないがわ]、大幌内川[おおほろないがわ]、黄瀬川[おうせがわ]、蔦川等があり、東方に惣辺川[そうべがわ]がある。これらはいずれも浸食著しく両岸V字型の渓谷を形成している。また、西方には浅瀬石川上流部の寒川[ひゃっこかわ]があり、これも前同様V字渓谷を形成している。北西部には荒川上流部の荒川本流(酸ヶ湯の西南は城ヶ倉渓流と称する景勝の絶壁地である)、寒水[かんすい]沢、居繰[いぐり]沢等があり、これらはいずれも北八甲田連峰の西側から発している。

  北東部は駒込川上流部で、小川、湯ノ川、空川、鳴沢等の各沢に分かれており、北八甲田連峰の東北側から発している。しかも湯ノ川、空川の一部には俗称悪水※8)といわれる特殊な湧水があり、その成分は表2のとおりである。

  遊離硫酸は田代において湯ノ川と空川[そらかわ]の両所に湧出するが表3の様な差異がある。


表2 悪水検定表


表3 悪水湧出量


  現在はこれらのうち湯ノ川の分を薬湯原料として青森市内で利用している。また、この悪水に含有する多量の遊離硫酸のため駒込川は全長にわたり川魚類が全く生育し得ない現状にある。さらに該区の田代新湯以下の両岸は急峻でV字渓谷をなしている。

  台地および岱[たい]・平坦地 当地域の最低部は焼山部落付近における標高200m付近であるが、この標高によっても明らかなとおり標高の著しく低い平地または平野は全く望み得ない。いずれも台地または岱と称されている所のもののみである。北部から主なものをあげれば田代岱、毛無岱[けなしたい]、太田代[おおたしろ](大谷地とも称される)、黄瀬岱、米沢岱等がある。

  田代岱は駒込川上流部の両岸、北八甲田連峰の北東腹にある緩斜地で現在放牧地として利用されている。湿原が散在する。毛無岱は井戸岳の西腹にあって、中央を横断する急傾斜地によって上下の両部に分たれ、全部湿原である。太田代は別名大谷地とも称され、駒ヶ峯南方の南津軽、上北両郡界の尾根上にある緩斜地でほとんど全部湿原である。黄瀬岱は主として乗鞍岳ないし蔦赤倉岳間の南東腹、黄瀬川北岸にあり、内にV字渓谷を有する小沢が数条あるけれども、全体としてかなり広大な緩斜地である。ただし、人によってはさらに大幌内川、小幌内川、尻辺川の各急斜地を除いた大部分をも含める事がある。いずれにおいても後記“ブナ-トチ型”を主体としている。米沢岱は浅瀬石川上流部、寒川流域で沢沼への急斜地を除いた緩斜地の総称であり、黄瀬岱同様“ブナ-トチ型”によって占められている。これらの他、十和田湖畔には宇樽部、休屋、大川岱等に平坦地があるがいずれも湖水による水成二段丘上の平坦地である。

  当地域内の道路の内、主なものは次のとおりである(この名称は便宜上名付けた仮称である)

(1)省営バス・コース(県道) 青森→萱野→酸ヶ湯→猿倉→蔦→焼山→奥入瀬→子ノ口→休屋→生出(和久井)→発荷峠→大湯→毛馬内

(2)温川県道 黒石→温川→膳棚山→青撫山→子ノ口

(3)御花部県道 猿倉→黄瀬萢→太田代→膳棚山(御花部山)

(4)五戸県道 宇樽部→迷ケ平→金ケ沢→五戸

(5)七戸県道 谷地→田代沼→八幡岳→七戸

(6)田代林道 雪中行軍遭難者銅像→田代岱→七戸県道

(7)八甲田登山林道 酸ヶ湯→千人田→大岳→井戸岳→赤倉岳→井戸岳→毛無岱右→酸ヶ湯

(8)高田大岳登山林道 谷地→高田大岳頂上

(9)蔦沼巡り林道 蔦→蔦沼→長沼→重沼→蔦

(10)黄瀬岱林道 蔦→黄瀬岱→松見の滝

(11)黄瀬軌道 奥入瀬川(黄瀬土場)→黄瀬川→黄瀬岱

(12)乗鞍林道 黄瀬岱→黄瀬沼→乗鞍岳

(13)猿子沢林道 奥入瀬川(小幌内川)→猿小沢→青橅山

(14)津根川森林道 膳棚山→寒川上流部→藤沢森→滝ノ股川

(15)御子岳林道 宇樽部→御子岳(十和田山)→子ノ口

(16)五戸蔦林道 宇樽部→三つ岳下→アクリ坂

(17)十和田湖畔林道 子ノ口→青橅→滝沢→銀山→大川岱→鉛山→生出(和久井)

(18)十和田外輪山林道 宇樽部→五戸県道→甲岳台→発荷峠→鉛山峠→本山峠→米沢平

(19)滝ノ沢村道 滝ノ沢→米沢平

(20)鉛山村道 鉛山→鉛山峠


(II)地質

  当地域は十和田湖を有するので、その成因関係について明治20年代から諸学者により種々調査研究されたものらしい。ただし、我々の参考として得る文献では、これまで十和田湖に関るもので富田達氏の「十和田湖ノ地質」[天然記念物調査報告、地質鉱物之部、第4集(昭和5年)]があり、八甲田山のものでは農商務省、地質調査所発行は「青森図幅」「能代図幅」および「同説明書」(明治41年発行)があるくらいのものであった。

  ところが最近、東北帝国大学の岩石鉱物鉱床学研究室において当地域の完全なる調査研究がなされたので、同教室神津教授の御許可を得て、この所に添付する光栄を荷ったものである。直接調査研究に従事された方々の御芳名は次のとおりであるから、特記して満腔[まんこう]の謝意を表する次第である(地質図は別付する)

東北帝国大学 理学部 岩石鉱物鉱床学研究室

教授 神津 俶祐※9)[こうず しゅくすけ]

(調査当時学生) 広川 稔(八甲田方面)

(調査当時学生) 河野 義禮(十和田方面)

(調査当時学生) 三井 芳雄(十和田方面)


第4章 気候

  当地域の気候状態を精細に研究しようとするならば少なくとも次の4ヶ所のものを調べる必要がある。

1 八甲田山頂上付近(高山帯)

2 南・北両八甲田連峰の高地帯(亜高山帯)

3 十和田湖畔(山地帯)

4 焼山付近(低地帯)

  実際においては、残念ながらこれら各地の精細な記録を入手する事ができず、また、未だ誰もやっていないから、これら4者を明らかにするためできるだけ材料をこの区域内から求めたけれども、十和田湖畔休屋のものを除いて他はほとんど入手できなかったので、当地域の四方に散在する観測個所の結果を引用する事として大体を推定せざるを得ない。

  なお、各記録を記するにあたり注意を要すると思われる事は、気象学的因子が植物生育に及ぼす影響については冬季間と夏季葉緑時間とにおいて著しい差異のある事が否定できないので、月別表中に△印を付して冬季間を示し、葉緑時と区別する事とした。当地方における冬季間としてI、II、III、Ⅳ、Ⅺ、Ⅻの6ヶ月を選んだ(表4)。

高地帯の記録としては、八甲田山頂上付近のものは断片的なもの以外に入手不可能で除外せざるを得なかったが、亜高山帯のものとして酸ヶ湯のものは東北帝大調査のものを青年師範学校、和田千蔵氏を経て入手する事ができたがそれとて1年間の数値にすぎないので、平均数値とは差異がある事はもちろんである。


表4 酸ヶ湯における気象(昭和11年分)※10)

  山地帯は十和田湖畔休屋の記録を以て代表させるがこれとて湖水に近接した場所のものと他所とは自ら若干の差異はまぬがれない。

  低地帯は地域内における焼山、温川付近では観測していないので、当然区域外に求めねばならないが、焼山方面の上北郡を代表して十和田村法量の小沢口を選び、温川方面の南津軽郡を代表して黒石町農事試験場のものを選び、さらに東津軽郡に属する場所は青森測候所のものを選定してそれぞれ比較掲示する事とした。

  なお、各気象観場所の海抜は次の表5のとおりである。


表5 気象観測場所の海抜


1 気温

  気温に関する数字はいずれも月別累年平均値※11)であるが、

上北郡十和田村休屋のものは最近11ヶ年間の平均数※12)

同村 小沢口のものは最近10ヶ年の平均数

青森測候所のものは最近9ヶ年の平均数

南津軽郡黒石町のものは最近8ヶ年の平均数

等である。

  また、本調査における平均気温とは厳密なる意味の平均数ではなく上記4ヶ所ともに観測数値の明らかな午前10時の観測結果を用いたものである。したがって青森測候所の平均気温と同所の午前10時気温とは自ら差のあるは言うまでもない事である(表6)(図1)。


表6 気温(月別平均表 ℃)

図1 月別平均気温グラフ


  この結果によれば年平均気温において黒石(12.2度)、小沢口(12.0度)が最高で青森(11.0度)が中位、休屋(9.0度)は最低である。また最高平均気温最低平均気温の較差においては小沢口(11.1)断然最高、黒石(9.4)は中位、青森(8.9)休屋(8.4)が最低である。すなわち較差の大なることは大陸的気候を示すので、小沢口が最も大陸的な気候であり、黒石これに次ぎ、青森、休屋はともに較差少なく海岸気候を示している。休屋は各方面の海岸から最も遠い距離にあるにも拘らず海岸性気候である事は十和田湖の水蒸気による気候の緩和が顕著に現れているものである。


2 降水量

  降水量に関する数字はいずれも月別累年平均値があるが

休屋のものは10ヶ年間の平均数

小沢口のものは10ヶ年間の平均数

青森のものは9ヶ年間の平均数

黒石のものは10ヶ年間の平均数

  本調査においてもまた、青森を除いた他の3ヶ所の数値は前日の午前10時から翌日の午前10時までの数値なので、青森のものと結果を同じくするため午前10時限界降水量を用いたのである。この午前10時限界降水量は毎日の数値と自ら若干の差のある事は言うまでもない(表7)(図2)。


表7 降水量(月別平均表 mm)

図2 月別平均降水量グラフ


  この結果によれば、累年降水量において休屋(1,535.0mm)が断然多く、青森(1,225.0mm)これに次ぎ、黒石(1,054.5mm)、小沢口(1,003.4mm)が最低である。「降水量グラフ」によれば各場所共時期によりやや一定の減少度を示している様である。

  雨の多いのは8月と11月の両月。雨の少ないのは5月、10月、12月の3ヶ月である。3月は青森、黒石、小沢口の3ヶ所は同一の減少を示しているが休屋は反対に全く減少を示していない。その原因は種々あるであろうが同所は400mの高所であり、十和田湖を控えて、他の一般低地より著しく条件に差異を示しているので差異条件の総合結果によるものであろう。


3 風向

  風向に関しては前記の場所4ヶ所のものを、青森を除いて他は入手できなかったので、幸いにして入手し得た材料により

十和田湖は生出(和井内ともいう)の9ヶ年平均値

上北郡下は三本木町軍馬補充部支部の4ヶ年平均値

青森測候所のものは9ヶ年平均値

等のみ最多風向を調べ得た。もちろん青森におけるものは一日の平均値を基準としたものであるが他の両所は午前10時観測結果であるので、そこに若干の差異あるは逃れられないが大体の傾向は知り得ると思う(表8)。


表8 月別累計最多風向

  この結果によれば各地方により、それぞれ異なった常風を有しているがいずれにおいても冬季間と夏季葉緑時間ではそれぞれ異なり、それぞれ一定した風向を有するものと推察される。(以上、風向を除いた他の気候因子はいずれも青森県青森測候所より入手したもの)


第5章 植生研究経過の概要

  当地域における植生研究の経過を概見すれば、従来のものは八甲田山および十和田湖をそれぞれ独立した一地域として取り扱われているが、いずれにしても明治時代から大正の中頃に至る間を前期とし、以後、現在に至る間を後期として区別し説明をつけたい。

前期においては当地域に近接した地方に住居された、

・郡馬ふみ子刀自[とじ]※13)および同寛氏(当時酸ヶ湯温泉主の一人でおられた)

ウルバン・フォーリー氏(青森市浜町でカトリック教の宣教師をしておられた)

・木梨延太郎氏(青森師範学校教論をしておられた)

・佐藤蔀氏(当時青森営林局におられた)

・小井川元吉氏(八戸市におられた)

等の方々がそれぞれ植物を採集し研究されたのであるが、植物分類学的にただ名称の検定※14)に主力を注がれた。ただし、これらの方々の業績は不幸にも発表になっていない。

  東京方面の方々が当地域にて採集された結果は現在までに知り得たところで次の諸氏のものがある。当地域の植物を若干たりとも最初に世に紹介されたのは、現在植物系統学の大家として著名な池野成一朗博士であろうと思う。同博士は明治27年の夏、陸中、陸奥の山々を踏渉[ばっしょう]、踏査された際、八甲田山にも登山され、同年12月発行の植物学雑誌にその採集紀行略記を発表しておられる。当時は酸ヶ湯温泉も掘立小屋にすぎず登山道路も現在の様なものでなく、非常に難儀して大岳のみに登山されたものらしい。この報告は採集紀行なので、当山植物の採集案内の嚆矢[こうし]※15)となって後進者を裨益[ひえき]※16)する所が甚大であった。(高山植物8種の名称が記してある)

  次が仙台第二高等学校の教授をしておられ、高等、下等植物に精通した安田篤氏がおられる。同氏は明治38年の植物学雑誌上に「八甲田山植物採集紀行」を発表され、採集植物の目録を作られたが高等植物のみで43科132種を取りまとめておられた。これが当地域の植物を総括的に発表した最初である。同氏は明治35年8月中旬登山しておられるがこの当時はすでに酸ヶ湯温泉に郡馬ふみ子刀自および同寛氏がおられて宿舎等もやや完備した形になったらしい。

  その次が飯柴永吉氏である。同氏は蘚苔類研究家として有名であるばかりでなく、東北地方高等植物研究家としてもまた有名であられる。その発表は明治41年の植物学雑誌上に40科128種の目録(本目録は安田氏の目録を加減改訂されたのである)を編纂された。

  これらの他東京帝大や欧州の諸学者その他の方々が当地域産の植物に就て発表しているものがあるが1種ないし数種の植物に限られていた。

  ・後期は大正の中頃から、現在に至る間であるが、この間には植物分類学的研究から一歩抜きん出て、植物生態学的研究に次第に進歩して来ている。佐賀徳治氏(当時大館小学校におられた)が「掬帯[ぶなたい]としての十和田湖付近の植物」(大正15年)を発表され、植生研究の第一歩を踏まれた。その後、北海道帝大の舘脇操博士の「八甲田山の思い出」「八甲田山植物瞥見[べっけん]」(昭和4年)や東北帝大、吉井義次博士の「八甲田高山植物園と実験所」(昭和4年)がある。

  また、昭和3年から八甲田山酸ヶ湯付近に東北帝大高山植物実験所が開始され、所長吉井博士ご指導の下に、着々と八甲田山の植生研究が実施され、その結果は「東北帝大理科報告」「八甲田植物実験所報告」その他種々のものに発表され、特に、昭和5年、現広島文理大の堀川芳雄博士はThe vegetation of Mt. Hakkoda「八甲田山の植生」を発表されて当地域植生類別研究の指針を示された他、吉井博士、岡田博士、高松、神保、三浦、有川、元村、岡部、森田等の諸氏の研究業績が極めて顕著である。

  その他、種々の方々の業績があるかも知れないが一々これを列記すると煩雑になるのでやめて、当地域に関係した出版物を現在までに収集し得た材料に従い、年代順に列挙して見ればその変遷や研究業績が明らかとなるものと信じる。


池野成一朗 奥州地方植物採集略記(八甲田山の部).〔Bot.Mag.Tokyo.IX.502,(1895)〕

安田篤 八甲田山植物採集紀行.〔Bot.Mag.Tokyo.XIX.168-172,(1905)〕

飯柴永吉 東北地方植物目録.〔l.c. XXI.277,(1907);XXII.p196-198,(1908);365-366,(1908)〕

青森大林区署 八甲田山高山植物名(高山植物採集禁止に関する件).〔加除自在 青森大林区署,現行例規,377-381,(1921)〕

佐賀徳治 掬帯としての十和田湖付近の植物.〔個人出版,謄寫印刷,(1922)〕

舘脇操 八甲田山の思い出、八甲田山植物瞥見.〔”山岳”第22年,第1号,1-50,(1927)〕

青森営林局 十和田、蔦、八甲田 保護林.〔(パンフレット),(1927)〕

竹中要 十和田の植物.〔史跡名勝天然記念物 第3集,第1号-第3号,(1928)〕

佐藤蔀 東北地方の高山植物.〔”山林”第560号,(1929)〕

吉井義次 八甲田高山植物園と実験所.〔”実際園芸”臨時増刊 高山植物の観察と栽培号,(1929) 〕

青森営林局植生係 十和田、八甲田、下北方面植物目録.〔”青森林友”第172号,第174-176号,(1929)-(1930)〕

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第6章 植生概況

  植生、すなわち、植物群落生態学上の区分は学者によりその分類命名法を異にしているのであるが、当局においては群落を表示するにあたり主として優勢植物(主として優喬木)を列記して、これに参考として気候帯および垂直的地帯を冒頭に付記する事にしている。

  従来、当局において使用してきた当局管内植生類別に関しては、

・第1回施業案業務資料 69-73頁(昭和10年3月)当局発行

・管内要覧(昭和9年度分)185-193頁(昭和11年3月)当局発行

等に明記してあるとおりである。

  当地域の植生類別については説明の便宜上、その配列順序を全く変更してしまった。当地域の植物群落は植物群落区系上から総体的に見て「本州北部植生群落団」に属すべきものである事は言うまでもない。これが類別を記するにあたり従来の区分による群落符号を下段に並記して参考とし、さらに各群系、群叢、群落型※19)はそれぞれかなりの長編に渡るので、その目次20頁数を欄外最下端に記すれば次の表9のとおりである。


表9 本調査と従来の青森局における群系・群叢型の区分


1 森林植物(樹木)群系族 Lignosa

  十和田国立公園地域内の樹木の種類は極めて多種多様、複雑を極めているが、それら各種については「植物目録」を参照される事によって一目瞭然たるものがあると信じる。

  全ての植物、特に樹木は湿度その他の条件が完璧である場合は高湿地において種類が多数であり、反対に寒冷地においては種類が著しく減少し、極端地においては遂にその生育すら不可能となるといわれる。草木は樹木に比較して耐寒性大であるは言うまでもないが、極端地においては樹木と同様である。

  当地域内においては海抜高の最高は1,584.6mにすぎない。これを本州中部高山に比すればその半分にしか達していないけれども、これに比べて緯度が高い関係上「垂直分布の下降」があって、その頂上付近には樹木の生育し得ない場所をも生じているのである。しかし、正確に八甲田山の頂上付近を観察すれば、頂上付近においてもハイマツが生育している。この事から推察して最高点においてもなお、天然垂直分布の灌木帯中に止まるものであり、到底草本帯には達し得ない標高にあるといわざるを得ない。樹木の成林し得ない区域以下すなわち樹木の上昇限界以下においても喬木灌木を問わず各樹種に生育範囲の限界があり、それぞれ相異っている事は言うまでもないがこれらの精細は後記「7垂直分布」の項を参照されたい。


A 寒帯性、高山地帯、ハイマツ広葉樹灌木群系

Arctic Alpine regioni Pinus pumila - Broad-leaved Shrubs Form.

  これは高山の垂直分布において、いわゆる灌木帯と称される一帯に相当する群系である。高山垂直分布中で喬木性樹木が完全な閉植生を成立し得ない気候荒涼地帯、すなわち、森林限界以上、樹木限界以下を占めるものである。土地は全て岩塊、岩片のみでなく若干の微細分子をも含み、したがって樹木は相当の大さの樹幹を越年させるに足る水分を含有する場所ができるある。

  かかる場所に生育する灌木にも種々の種類があるが、これらの中でミヤマハンノキ、ナナカマド、ミネザクラ、ミネカエデの様な落葉(夏緑)広葉灌木や、ウスキシャクナゲ、シロバナシャクナゲ、アカミノイヌツゲの様な常緑(照葉)広葉灌木およびハイマツ、ミヤマビャクシンの様な針葉灌木等の3種の型があり群落生態学者によって種々意見を異にしているのである。そのうち、最も多いのがこれら広葉灌木と針葉灌木とを全く別個の群系として取り扱う意見である。したがって、その意見が至当かも知れないが当地域ではこれら灌木の占める区域が比較的僅少なので、他の営林局の分類や当局の従来の分類に従い一群の系と見做す事とした次第である。


Aa ハイマツ群叢

Pinetum. pumilae.

(Pinus pumila Association)

 ハイマツPinus pumila REGELは東北アジアにおいて最も良く針葉灌木を代表している著名な寒帯要素樹木である。

  北大、舘脇操氏によればハイマツの分布区域は北緯35度―70度、東経113度-180度間、すなわち、カムチャッカシベリア東部、ダフリアアムール、満州、朝鮮、および樺太、千島、北海道、本州北中部等に分布するもので該区域の針葉灌木を代表しているものである。その習性については「北日本高山および極北低地においては崩壊しやすい斜面、極端な懸崖地[けんがいち]、多量な積雪地や水湿地等の様な場所を除き、山側が安定しあまり強い風力の影響を受けず、しかも地形的条件の許す限りの場所に群落を構成しやすい。しかもなお、総括的に見て

(A)群落として純群落を構成しやすい事

(B)下層群落の発達は不良であり、時に全くこれを欠く事

(C)一般に矮性、匍匐性で著しき主幹を有し無い事

等の特徴を有している〔舘脇操 生態学研究、第1号(昭和10年4月) 〕。

  当地域における本群叢は安定した高山帯中で越年生の樹木の閉植生が発達する最上部に位置するものであり、ハイマツはよく根系を岩石、岩塊の裂嘴[れっし]に伸長し、かつ乾燥および風衝に耐える性質が甚大なので、山頂付近の瘠悪[せきあく]な岩石地にもかなり広い群落を構成している。

  当地域内の本群叢は北八甲田連峰、南八甲田連峰等、高山帯の各峰頭付近にのみ生育するものであり、これらは大体同標高以上の場所にのみ現出するからそれ以下の標高を有する部分を海と考え、佐伯氏(「秋田地方における高地植生と一般高山植物」4頁)がいわれた「海の無い小島」状をなして散在している。その主なものは北八甲田連峰における、田茂萢岳(Aa1,Aa2)、赤倉岳―井戸岳間(Aa3)、大岳(Aa4)、小岳(Aa5,Aa6)、高田大岳(Aa7,Aa8)、雛岳(Aa9)硫黄岳(Aa10)、地獄沼付近(Aa11)、南八甲田連峰においては櫛ヶ峯(Aa12)、乗鞍岳(Aa13,Aa14)等に発達し赤倉岳―井戸岳、大岳、小岳、高田大岳においてはほとんど全面を被覆して下層群落の発達を僅少ならしめている。またこれらの内には相当の面積に渡って繁茂し、登山者のいわゆる「ハイマツの海」を形成しているものもある。以下主なる群落関係についての植生状態を記述すると次のとおりである。

  ・Aa3赤倉岳(1,548m)―井戸岳(1,550m)間に渡るそれらの頂上付近を含む区域で総括的に観察すれば全て本群叢に包含されるのであるが、ただし、その中には後記高山草原(Ea)に属する種々の群落を含み、それらはいずれも小面積の散在で到底地図上で現し得ないもののみである。まずこのAa3を概見すれば、井戸岳頂上以北と以南とで差異のある事が認められる。すなわち、前者井戸岳頂上以北赤倉岳を含む区域のものは本群叢の極盛相に達したと思われるものであり、現在においては閉植生が次第に破壊されてハイマツ個体間で次第に間隙を生じ種々陽性高山草本や高山灌木類の侵入を見ている。すなわちその植相を見れば、灌木類ではハイマツ、ツルツゲ最も多く、それに、ナナカマド、ミネカエデ、ミネザクラ、アジサイノリウツギ、ミネヤナギ、ミヤマハンノキ等かなり多量に侵入しておりまたミヤマホツツジ、クロウスゴ、マルバシモツケ、ウスキシャクナゲ等の点生がある。草類階では下層群落の発達がかなり良好でミツバオウレン、マイズルソウ、ミヤマアキノキリンソウ、ミヤマワラビ等最も多く他にコケモモ、エゾイソツツジ、ヒカゲノカズラ、ウチワマンネンスギ、ミヤマスミレ、ヌイオスゲ、シラネワラビ等がある。

  これらの諸因子※20)と現状から推察してこの部は放置すれば次第にハイマツの間隙が大となるので、そこには当然種々のいわゆる高山植物の繁殖が期待できると思われる。

  後者すなわち井戸岳・頂上以南の南斜面すなわち井戸岳の大岳に面する斜面のものは本群叢の一途中相と理解するものである。現在においては未だ完全な閉植生に達しておらず個体と個体との間には若干の空隙を残してそこに種々の陽性高山植物を繁茂させている。ただし、閉植生に進む途中相としても現在は2通りの進行経過を辿りつつある事がみてとれる。すなわち、その一つは熔岩砂礫地にハイマツが次第に侵入繁茂しようとしている途中のものでかかる場合は砂礫地に高山草原内の砂礫地要素(EaⅡ)に属する数種の草本群落、すなわちイワギキョウ、イワブクロ、ヨツバシオガマ、ミヤマオダマキ、ミヤマクロスゲ、ヒメスギラン等の諸因子の発達が認められる。

  また、他のひとつは岩石が多く累積している場所にハイマツが次第に侵入し他種を駆逐せんとしつつある途中のもので、かかる場合は岩石の累積地に高山草原内の岩石地要素(EaⅠ)であるイワウメ、ミネズオウ、ガンコウラン、コタヌキラン、コメバツガザクラ等の諸因子の発達が認められる。

  これら高山草原中のEaⅠ・EaⅡ各要素が次第にハイマツにより侵入されつつある現状から考えていわゆる高山植物の繁殖を永く保続しようとすれば、宜しく代採もしくはその他の人為的方法により、ハイマツの繁茂を制限しなければならない(図3)。

図3 井戸岳頂上付近略図


  もし、放置するなら次第にハイマツに圧迫されて遂にいわゆる高山植物の群落は自滅の止む無きに至るであろう事は推知するに充分な事である。

  いたずらに高山植物の採取を禁止する事はそれ自体ハイマツの猛威を助長させる結果となるので、人為によりその猛威を抑圧する事は必要欠くべからざる任務である。もしまた放置して天然の植物界の変遷を極めんとすれば現状のままで良いのであるが、その際はいわゆる高山植物は数量および種類が次第に減少しなければならないから、むしろ、人為を加える場所と加えない場所とを厳格に区別して将来に供える事もまた良い方法と思われてならない。とかく、このAa3においては赤倉岳寄りの部分は井戸岳南面に比較してその発生年代が著しく古いものである事を植相の上から明言し得るのである。

  Aa4大岳頂上(1,584.6m)付近の本群叢においてもまた南斜面登山道付近と頂上三角点の局面―北面とでは自らその発生年代を異にしている。すなわち前者、南斜面は熔岩砂礫地をなしハイマツは未だ閉植生をなし得ず開植生のままその途中相なる事を明示している。その植相はAa3井戸岳南面と同様、高山草原の砂礫地要素(EaⅡ)を主とし、ハイマツはその下層群落としてミツバオウレン、イワカガミ、ツルツゲ、マイヅルソウ等を含有している。後者、三角点の両面―北面のものはAa3赤倉岳付近のものに類似し極盛相※21)に近い、下層群落のほとんど無い状態を呈するかその間隙に所々コケモモ、ガンコウラン、マイヅルソウ、コメススキ、ヌイオスゲ、タカネスズメノヒエ等の因子を含んでいる。

  これらの取り扱いについては、前者は登山道の傍であり攪乱される事が多いと思われるので、将来閉植生に近付けないためには充分、保護を加える必要に迫られている。後者は極盛相に近いものであるので、将来は人為的伐採その他の方法により間隙を大きくして、いわゆる高山植物の繁茂を助長させなければならない(図4)。

図4 八甲田大岳頂上付近略図


  Aa5小岳頂上(1,476m)付近における本群叢は頂上の南―西面に発達するものであるが大部分はAa3井戸岳南西面におけるものと同様である。念のためその植相を述べれば現在は未だ完全な閉植生に達しておらず途中相で各個体間には未だ若干の空隙を残している。

  その空隙は主として砂礫、岩石に富めるものでそこは高山草原の岩石地要素(EaⅠ)に近い、エゾイソツツジ、コケモモ、ガンコウラン、ミネズオウ、コメバツガザクラ等の小群落を介在させ、ハイマツの下層群落としてはツルツゲ、ミツバオウレン、ヒメイチゲ等の若干を見出せたのみである。

  この部の取り扱いはやはり、人為によりハイマツの猛威を制限しなければならないと痛感された(図5)。

図5 小岳頂上付近略図


  Aa7高田大岳頂上(1,551m)付近の本群叢においてはその発達極めて良好であり頂上から各尾根部(凸所)を辿って下降しているがその最低部は1,300m、時に1,200mにまで達し、南側の凹所においては次第に後記アオモリトドマツ群叢(Ba)に移行して、“ハイマツ―アオモリトドマツ型”なる一推移帯を形成している所もある。また、本区の現在の登山道頂上に近い1,500m付近は明治年間(年代は不明なるも恐らく明治30年前後になるだろう)に登山者の焚火により山火事のあった跡地であり、現在はコケモモの純群落のかなり広い発達によって明瞭にその区域が看取される。

  すなわちこのコケモモ純群落はハイマツ群叢の第二次的のものであるという事になる。これら2型を除いた他の大部は本群叢をほとんど極盛相に近い形態を有するものであり、その植相は大体次のとおりである。

  ハイマツはほとんど完全な閉植生をなし、その下層群落としてはツルツゲ、コハリスゲ、ミツバオウレン、マイヅルソウ等の若干を含み凹所には時にウスキシャクナゲ、マルバシモツケ、ミネヤナギ、コヨウラクツツジ等の小群落があり、ハイマツの閉植生が破れた部分の間隙にはコケモモ、エゾイソツツジ等を見る事がある。なお、登山道1,300m付近にミヤマビャクシンの混入が目立つ(図6)。

図6 高田大岳頂上付近略図


  このように本区の大部分はハイマツの閉植生がほとんど完全なので、その結果として他のいわゆる高山植物の発達が極めて僅少である。今後永年の放置により、ハイマツは次第に空隙を生じ高山植物の繁殖を見るであろうがむしろ人為により、その発達を速く進める方が、良結果となるであろうと思われる。

  なお、高田大岳においてはAa8の本群叢に属する特殊地帯がある。該所は高田大岳から東南の方向に発した尾根部で上北郡十和田村と東津軽郡浜館村との郡村界線上にあるもので、標高は1,160m―1,280m間にあたる所である。これは高山草原の岩石地群落(EaⅠ)に本群叢が侵入発達したもので岩石地要素に属するコメツツジ、マルバシモツケ等の灌木、コタヌキラン、イワヒゲ、ミヤマヘビノネゴザ、ホソバノイワベンケイ、ヒメスギラン、コメバツガザクラ、ムシトリスミレ、ユキワリコザクラ等の存在が特に目立っている。

  Aa9雛岳頂上(1,240.2m)付近の本群叢においてはハイマツ極盛相をすぎ周囲の群落となる広葉灌木群叢に次第に圧迫されつつある現状である。その発生の当初においては当然ハイマツ純群落をなし極盛相に向かって進行したものであろうが現在ではハイマツの極盛相の時期を過ぎ、標高の示す最後的極盛相すなわち広葉灌木群叢に向かって第二段の遷移を辿りつつある事を看取し得る(図7)。

図7 雛岳頂上付近略図


  その植相を見るに灌木は現在においてもなお、ハイマツが最も優勢であるが、それにチシマザサ、アカミノイヌツゲ、ミネヤナギ、イチイ、ナナカマド、ミネカエデ、ウスキシャクナゲ、アジサイノリウツギ、ミネザクラ、ミヤマナラ等を混じ、これらハイマツ以外のものの恒存度※22)もまたかなり大きい。草類階ではツルツゲ、ホソバノトウゲシバ、オノエガリヤス、マイヅルソウ、コケモモ等がみられる。

  Aa12櫛ヶ峯頂上(1,516.5m)付近における本群叢は上岳―下岳間の尾根部にかなり広い面積をなして、極めて良好な極盛相に達した群落を有するのであるが上岳頂上を除いて他の部分は国立公園地域外に相当するのである。その植相状態は省略するが頂上付近の次記植相により大体は推知し得られる事と思う。すなわちハイマツは極盛相に達して完全な閉植生をなしており、ただ同様においてチシマザサ、ミネザクラ、コヨウラクツツジ、ミネカエデ、アカミノイヌツゲ、クロウスゴ、オオバスノキ等の少量混入が認められる他、これらの混入する所には下層群落としてツルツゲ、シノブカグマ、ミヤマワラビ等の少量が認められる。

  Aa13乗鞍岳頂上(1,449.8m)における本群叢はその頂上付近の西斜面に発達するもので、その植相は櫛ヶ峯のAa12に極めて良く類似している。ただし、本区の所々には岩石が露出しておりその岩石上にはヌイオスゲ、コタヌキラン、シンノスギカズラ、コケモモ等岩石地要素のもののみが散生しており、ハイマツの下層群落としてはツルツゲがあるくらいのものである(図8)。

図8 乗鞍岳頂上付近略図


  Aa14は前者の東方にあり、アオモリトドマツ周縁の尾根部にハイマツの残存したもので、現在は“アオモリトドマツ―ハイマツ型”をなしているが次第にアオモリトドマツに圧迫され、遂にはこれと置換の型となるものと思われる。

当地域の“Aaハイマツ群叢”は大体以上のような現状を呈するのであるが北・南両八甲田連峰を通覧すれば前者は井戸岳、大岳の噴火の結果本群叢の発生が新しく、後者は前者に比較して発生の時代が古いという事をその地層および植相の上から明言し得る次第である。

  なお、ハイマツは個体的に著しく下降して生育する事があるが次のような事が認められる。

  (α)前伐群落の痕跡 これは過去においてその場所に繁茂を極めたものがその後、周囲その他の条件の変更によって他群落に圧迫され、現在ではほとんどその痕跡を残すにすぎない状態を呈するものであるがこの好例は前記、雛岳頂上付近のものの他、酸ヶ湯付近における現在東北帝大、八甲田植物実験所のある付近に見られる。この所は地獄沼の活動によって生じた付近の裸地に一時的に(すなわち二次林として)ハイマツ群を生じたものであり、現在は周囲の他群落から次第に圧迫されているか放置すれば将来は標高本来の群落たる周囲群叢(“Bcアオモリトドマツ―ブナ―ダケカンバ群叢”)に圧迫され、遂にはその姿を滅するものであろう事は当然の帰結と言わねばならない。もしも将来、永く現状を維持しようとすれば当然、周囲群落を人為的に制限し植生連続※23)を後退させる事が必要ではあるが標高の較差(ハイマツが安定している最低標高と本地との標高の差)が400mもあるので、永続させる事は困難であろう。念のため放置した場合の植生連続を推定すれば次のようなものと思う。

ガンコウラン―アカモノ↔ハイマツ―ガンコウラン(現在)↔ミネカエデ―ダケカンバ↔ダケカンバ↔アオモリトドマツ―ブナ―ダケカンバ(終局)

  (β)高層湿原とハイマツ 「湿原とハイマツとは群落推移にあずかる様な著しい関係にはなっていない」と舘脇氏(生態学研究第1巻第1号)がいわれたが当地域もその例に漏れない。湿原にハイマツが現れる場合は乾燥に傾きつつあるその周縁にチシマザサ、コバイケイその他の大形種とともに現れるか、さもなければ湿原中の小高く乾燥に傾ける所にチングルマ等とともに現れるかである。ただし、湿原はPHが酸性であり、植物にとって生理的乾燥地であるので、乾燥地を好むハイマツもあえてこの所に生活不能ではないのである。この湿原にハイマツの現れた型は上、下毛無岳、睡蓮沼、逆川萢、黄瀬萢、太田代等で見られる(図9)。

図9 睡蓮沼における群落模型


  なお、さらに本群叢に類似の針葉灌木群落には、当地域で他に次の3者がある。

(1)ミヤマビャクシン群落 Juniperetum Sargentii

  これは乾燥した岩石地に限って生育するもので、大岳、高田大岳においてはハイマツ群叢内に散在する岩石上、あるいはその付近に現われ、石倉岳、城ヶ倉においては岩質荒原(H)要素として懸崖絶壁に単純群落を形成している。

(2) ミヤマネズ群落 Juniperetum Nipponicae

  一般に乾燥地に現われる場合と湿原に現われる場合とがあるが当地域においては湿原に限られている。横岳頂上付近の湿原および黄瀬萢の両所にのみ生育するが当地域は本種の分布北限地帯という生育上の制限も受けている。

(3)ハッコウダゴヨウ群落 Pinetum Hakkodensis

  これは牧野、根本両氏著「日本植物総覧(昭和6年度)148頁に発表されたハッコウダゴヨウPinus hakkodensis MAKINOの主体とした群落であるが僅かに下毛無岱の下部に見られるにすぎない。本種は牧野博士の御意見に従えばヒメコマツとハイマツとの天然雑種にして樹幹は斜上するとしておられ、武田博士その他の学者は本種を否定しておられるのであるが、下毛無岱の現場について見れば、ハイマツが泥炭地に侵入、下とほとんど同一の環境に置かれている。ただハイマツおよびヒメコマツ両種の付近における分布状態を概見すれば生育場所より上の泥炭地にハイマツがあり、これは高山帯のものと連絡して上部に限って繁栄し、下部には途中を飛んで城ヶ倉渓流両岸の急傾斜地にヒメコマツがある。このような上部のハイマツ、下部のヒメコマツの中間地帯に生育する点から考えると、牧野博士のハイマツ、ヒメコマツ両種の天然雑種説も肯定し得られる所である。


Ab 広葉灌木群叢 

Broad laeved shrubs Association

Aestati fruticeta

  これは高山垂直分布の灌木帯において針葉樹灌木群叢を除いた他の全部の群落を包含するものであって広葉灌木林(群叢)と呼ばれる。しかも一般的な傾向から広葉樹は針葉樹より環境が好条件に恵まれていなければならないので、主として針葉樹灌木林の下部に発達するものといえる。

  当地域において、高山帯の広葉灌木として重要なものには、ミヤマハンノキ、タカネナナカマド、アカカンバ、ミネカエデ、オガラバナ、ミネザクラ、ミヤマナラ、エゾツノハシバミ、マルバシモツケ、アジサイノリウツギ、ウスキシャクナゲ、シロバナシャクナゲ、アカミノイヌツゲ等を挙げ得る。これらの樹種はよく岩塊の間に根系を伸長して自体を保持し、水分を吸収する能力があるから、傾斜の急峻な場所にも成立するのであるがこれを前記“Aaハイマツ群叢”に比すれば沢通りもしくは窪地等、比較的水分の多い場所に適応する。そのためしばしば広濶な高原的なハイマツ植生の間においても沢または凹所に沿って上昇現出するのを見受ける。

  上記各因子の内群落を構成してその遷移に重要な役割を演ずるものに次のような5個の群落型が認められる。


Ab I ミヤマハンノキ型 

Alnetum maximowiczii

(Alnus maximowiczii Community-type)

  ミヤマハンノキは従来Alnus fruticosa RUPRECHIまたは A. alnobetula fruticosa WINKLER等の学名の下に知られていたが、本邦産のものはこれらの学名を有するシベリア系のものに比較して葉が一般に丸味を帯びている点によって区別されるという意見からA. maximowiczii CELLIERが用いられる様になった。その分布区域は樺太、千島、北海道、本州北・中部および朝鮮等であり、類似種たるA. fruticosaA. alnobetulaをもあわせて一群とみなせば北極周囲に拡まる欧、亜、北米の寒帯に広く分布するものである。

  本種は一般的に見てミネヤナギ(Salix reinii)等とともにその郷土内においては裸地に一番初めに侵入してこれを被覆する裸地植生開拓者のひとつであり、その点でも明らかなとおり極めて乾燥地を好む特性を有しているのである。

  北日本を通じて本種の群落的性質を見れば、

(1)裸地に侵入してその地を被覆すればその生育によってその後に土地的条件が次第に良好となり他種の生育にも適する様になる。

(2)群落として純群落を形成する事が多いが他種と混交してもなお良好な生育を保ち得る。

(3)ひとたび純群落を形成する時は立地的(土地的)極盛相に達し、その後はかなり長年月後に環境の変化を招来するまで形を変じない。

(4)下層群落の発達はハイマツ等に比較して著しく良好である。

(5)一般に斜上性で著しい主幹をなさず、侵入初期のものは極めて矮小である。

等が挙げられる。

  当地域における本型はミヤマハンノキの特に著しく単純群落を構成しいる区域に限り摘出するものでそれには次のようなものがある。

八甲田大岳西腹1,300m―1,400m間、高田大岳の東南腹1,200m付近、猿倉岳―東側1,250m―1,300m間、戸来岳(三つ岳)西腹1,100m付近等がその著列である。

  これらのうち大岳西腹1,300m―1,400m間における本型の植相は次のとおりであり、他は大体これと同一であるので省略する。

灌木階のものはミヤマハンノキ全面を被覆してほとんど完全な閉植生に達しており、中に僅少のハイマツ、アカカンバが混入しており、草類階ではヤマハハコ、ウラジロタデ、ムツノガリヤス、コバイケイ、エゾウメバチソウなどが多数を占め、僅少のコケモモ、イワウメ、ヒメスギラン等がある。

  この状態により当区の遷移を考察すれば乾燥砂礫にハイマツと同時にこれと全く異なった環境に発生した、ミヤマハンノキが次第に繁茂して現在の閉植生をなすに至り、現在なお、残存乾燥地要素として僅少ながらコケモモ、イワウメ、ヒメスギラン等の小数が認められるから、さらに遷移を進めればこれらを圧倒してミヤマハンノキの極盛相に達する。しかも、さらに遠い将来においてはより陰性に富む種類の群落すなわち後記“AbⅢミネカエデ―ナナカマド―ミネザクラ型”等の様な群落型に遷移するものと思われる(図10)。

  なお、灌木帯要素ではないが亜高山帯に現れるヒメヤシャブシ型Alnetum pendulae (Alnus pendula community-type)も本型に類似の群落型である。

図10 八甲田大岳付近略図


Ab II アカカンバ型

Betuletum ermanii subcordatae

(Betula ermanii subcordata Community-type)

  当地域に生育するダケカンバ類には次の3種類がある。

(1)ダケカンバ Betula ermanii communi KOIDZUMI

(2)オオダケカンバ B. ermanii ganjuensis Nakai(B. ganjuensis KOIDS.)

(3)アカカンバ B. ermanii subcordata KOIDZUMI

  これらのうち、前両者は後記「B亜高山帯性、亜高山地帯、アオモリトドマツ―コメツガ―ダケカンバ群系」に属する要素として重要な役割を演じており、後者アカカンバだけを本群系に属せしめなければならない。

  竹中要氏によればダケカンバ類すなわちBetula ermaniiの一群は陽光生樹木であって高山の荒廃地の開拓者であるが多くの場合、植生連続により常緑針葉樹に侵入されて次第にこれと置換される。したがって針葉樹林の中に点在して余命を保つものも、次第に絶滅して針葉樹林の縁辺、殊に上部限界付近に僅かに帯状をなして残存するのである。しかし一度雪崩、山崩れその他の原因により樹林の破壊される時はその能力を発揮して迅速に群落を形成する。しかしそれはやがて他のより陰性な樹木によって次第に内部から蚕食[さんしょく]※24)されると言っておられた[日本高山植物概論35頁(1934)]。

  かかる特性を有するので、ダケカンバ類の群落は一般に動的群叢として取り扱われている所であるが前述の様にダケカンバ類が他種に圧迫されて縁辺、特にそれらの上部限界付近に狭い帯状をなして残存する場合はダケカンバ類本来の郷土※25)とも理解される様な安定した群落をなし、本来の極盛相に達し得るのである。

  この事は、東北地方各高山で実見される所であるが、当地域における調査の結果本群落はダケカンバ類の何種類と限らず上部に残り得るかというとそうはならない。上部に残るものは種類の上からアカカンバに限られている事を知る事ができた。したがって、前記竹中氏のいわれた事もダケカンバを種類的に細別して考えれば上部の残存する一帯のものは地域的に差こそあれ「某所では何種」という風に、一定しているものであるまいかとの疑問が持たれる。当地域においては次の各所に見られる。

  赤倉岳北腹1,300m付近、高田大岳北―東腹1,100m―1,400m間、硫黄岳頂上(1,360m)付近、横岳頂上北腹1,200m付近、猿倉岳東腹1,200m―1,300m間、乗鞍岳北腹1,350m付近等を挙げ得る。当地域においてはアオモリトドマツ上限界が意外に高所におよび明瞭にアオモリトドマツ帯の上にアカカンバ帯が残存するのではない。アオモリトドマツ帯の上部界付近にアカカンバの特に多い所が見出されるだけである。これらにおけるアカカンバは全て灌木状をなし樹高平均5m、最大直径20cmくらい、樹幹は弯曲して斜上特に匍匐状のものがある。以下植相状態を記するにあたりアオモリトドマツ帯の直上にあるものとその上部限界付近に介在するものとの両者をあげる。

  硫黄岳頂上(1,390m)付近における本型はアオモリトドマツ帯の直上にあたるものでありその植相は2.5m以上に上層をなすものは全てアカカンバで樹高は5-6m、ほとんど全面を被覆し、樹冠には間隙が多くて林下にかなり多量の陽光を射入せしめる。2.5m以下の灌木層ではチシマザサ(俗にネマガリダケと称す)全面を被って、ほとんど完全な鬱閉[うっぺい]をなし内に極少量のムシカリ、オガラバナ、チシマザクラを混入する。そうして地表草類(チシマザサ下層群落)にはツマトリソウ、コイチヨウランその他、2.5m以下のものの極小数が点在しているにすぎない。すなわち本区はアカカンバのほとんど極盛相に達したものともいえる様である(図11)。

図11 硫黄岳頂上付近略図


  乗鞍岳頂上(1,440m)付近の北側中腹における本型はアオモリトドマツ帯の上部付近に介在するものでありその植相はアカカンバが上層の全面を被い、チシマザサが林下の全面を被って完全な鬱閉をなし、それに混入する灌木には少量のミネカエデ、オガラバナがあり、地表草類ではイブキゼリ、コイチヨウラン、ハリブキ、ミヤマカタバミその他のものが極少量生育する。すなわち前者とほとんど同様な植相状態である。

図12 乗鞍岳頂上付近略図


Ab III ミネカエデ―ナナカマド―ミネザクラ型

Aceretum - Sorbetum - Prunetum

(Acer - Sorbus - Prunus Community-type)

  これは広葉灌木林のうちでAbⅠ―AbⅤまで5個に分類した群落型中最も雑然としたすなわち混入種類数の多い、またかなり種々の環境に渡って生ずる一群落である。

  本型内で最も恒存度の多いものは

ミネカエデ Acer tschonoskii ・オガラバナ A. ukurunduense

ナナカマド Sorbus commixta ・タカネナナカマド S. sambucifolia

ミネザクラ Prunus nipponica ・チシマザクラ P. kurilensis

等であるからこのうちミネカエデ、ナナカマド、ミネザクラの3種を代表種にしたものである。本群落型は各灌木群中またはアオモリトドマツ林の上部界付近に僅少ずつではあるがかなり普遍的に見出される。純群状をなしている最も著しい好例※26)は大岳南面の梯子登り(1,250m―1,450m間)、桜沼(八甲田清水の上部)(1,360m)付近等で見られるもので、その植相は前記6種の他チシマザサ、ミネヤナギ、ミヤマハンノキ、アカカンバ、アジサイノリウツギ、ハウチワカエデ、ムシカリ、イチイ等を混入した複雑な灌木層が厚い樹叢を形成して全面を被い、下層群落としてはミミコウモリ、サンカヨウ、ヅタヤクシュ、タニギキョウ、コバイケイソウ、オオバタケシマラン、タケシマラン、ヒロハノテンナンショウ、ミヤマチドリ、エンレイソウ、ゴゼンタチバナ、ミヤマスミレ、オオバキスミレ、ショウジョウバカマ、ヒメイチゲ、ショウジョウスゲ、イワキスゲ、ヤマソテツ、ミヤマメシダ、シラネワラビ等多種類があり、灌木階、草類階を通じて種類も量も豊富であり、したがって複雑な群落をなしている訳である。

  なお、本型の因子中ミネカエデは酸ヶ湯の900m付近に著しい純群落状をなして発達しているがこれは地獄沼付近の不安定地とともに第二次的の発達であり植生連続の進行につれ次第に周囲の安定群落たるアオモリトドマツ―ブナ―ダケカンバ群叢に移行するものと思われる。ただし、酸ヶ湯付近は遊覧客の豊富な所であり風致的に特異な状態をなさしめる必要があるから秋季の紅葉樹たるミネカエデを保護し、本来の群落たるべき“アオモリトドマツ―ブナ―ダケカンバ群叢”に移行する以前(すなわち現在より)周囲群落要素の侵入を人為的に妨害し絶えず退化の状態(すなわち現状)にあらしめる事が必要である。ただし、永久的にこれを持続せしめる事は不可能であろう。

  またミネザクラやチシマザクラが湿原の周縁に生ずる事がある、これは前記「ハイマツと湿原との関係」と同様、群落遷移に関係を有しない、ただPHの酸性な所にも生じ得る一実証にすぎない。その例は上下毛無岱、睡蓮沼、谷地等の周縁に認められる所である。


Ab IV ミヤマナラ―エゾツノハシバミ型

Quercetum keizo-kishimai - Coryletum brevirostriae Community-type※27)

  これは一般の標高から見て次記B群系に属する地域に発達するものであるが、その中でも風衝地、特に東風により風衝の激しい急斜地に発達する一群落型である。

  高山の垂直分布上灌木帯に属させるのは無理でB群系に属する風衝地のものと理解される方々があるかも知れないが、全て風衝地、岩石地の様な植物の生活に特異な条件を与える場所においては、遥か上部に出現すべき群落が特異条件に支配されて異常に下降出現する例は各地において実見し得る所であるから、その意味において周囲はB群系に属するものではあるが、A群系中の本群落Abに属するものとして不可なきものと考えられる。

  本型を代表させるべきものには次のように、

ミヤマナラ Quercus keizo-kishimai YANAGIDA

エゾツノハシバミ  Corylus brevirostris MIYABE

(= C. restrata AITON, var. brevirostris MAKINO et NEMOTO)

の両種がある。前者は本州北部の各高山灌木帯に✓※28)するものであり、後者は北海道の山地、本州北部の各高山灌木帯に分布するものである。この両者を主体とする群落はチシマザサを供って次の各所に発達している。

  赤倉岳北側の東斜面1,200m付近(AbⅠ)、高田大岳東―北側の東斜面1,100m―1,200m間(Ab5)、横沼上部の東南斜面1,200m付近(Ab10)、駒ヶ峯北側(逆川各合流沿い)の東向斜面1000※29)m―1,200m間(Ab11―Ab17)等が主なものでいずれも東斜面をなし、東南による風衝状態をいかんなく発揮している。ただ例外的に上毛無岱―下毛無岱間1,100m付近および黒森山頂上(1,000m)付近においては西―北西向の斜面をなしている。ただし、これら各所を通じ本型の発達する場所はいずれも冬季積雪期において例外なく優大な雪庇を形成し積雪量は他所に比べて著しく厚大な場所のみである(図13)。

  これらにおける植相は横沼付近のものを例にとれば灌木階のものはミヤマナラ、エゾツノハシバミ、チシマザサ最も優勢である事は言うまでもないが他にミネザクラ、アカミノイヌツゲ、ミネカエデ、ヒメヤシャブシ、ミネヤナギを混入し、草類階ではカラマツソウ、グンナイフウロ、イワカガミ、ツルシキミ、イワナシその他のものを混入している。

  他区のものもこの状態と大差ないので省略する。

図13 逆川岳より駒ヶ峯北腹に至る略図


Ab V アカミノイヌツゲ―ウスキシャクナゲ型

Ilexetum - Rhododendretum

(Ilex sugerokii - Rhododendron fauriae Community-type)

  これは石南科※30)灌木群系すなわち石南科乾原(EaⅠ高山草原の岩石地植物群落)に属すべき要素とするのが穏当かもしれないが石南科乾原はガンコウラン、コケモモを始め、その他の矮小灌木を主要因子とするものであり、大形灌木因子は重要な役割を演ずるものではないとされている。すなわち、大形灌木としてアカミノイヌツゲやウスキシャクナゲその他の種類は、本来は石南科乾原の因子たるべきものであったが矮小灌木よりは高い空中で生活しなければならないので、適応により現在ではより生活条件の恵まれた安定した場所にのみ制限される様になったものと思われる。本型は広葉灌木林中での常緑(照葉)広葉灌木林を代表させるべきものである。

  本型を代表させるべき種類には

アカミノイヌツゲ 

Ilex sugerokii MAXIMOWICZ

ウスキシャクナゲ

Rhododendron fauriae FRANCHET

シロバナシャクナゲ

R. fauriae rufescens NAKAI

等があるが、第1者は北海道と本州北、中部のみに分布するもので東北地方全般から見ればブナ帯上部から灌木帯にわたり乾燥した尾根通りや風衝の激しい場所等に多く生じ単純群落を形成する事もある。

  第2者も北海道と本州北、中部のみに分布するもので東北地方においてはシャクナゲ類中最高所に生じ純然たる灌木帯因子をなしているのである。

  第3者は北海道、本州北、中部および朝鮮に分布するものでアカミノイヌツゲと同様ブナ帯上部から灌木帯にわたり乾燥した尾根通りまたは風衝の激しい所等に多く生ずる。ただし、ウスキシャクナゲに比較してやや低所に生ずる性質がある様に観察される。

  これら3因子中、東北地方全般から見ればアカミノイヌツゲとシロバナシャクナゲとは灌木帯以下においてはほとんど同一の環境に生育し混交する事が多いがまたそれぞれ独立の単純群落を形成する事もある。ウスキシャクナゲは灌木帯内において群落を形成する事が多く時にアカミノイヌツゲと混交する。したがって、灌木帯に所属する点から見れば“アカミノイヌツゲ―ウスキシャクナゲ型”(Ilex sugerokiiRhododendron fauriae)となるが、より低所に発生した場合は“アカミノイヌツゲ―シロバナシャクナゲ型”(Ilex sugerokiiRhododendron fauriae rufescens)となるのである。要するに灌木帯という極限された一帯のみを考えずに、これら類似種の生育する区域を総括的に見た場合、ウスキシャクナゲとシロバナシャクナゲとは同一種Rhododendron fauriaeに包含されるものとなし、Ilex sugerokiiRhododendron fauriae Community-typeとなし、名称は“アカミノイヌツゲ―ウスキシャクナゲ型”としても“アカミノイヌツゲ―シロバナシャクナゲ型” としてもいずれでも良いと考えた方が穏当でありまた好都合である。当地域においては本型を灌木帯要素中で記したから、便宜上ウスキシャクナゲを主体として“アカミノイヌツゲ―ウスキシャクナゲ型”となしたのである。

  前記のとおり本型の主たる発達区域は灌木帯下部付近からアオモリトドマツの上部限界付近の林縁を経てアオモリトドマツ林内の風衝地までも現れているから、当地域ではアオモリトドマツと合して“アオモリトドマツ―ウスキシャクナゲ―シロバナシャクナゲ型”をなすものが多く、しかも、B群系に属する“アオモリトドマツ単純群叢”において、主として上半部、特に凸所をなし土地乾燥して風衝状態その他の生活条件悪い場所には各所に現れる群落型である。特に著しい好例として挙げ得るものには、井戸岳の西腹1,300m付近、大岳の周囲1,300m付近および西腹1,100m付近(上毛無岱と下毛無岱の間)、高田大岳南側1,000m―1,400m間付近、駒ヶ峯―猿倉岳(標高1,353.6m)間の北側1,200m以上、猿倉岳東側猿倉萢付近の1,000m―1,100m間、乗鞍岳北側1,200m以上等の諸区がある。これらを全般的に見た植生は、灌木階以上のものにアオモリトドマツ、ウスキシャクナゲ(時にシロバナシャクナゲ)、アカミノイヌツゲ、チシマザサ、ミネカエデ等最も多数を占めるはもちろん、さらに恒存度の多いものにはオガラバナ、コヨウラクツツジ、ナナカマド、ミヤマハンノキ、アカカンバ、ハイマツ等があり草類階のものではマイヅルソウ、ツルリンドウ、ミツバオウレン、シノブカグマ、ミヤマカタバミ、ホソバノトウゲシバ、ツルアリドオシ、タケシマラン、イブキゼリ、コイチヨウラン、ヤマソテツ等が多い。これらのうち灌木にハイマツの混入する事のあるのは当然「前代群落の痕跡」と認むべきもので、これによっても本型の発達する区域は生活条件の悪い乾燥性で風衝性が大である事を推定する事ができると思う。

  なお、当地域においてアカミノイヌツゲが純群落を形成する事はほとんど認められないが特に著しく発達しているのは酸ヶ湯、東北帝大植物実験所付近900m―1,000m間、黒森山北西面頂上付近1,000m―1,020m間、御子岳頂上付近1,000m―1,050m間、三ツ岳(戸来岳)西斜面1,000m―1,040m間等を挙げ得る。

  ウスキシャクナゲ、シロバナシャクナゲ等が特に良く発達している場所は、Aaハイマツ群叢とBaアオモリトドマツ単純群叢との接触点付近、特にハイマツ群叢の周縁に多く発達するものであって、赤倉岳―井戸岳、大岳、小岳、高田大岳、硫黄岳、横岳、櫛ヶ峯、乗鞍岳、蔦赤倉岳等の各斜面において良好な発達が認められる。

  以上のように本群叢に属する各群落型について説明を付したけれども、これらは便宜上の分類にすぎない。

  これら各群落型はそれぞれ群叢となるべきものであり、Abとなした広葉樹灌木群叢は広葉樹灌木群系となり、また、Aaハイマツ群叢は針葉樹灌木群系の一群叢となせば穏当なるものであろう。すなわちAとしたものはAaとAbとに二つの群系に分れ、Aaにはハイマツ群叢がAbには上記AbⅠ―AbⅤの各群叢がそれぞれ属するとなすものである。このような方法は、従来理学者間において数々用いられて来たものである。

  本調査においては気候帯や垂直帯を合わせ考えた際、いずれも面積こそ小さいとはいえ、当然前述のとおりにすべきと思われたけれども、従来の他営林局植生係および当局分類に従い便宜上この様に取りまとめをなした次第である。


B 亜高山帯性亜高山地帯 アオモリトドマツ―コメツガ―ダケカンバ群系

Subarctic subalpine region; Abies - Tsuga - Betula Formation

  これは高山の垂直分布においていわゆる針葉喬木帯と称される一帯に相当する群系であり、当地域においてはアオモリトドマツによって代表されている。この帯の上方にはハイマツや広葉灌木を主体とした前記A群系(灌木帯)が発達しており、下方にはブナを主体とした後記落葉喬木林(夏緑喬木林)が発達している。これを水平的に見れば東北地方および北海道の南半は温帯林であり落葉喬木としてブナ林によって代表され、北海道の北半、南千島、樺太の南半は亜寒帯であり、垂直的に見た亜高山帯とほぼ同一義に理解して不可ない所とされている。

  この帯の特徴は針葉喬木が最も旺盛な生育をなす事でこれがその別称の出た原因である。ただし、この中に下方落葉喬木林から上昇して来たブナやダケカンバ等の落葉性広葉喬木を混入する所があるがこれらは本群系の下方に多く発達しているものである。

  本群系全般として、当地域においては海抜高900m(時に800m)から1,400mに至る間に発達しており、この区域は年平均気温6.5度以下1月における平均気温零下5度以下にあたる事となっている。殊に冬季間は土壌凍結するため植物は水分の吸収困難となるので、水の通発量の少ない性質ある樹木でなければ森林植生を形成する事ができない状態にある。このため本地帯には主として葉の最小厚質な針葉樹類最も良く繁栄するに反し、広葉樹としては良く乾燥に耐え得るカンバ類その他小数の落葉樹が多少針葉樹と混交し、あるいは極部的に単純小群落を形成するにすぎない状態にある。当地域の針葉喬木を代表するものはアオモリトドマツただ一種であるといっても不可ない程、この種は当地域特に南北両八甲田連峰を通じて普遍的に生育する重要因子である。

  アオモリトドマツAbies mariesii MASTERSは、本州北部の針葉喬木林において最高所を占めるものの内最も広く分布する著名な亜高山帯要素である。本種にはオオシラビソ、オオリュウセン、オオシラベ等の異名があり、本州北中部の特産種でその和名の示すとおり青森すなわち八甲田山における本種の存在は当地域から引離す事ができない程重要性を多分に含んでいるがその分布区域を調べて見ると案外、南は本州中部高山たる富士山、赤石岳、御岳、白山の線まで達しておりその線を南限界としている事が解る。当営林署管内では南から蔵王山、岩手山、八幡平および早池峰を経て青森県に入り八甲田山に姿を現しており、八甲田山は本種の分布北限界にあたるのである。

  すべて植物の各種類にはそれぞれ一定の郷土(分布区域)があり、中心郷土において最も生長旺盛であり、それから南方、あるいは北方に遠ざかる事が甚だしい程その生長が次第に減退するものがある事を原則としている。したがって、当地域の本種の林況を述べる前にまず他産地の林況を挙げて参考たらしめる必要がある。中心郷土すなわち福島県吾妻山付近の最適地においては平均樹令200年、樹高は25-35m、直径は2-3mに達する大樹幹をなし、各樹は密生して鬱蒼とした大密林を形成し林下には中層林を欠き地表群落は極めて陰性な植物ばかりで種類も量も極めて僅少である(早池峰北腹のものも大体これと同様である)。

  また南限界付近すなわち御岳、白山等のものは標高2,600mの高山帯において他の針広の灌木と混交し、5-8mの樹高に達する生育をなすにすぎない(ウイルソン Coniferous and Taxads of Japan) 翻って当地域においては南、北両八甲田連峰を通じて900m時に800m以上の地帯を占め本種一種のみの広大な占居面積を有し、針葉喬木林を代表している。しかし、前述のように八甲田山のアオモリトドマツは分布の北限界あたっているから、その事は当地域ではアオモリトドマツの生長が非常に制限されているという事になる。したがって、当地域では広大な面積を占めて生育しているけれどもその樹木が生長を制限されて中心郷土において見る様な鬱蒼とした大森林を形成する事がない。

  当地域の針葉喬木の群落にはアオモリトドマツを主体とした以下述べる様な種々の群落単位が認められるが、本群系に属する各群落を通じてその遷移を考えて見れば北海道におけるアカエゾマツ、エゾマツ、アカトドマツ、アオトドマツのように、また本州中部地方におけるトウヒ、シラビソ、アオモリトドマツ、コメツガ、ウラジロモミ、ハリモミ、カラマツその他のように群落遷移にあずかる種々の種類的要素を含んでいないので、“某種の次に某種が来る”等という種類的遷移は到底望み得ない。

  当地域のアオモリトドマツ林は、その間隙[かんげき]に全面的にチシマザサ群落を伴っているか、そのチシマザサ群落中に稚樹の侵入があってその稚樹がチシマザサ群落を圧してアオモリトドマツ林となり、この林が再び破壊すればチシマザサ群落は侵入となりこの関係を循環している(a表の如し)。すなわち当地域においてはアオモリトドマツの成林によってその個体的の場所だけチシマザサを圧倒してしまうが、全面的には常にチシマザサの周囲に伴うものである。ただし、雪崩その他の原因により土地が露出すればダケカンバの侵入があり、“ダケカンバ―アオモリトドマツ―チシマザサ型”の形を経てまた元のアオモリトドマツ林に帰る(β表の如し)。その後は土地安定の結果、α表の変化を辿るものである(表10)。


表10 植生変化の経路


本群系に属する群落系を細別すれば次の如し、

a アオモリトドマツ単純群叢

  Ⅰ アオモリトドマツ―チシマザサ型

    (乾燥性型単純群)

  Ⅱ アオモリトドマツ―モンゴリナラ型

    (湿性型矮小群)

b アオモリトドマツ―コメツガ群叢

  Ⅰ アオモリトドマツ―コメツガ型

  Ⅱ コメツガ型

c アオモリトドマツ―ブナ―ダケカンバ群叢

d ダケカンバ退化的群叢

  Ⅰ ダケカンバ型

  Ⅱ ウダイカンバ型

  Ⅲ シラカンバ型

e チシマザサ退化的群叢


Ba アオモリトドマツ単純群叢

Abietum mariesii

(Abies mariesii Association)

  これは針葉喬木林の中心に相当するもので当地域においてはアオモリトドマツ一種のみにより構成されている。これを東北地方以外の南北両地における針葉喬木林の中心と比較して見ると、南方日本アルプス付近においてはアオモリトドマツ、シラベ、コメツガ、トウヒ等の各種が良く混交して次第に下方に落葉広葉樹林に移行し、また上方においては樹形は矮小となり、次第に上方ハイマツその他の灌木群落に移行する前提となっている(東京営林局調査による)。

  また北方北海道特にその中央付近においてはアカトドマツ、アオトドマツ、アカエゾマツ、エゾマツ等を主体林とし(南方高所にはヒメコマツを混入する所がある)下方から“トドマツ―広葉樹型”、“トドマツ型”、“トドマツ―エゾトドマツ型”、“エゾマツ型” 等の群落型をなすといわれている。これらのうち“トドマツ型”から“エゾマツ型”に渡る広範囲が本帯の中心をなすものであろう。

  当地域において本群叢に属する群落型には次の3型がある。

Ⅰアオモリトドマツ―アカミノイヌツゲ―ウスキシャクナゲ型 アオモリトドマツ中で森林限界線以上に生ずるものは樹高小さく灌木状をなしているが、混入因子は灌木帯要素のもの多く、“AbⅤアカミノイヌツゲ―ウスキシャクナゲ型”にアオモリトドマツが侵入して混交群落をなしたものと見られ、全体としては灌木群落の感をなしている。この型はBa群叢中の風衝地凸地等にも認められる。これはAbⅤで大体を述べたので本群叢では省略する。

Ⅱアオモリトドマツ―チシマザサ型 風衝に傾かない乾燥地性で本群叢中最も広く分布する一般型である。

Ⅲアオモリトドマツ―モンゴリナラ型 泥炭地の周縁または泥炭地の乾燥せる場所に多いもの、すなわち本群叢に属する湿性地型のものである。

  これらのうちⅠ型はAbⅤに一致するものとして省略するので、Ⅱ型、Ⅲ型をそれぞれⅠ型、Ⅱ型として述べる事とする。


Ba I アオモリトドマツ―チシマザサ型

Abies mariesii - Sasa kurilensis Community-type

  当地域においてアオモリトドマツが純林状をなす場合は、前述のようにアオモリトドマツの分布北限地という生育上の制限を受けて各個樹の生長は甚だ緩慢であり、林地の完全に被覆する様な良好な樹形を形成する事がない。すなわち個樹は樹高大略8-12mであり散生もしくは帯状に群生して周囲はほとんど完全にチシマザサ(ネマガリダケともいわれる)の群落によって極端に厚く覆われる。

  本型の成立状態を観察するに、アオモリトドマツの種子が地上に落下して発芽した際一年生稚樹となれるものは極めて多数に種々の条件の下に認められるが、これが年数を経るにしたがって次第に枯死し、20cmくらいに達したものは稀となる。現在これらの発生個所を見るのは母樹の個樹々冠内、もしくは母樹帯状群内の樹冠内等に比較的多数認められる他、さらにチシマザサ群落内の林床にもまたかなりの数が認められる。

  個樹樹冠内や帯状群樹冠内のものは、母樹すなわち上木の枯死または風衝によってのみ生長を持続し得るので、被覆が永年に渡る時は極めて委縮した形態をなし母樹の排除を待っている状態であり、甚だしい場合にはこの期間中に枯死する。チシマザサ群落下のものは密生するチシマザサのため、その林床のアオモリトドマツ稚樹はその樹叢突破を目指して生育を続けている。樹叢を突破するには立地状況により差はあれ、少なくとも50-70年を要するものであるからこの間に枯死するものが大部分にあたるといっても過言でなく、発芽から樹叢突破までに何%くらい枯死するか、恐らくは突破し得るものは1%にも達しないものと思われる。

  ただし、一旦チシマザサの群叢を突破し得たアオモリトドマツは急に陽光に恵まれて、急速に生長を続け平均樹齢200-250年に達して寿命を終り枯死する事となり、現在所々に立枯木または風倒木(立枯の倒れたものが多い)が多く見られる。このように成林の初期において被圧されている事はアオモリトドマツの稚樹がいかに耐陰性の強いものであるかを明示するもので、この点早田、武田両博士が富士山で研究された針葉樹群落の遷移にあたって最終的に現れる最も耐陰性の強いものとして、アオモリトドマツを挙げられた事と結果において一致したものといえる。かかる状況は標高1,000-1,400m間の区域を占めるもので、南北両八甲田連峰を通じてその高所一帯がこの標高に相当しているので、その大部分がこの林況にあたるともいえるのである。これは当地域における針葉喬木林の最も基準的な型をなすものであるが、ただし、中心郷土方面における基準型に比較して著しい差のある事は見逃す事ができない。

  本型の重要要素たるチシマザサは、Sasa kurilensis MAKINO et SHIBATAと称されるものの内その基準型たるS. kurilensis var. genuina NAKAIに相当するもので本群系中に産するササ属中の他の因子は頻度少なく重要要素とはならない。したがって、本州北部を通覧した結果、このチシマザサの基準型が標高最高部のササ群落を代表するものであるといえる。このAbiesSasa型は当地域以南の諸地方では広大な発達を希待し得ないけれども、北海道においてはこの型の一種として“トドマツ―オクヤマザサ型”および“エゾマツ―チシマザサ型”なる形を現わし、北海道北半に普遍的に見られる型をなすのである。

  当地域の本群落型は森林施業上から見れば上述のように生長が緩慢なのであまり有利な林地ではないが、風景的には最も幽邃[ゆうすい]の気を満喫し得る場所である。また植物学的に見ても亜高山帯要素なので、平地要素と異なり珍稀な種類を多産するから植物研究家にとっても好採集地であるは言うまでもない。この森林の好例として挙げ得るものでは、県道(バス・コース)沿い付近においては硫黄岳西南斜面や荒川上流部を越した対岸の駒ヶ峯―櫛ヶ峯-横岳間の北斜面上部に純群落が見られ、また、八甲田登山道では井戸岳下―毛無岱間等認められる。

  本型の発達する区域は前岳頂上付近(1,100m以上)、田茂萢岳(1,100m以上)、赤倉岳―井戸岳(毛無岳では1,000m以上)、大岳(1,100m以上)、小岳(1,100m以上)、高田大岳(時に900mまで下降する事あり)、硫黄岳(1,000m以上)、石倉岳(1,000m以上)、駒ヶ峯(1,000m以上)、乗鞍岳(1,100m以上)等があるが、ただし、その上部頂上付近は前述の他の群落により占められる場合が多い。

  北八甲田連峰における植相を述べれば、井戸岳西側1,300m付近においては、優喬木はアオモリトドマツただ一種密生せずに各個樹の間には若干の間隙がある。灌木階ではチシマザサ極めて優勢でその間に混生する種類にはナナカマド、ミネカエデ、アカミノイヌツゲ、コヨウラクツツジ、ムシカリ、ムラサキヤシオツツジ、オオバスノキ、ヒメモチ、ツルシキミ等があるが、いずれもその量は僅少である。これらのうちにはAbⅤの要素を多数混入しているのを見るが、それは場所的に風衝を受けている所で上部にAbⅤの群落を有するので、その下降を見たものであると思われる。草類階にはヤマソテツ、ゴゼンタチバナ、マイヅルソウ、ツルリンドウ、ツマトリソウ、ミツバオウレン、シノブカグマ、ホソバノトウゲシバ、イワカガミ、イワナシ、ツルツゲ等を多く混入している。これもやはりAbⅤ要素の混入が認められる。

  小岳―仙人平間の標高1,350m付近では優勢木はアオモリトドマツ一種で前者と同じ型であり、灌木階はチシマザサ全面を被覆して猛威を逞し、混入因子にはコヨウラクツツジ、ムシカリ、ツルシキミ、ハリブキを伴い、草類階ではヤマソテツ、コミヤマカタバミ、ウスバスミレ、コイチヨウラン、ホソバノトウゲシバ、マイヅルソウ、ツルツゲ、シラネワラビ、ミツバオウレン、ツルリンドウ、ミヤマフタバラン、コギンリョウソウ等が多数を占めている。この型が本型の最も基準型に近いものと思われる。

  硫黄岳西側1,200m付近においては、優勢の木はアオモリトドマツ一種であり前者とほとんど同一型であるが場所により小群状にアカカンバを混入している所がある。灌木階ではやはりチシマザサ断然多く、その他ナナカマド、ミネカエデ、イチイ、コヨウラクツツジ、ムシカリ、ツルシキミ、ハリブキ、ミネザクラを混入し、草類階ではシノブカグマ、ホソバノトウゲシバ、ミツバオウレン、ミヤマワラビ、コミヤマカタバミ、ヤマソテツ、タケシマラン等が多い。同所標高1,000m―1,050m付近においてはその下部の後記Bc群叢に近接しているので、それから上昇して来たブナの小数を混入している所もある。

  高田大岳南側1,000m付近においては、優勢木はアオモリトドマツであるのは言うまでもないが中にダケカンバ、ナナカマドの少量を混入している。灌木階はチシマザサ断然多く、中にミネカエデ、コヨウラクツツジ、ヒメモチ、ハナヒリノキ、ツルシキミ、オオツルツゲ、シロバナシャクナゲ、オオバスノキ等が混入している。

  草類階ではツルリンドウ、ホソバノトウゲシバ、タケシマラン、シノブカグマ、マイヅルソウ、ヤマソテツ、ミヤマフタバラン、コギンリョウソウ等が多数を占めている。

  南八甲田連峰における植相を述べれば逆川上流部(櫛ヶ峯-横岳間から北東流する沢)の標高1,200m付近においては、優勢木はアオモリトドマツ一種で北八甲田連峰と同様数は多いが各個樹は密生せずにその間に若干の間隙を残している。時にナナカマドの小数を混入している。灌木階は各所ともチシマザサ猛威を逞し他種の混入を困難ならしめているが少量混入種としてはミネカエデ、ムシカリ、コヨウラクツツジ、オオバスノキ、ヒメモチ、ツルツゲ、アカミノイヌツゲ、ミヤマホツツジ、ツルシキミ、シロバナシャクナゲ、ハリブキ等がある。

  草類階ではマイヅルソウ、ツルリンドウ、イワカガミ、ツルアリドオシ、ミツバオウレン、ホソバノトウゲシバ、ヤマソテツ、コイチヨウラン、シラネワラビ等を混入している。

駒ヶ峯北東側1,250m付近においては、アオモリトドマツは前同で、灌木階はやはりチシマザサ最優勢、他の因子にはオガラバナ、ムシカリ、コヨウラクツツジ、ツルシキミ、ヒメモチ、ハリブキ等多く所によりベニバナイチゴを伴う所がある。草類階ではタケシマラン、ホソバノトウゲシバ、ミツバオウレン、イブキゼリ、シノブカグマ、マイヅルソウ、ヤマソテツ、ツルリンドウ、コイチヨウラン等が多い。

  駒ヶ峯東南側1,200m付近においては、アオモリトドマツもチシマザサも前同、灌木階の混入因子にはアカミノイヌツゲ、コヨウラクツツジ、ミネカエデ、ムシカリ、ツルシキミ、オオバスノキ、ミヤマホツツジ、オオツルツゲ、シロバナシャクナゲ等が多く、草類階ではヤマソテツ、イブキゼリ、ミツバオウレン、オオバタケシマラン等がある。

  黄瀬萢下部1,150m付近においては、アオモリトドマツ、チシマザサの状態は前同、灌木階にはオガラバナ、ミネカエデ、コヨウラクツツジ、ツルツゲ、オオツルツゲ、ツルシキミ、サビバナナカマド、オオバスノキ、ムシカリ等の混入があり、草類階ではヤマソテツ、ホソバノトウゲシバ、マイヅルソウ、ミツバオウレン、タケシマラン等が多い。

  以上南・北八甲田連峰を通じ本群落に属する区域の現況を見るに、いずれもほとんど同一の状態をなしている。ただし、いずれにおいても上部界ではAaⅤ群落型に接するので、その因子を多分に含み下部界ではBc群落型に接するのでその因子たるブナ、ダケカンバ等を含んでいる所がある。これらにおける今後の取り扱いを考えれば、まず一般的なものとしてアオモリトドマツの繁殖を計るものとすれば、チシマザサを人為、あるいは動物的(牛馬の放牧によりチシマザサを飼料として摘食せしめる)に制限して稚樹の生長を旺盛ならしめる事が必要であるが、ただし、現状において全般的にチシマザサ群落の樹叢下にやや多数の稚樹を混入し、これらはササ樹叢群上に抜きん出る機会を伺っているので後継樹をやや多数に有している事となるから、自然に放置してササ樹叢群上に抜きん出るのを待つのが最適と考えられる。ただし、後述Bc群叢において述べるように同群叢は極めて有益であるから、その生育範囲をできる限り拡大する意味においてダケカンバ、ブナの混入を助けこれらを保護、繁殖させるも一法であると思われる。


Ba II アオモリトドマツ―モンゴリナラ型

Abies mariesii - Quercus mongolica Community-type

  当地域においてアオモリトドマツが単純林状をなしている部分、すなわちBa群叢内において後述のF高層湿原(泥炭地)にアオモリトドマツが次第に侵入して遂に泥炭地を化して林地たらしめたと思われる地域においては、アオモリトドマツの樹形は極めて矮小となり立地には他の好湿性の植物を多数に混入して、著しくその林況に差異を認められる群落となる。かかる群落は主として南北両八甲田連峰に散在する高層湿原の周囲、あるいは湿原が乾燥して林地となったと思われる場所のみに発達し、北から井戸岳―大岳間の東側小川上流部1,200m―1,300m間(BaⅡ1,BaⅡ2)、上毛無岱の周囲1,150m―1,300m間(BaⅡ3)、下毛無岱の周囲1,000m―1,080m間(BaⅡ4)、酸ヶ湯―石倉岳間県道の南側(俗に“二十日迷い”と称される)900m―1,000m間(BaⅡ8)、石倉岳東側(俗に“高田萢”と称される睡蓮沼を含んだ区域)920m―1,050m間(BaⅡ10)、逆川岳頂上付近1,100m―1,250m間(BaⅡ6)、横岳頂上付近1,250m―1,330m間(BaⅡ5)、駒ヶ峯北側石倉岳対岸980m―1,050m間(BaⅡ9)、駒ヶ峯―櫛ヶ峯間の北側、逆川萢と称する区域1,200m―1,300m間(BaⅡ7)、乗鞍岳北側、猿倉岳との鞍部付近1,210m―1,320m間(BaⅡ11,BaⅡ12)、黄瀬萢付近1,180m―1,230m間(BaⅡ13)、太田代(大谷地)付近870m―970m間(BaⅡ14)等に存在するけれども、これらの中には大部分高層湿原Fを多数に含んでいるのが認められる。

  かかる区域においては、アオモリトドマツは分布北限地という制限の他に、泥炭地から出る遊離有機配※31)を多量に含んだ水分のため生育に及ぼす影響があって樹根の背日生長※32)を制限され、したがって上長生長も制限される結果となり、各樹はいずれも矮小となり樹高は3-5mを出ず、しかもBaⅠ型に見る様な群状発生なすもの少なく大部分は点状散生群をなすものも極めて小群である。しかも土地は一般に緩斜なので、下記の望遠によっても明らかに区別されるのみでなく、冬季積雪期においてもアオモリトドマツの樹氷内において雪上僅かに2mを出ない緩斜地の樹群をなすので、本区は一目にして判然たるものがある。

  なお、混入因子たる当地域のモンゴリナラQuercus mongolica FISCHERは、乾燥地性のAbⅣ群落型にあるミヤマナラQ. Keizo-Kishimai YANAGIDAに極めて類似した形態をなし、基準型のモンゴリナラに比較して葉形が小さいがミヤマナラよりやや大きく葉脚※33)の著しく心形になっている所および葉裏の状態を異にしている他、京大小泉源一郎博士の同定の結果、モンゴリナラと決定した次第である。

  本型の植相を述べれば、BaⅡ1井戸岳東側小川上流部においては最上層を形成するものにアオモリトドマツが最も多く、中にモンゴリナラ、ナナカマドを混入する所があり、灌木階では(最上層とあまり差が無い)チシマザサ、ミネカエデ、クロウスゴ、アカミノイヌツゲ、ヒロハハナヒリノキ、ウラジロヨウラク、ミヤマホツツジ、ハイイヌツゲ等がありまたハイマツを混入する。草類階ではミツバオウレン、コバイケイソウタカネショウジョウスゲイワカガミショウジョウバカマイワイチョウ、マイヅルソウ、ミズギボウシ等が多い。この地は灌木相でほとんどBaⅠ型に近い因子を矢数に含んでいるので、BaⅡとしてはかなり進化した形であろう。

  BaⅡ3上毛無岱の湿原の周囲においては、最上層をなすものはアオモリトドマツ一種、灌木階をなすものにはアオモリトドマツ、ハイマツ、モンゴリナラ、ミネカエデ、チシマザサ、シロバナシャクナゲ、ウラジロヨウラク、ウスキシャクナゲ、ミヤマホツツジ、アカミノイヌツゲ、エゾイソツツジ、ハナヒリノキ等があり、草類階ではムツノガリヤス、ヌマガヤネバリノギラン、チングルマ、ガンコウラン、ミズギボウシイワカガミ、ツマトリソウ、マイヅルソウ、ミツバオウレン、イワイチョウタカネショウジョウスゲ、ゴゼンタチバナ、ショウジョウバカマ等が多く因子的に見てアオモリトドマツ林に進化する一途中相と見られる。

  BaⅡ4下毛無岱においては、上層木はアオモリトドマツおよびハッコウダゴヨウのみがあり、灌木階をなすものにはモンゴリナラ、ハイマツ、アカミノイヌツゲ、マルバマンサク、ハイイヌツゲ、チシマザサ、ミネカエデ、ウラジロヨウラク、ヤマウルシ、ウスキシャクナゲ、ハナヒリノキ、ツルシキミ、ミヤマホツツジ、コヨウラクツツジ等があり、草類階ではムツノガリヤス、ヌマガヤキンコウカ、チングルマ、タカネショウジョウスゲイワイチョウミズギボウシネバリノギランイワカガミコバイケイソウ、ツマトリソウ、ヤチカワズスゲミヤマイヌノハナヒゲ、アカモノ、ミツバオウレン、ショウジョウバカマ、ゴゼンタチバナ等が多い。本区は灌木、草類を問わずいずれも好湿地性のもの多数を占めているので、侵入の初期の過程にあるものと思われる。

  BaⅡ8俗称“二十日迷い”においては、上層木はアオモリトドマツ一種、灌木階はチシマザサ断然多数を占め、他にモンゴリナラ、コヨウラクツツジ、ミネカエデ、ツルシキミ、シロバナシャクナゲ、アカミノイヌツゲ、ムシカリ、ナナカマド、オオバスノキ、クロウスゴ等を混じ、草類階ではツルリンドウ、ミツバオウレン、ヤマソテツ、ヤマドリゼンマイ、ツマトリソウ、イワカガミショウジョウバカマ、ツルアリドオシなど多数を占め、この地は場所により差はあれ一般的に見れば灌木、草類を問わずBaⅠの因子を多数含んでいるので、本型としてはかなり進化せるものと思われる。

  BaⅡ10高田萢付近においては、上層木アオモリトドマツは前同、灌木階ではチシマザサ断然多く、他にモンゴリナラ、ミネカエデ、アカミノイヌツゲ、クロウスゴ、ムシカリ、ツルシキミ、ムラサキヤシオツツジ、ウスキシャクナゲ、ハナヒリノキ、コヨウラクツツジ、オオバスノキ、ハイイヌツゲ等を混じ、草類階ではツルリンドウ、ヤマソテツ、タケシマラン、ミツバオウレン、ツルアリドオシ、シノブカグマ、イワカガミ等多数を占め、灌木、草類いずれより見るも、一般型は極めてBaⅠに似た因子を含み本区としてはほとんど進化※34)の極に接近したものと思われる。本区の好例は県道沿い東津軽上北郡界付近に見られるものである。

  BaⅡ14本区の最南端たる太田代(大谷地)付近においては、上層は相変らずアオモリトドマツ多く、場所により僅少のヒメコマツ、ナナカマドを混ずる所があり、灌木階のものはチシマザサ最も多く、他にハイイヌツゲ、ミネカエデ、ハナヒリノキ、ムシカリ、ムラサキヤシオツツジ、モンゴリナラ、ヒメアオキ、コヨウラクツツジ、シロバナシャクナゲ等を混じ、草類階ではアケボノシュスラン、ヤマソテツ、チングルマ、マイヅルソウ、ミズバショウゼンテイカ等が多い。すなわちこの地の一般型もBaⅠの因子を多量に含んでいるので、進化の進んだ事を説明していると思う。

  以上各区において上層木アオモリトドマツその他灌木階に属するものと区別したが、上層木と灌木階のものとは最大2m、一般に1mの差より見出されないのであまり明瞭な区別ではない。またアオモリトドマツには灌木階のものもあり、いずれも小群、あるいは点生している事はもちろんである。なお、灌木草類を問わず各種に下線※35)を引いたものは高層湿原の因子または好湿性の植物なので、他の乾燥地性のものまたは嫌湿性のもの、すなわちBaⅠの因子と区別するために付したものである。


Bb アオモリトドマツ―コメツガ群叢

Abietum mariesii - Tsugetum diversifoliae

(Abies mariesii - Tsuga diversifolia Association)

  東北地方特に当営林署管内の亜高山帯植生を概見した結果によれば、前記Baアオモリトドマツ単純群叢下部にはアオモリトドマツとコメツガと混交した群落がかなり広範囲に渡って発達し、極盛相に達している所があるので(早池峰北側に著例がある)、この両種の混交帯は当然独立した一群叢を形成していると解して不可ない所とせねばならない。

  この要素中アオモリトドマツは前述の諸性質を有しているが、コメツガTsuga diversifolia MASTERSはヒメツガ、クロツガ等の別名があり、本州各部、四国、九州に分布する日本特産種である。しかも本種にとって当地域は陸奥岩木山とともに画する一線によって本種の分布北限地帯をなすものであり、当地域の発達はあまり著しいものとはいえない。

  参考として当地域以南の産地におけるコメツガを主体とした群落の概況を記すれば南方、四国、九州、本州南部地方における林況、特に混入因子などは全く当地方に見られない。差異を有するものであろう事は想像するに難くない所であるが、残念ながらその精細は未だ報告に接する機会を得ていない。本州中部のものは、まず御岳の上半部においてはシラベ、エゾマツと混交し、所によりチョウセンマツを伴う事がある(小泉博士による)。また富士山、日光付近などにおいては1,500m―2,000m付近においてダケモミと混交する事が多く、さらに上部においてはシラベ、カラマツ、アスナロ、ネズコ、トウヒ、ヒメコマツおよびソウシカンバ、ネコシデ、ウダイカンバ、ナナカマド、ミズナラ、ケヤマハンノキ、シオリザクラ等と混交している(三好博士、早田博士、ウイルソン氏などによる)。その他本州、中部高山の一般的のものとしては下層地帯がトウヒ、ソウシカンバと混交し、中層地帯はシラベ、トウヒ、ソウシカンバと混交、上層地帯はアオモリトドマツ、シラベ、トウヒ、ソウシカンバと混交しているといわれている(東京営林局調査による)。さらに当営林署管内においては蔵王山、五葉山、早池峰、岩手山、八幡平等に認められるが、そのうちの著例を挙げれば、陸中早池峰においては北側において1,150m―1,350m間はヒノキアスナロと混交し、1,350m―1,700m間はアオモリトドマツ、ダケカンバと混交し、いずれも巨大な大密林を形成しており1,700m―1,900m間はアオモリトドマツ、ダケカンバともに矮小形をとって、ハイマツその他の高山灌木帯要素と混交し、その形は南側において頂上付近から1,200m付近まで下降している。さらに南面において特に著しいのは1,000m―1,200m間におけるダケカンバ退化群叢中、ダケカンバを上木とし、林下にコメツガ密生しこれと次代において置換される運命にあるものが特に目立っている。北海道にはアオモリトドマツ、コメツガ両者を産しないので、その群落関係は別問題である。

  これら本邦全般から本群叢に近似の群落を求めれば北海道の“エゾマツ―トドマツ群叢”、中部本州の“コメツガ―トウヒ―ソウシカンバ群叢”、“シラベ―コメツガ―トウヒ―ソウシカンバ群叢”、“アオモリトドマツ―シラベ―コメツガ―トウヒ―ソウシカンバ群叢”等が挙げられる。

  このようにコメツガの分布区域中の諸群落の中で本群叢に類似のものではアオモリトドマツ、コメツガ、シラベ、トウヒ、ダケモミ、ダケカンバ等の諸要素があるが、このうち、当地域に関係あるアオモリトドマツ、コメツガ、ダケカンバの3種類を摘出して、かつて富士山において早田、武田両博士が観察された樹種遷移を比較して見れば樹種としてこの3者が次に記述するようにそれぞれ循環する事となるはずであるが、

コメツガ ← ダケカンバ

↓       ↑

アオモリトドマツ

かかる現象は岩手県以南で認められるのみで、当地域では主要要素たるアオモリトドマツが前述のとおり特殊型をなし、コメツガはあまり良好な繁殖をなしていないので樹種としては要素が揃っても基準的な樹種変遷を実行する能力がないものと観察される。

  当地域では群叢に属するものに、

Ⅰ アオモリトドマツ―コメツガ型

Ⅱ コメツガ単純型

の両型があり、Ⅱ型は小範囲にしか認められないがⅠ型はBa群叢中の所々に小群状をなして認められる。現在の状態では両者とも老大木を有しているがコメツガの勢力は微々たるものでアオモリトドマツの次に優勢を保ち得る様な状態にはなっていない。なお、本群叢に属する区域はいずれも岩石累積地をなしているので、Ba群叢内の岩石地に現れる一型とも理解する事ができる。


Bb I アオモリトドマツ―コメツガ型

Abies mariesii - Tsuga diversifolia community-type

  本群落系は前述のように当営林署管内において一般にアオモリトドマツの下部に現出するものであるが、当地域においても大体同様である。すなわち北から前岳南側1,110m―1,230m間(Bb1)、酸ヶ湯沢沼沿いの酸ヶ湯上流部1,120m―1,180m間(Bb2)、石倉岳頂上付近1,200m(Bb3)、乗鞍山北東側の矢櫃沢上流部(Bb4)、等に混交するものである。林況は前述のようにアオモリトドマツが生長を制限されていると同様、コメツガもまた分布北限地をなしてやはり生長を制限され、本型では両種ともそれぞれ混交して点生または小群状をなし各個樹の間には若干の間隙を残している。

  植相を述べれば、Bb1の前岳南側のものは優喬木にはアオモリトドマツ、コメツガの両種が多数を占め所によりダケカンバを混入、灌木階ではチシマザサ全面を被覆して最も優勢であり、他にナナカマド、ハウチワカエデ、ミネカエデ、コヨウラクツツジ、ムシカリ、アジサイノリウツギ、ハリブキ、エゾツノハシバミ、ツルシキミ、ツルツゲ等の混入がある。草類階ではシノブカグマ、ホソバノトウゲシバ、ナガバシラネワラビ、ミヤマスミレ、ミヤマイタチシダ、ミヤマシシガシラ、ヤマソテツ、ヤマイヌワラビ、タニギキョウ等が多い。

  Bb2酸ヶ湯沢上流部においては、喬木はアオモリトドマツ、コメツガのみ、灌木階ではチシマザサ断然多く他にナナカマド、ミネカエデ、ムシカリ、ツルツゲ、ムラサキヤシオツツジ、ウスノキ等を混入、草類階ではシノブカグマ、ヤマソテツ、カニコウモリ、ミツバオウレン、ツルリンドウ、ホソバノトウゲシバ、ゴゼンタチバナ、コケシノブ等が多い。

  これらにおいても明らかなとおり、本群落型の混入要素は前記Ba1型のものと後記Bc群叢のものとの両要素を混入している。早田博士が富士山の植生を調査されたとき、本群落型に類似の群落につきその樹種的遷移関係は次のとおりであるといわれた。『コメツガ林内の下木としては、より陰性なアオモリトドマツが生じ、遂これと置換され、アオモリトドマツ林が老齢枯死に至れば一般的枯死が行われるので、恐らくは極端に陽性なカラマツにより置換され、カラマツ林は下木としてコメツガ、シラビの侵入が容易なので、再びコメツガ林もしくはシラベ林により置換される』。当地域のものはカラマツの代りに同様な好陽性を有するダケカンバが入り、コメツガ、アオモリトドマツの3者が群落遷移にそれぞれ関係あるようであるか、我々としては当地域のものはコメツガ林にアオモリトドマツが侵入して、現在の両種混交状態となった事は想像するに難くない所であるが、将来はいかに変遷するものであるか名言し得ない所である。あるいはアオモリトドマツが優勢になってコメツガを圧迫するかも知れないが当地域のアオモリトドマツは前述のように極盛相に達しても各個樹間には若干の間隙を有し、コメツガの存在を不可能にさせる条件はいかんとも見出されない。

  将来アオモリトドマツが優勢になったり、コメツガが優勢になったり若干の消長移動はあるかも知れないけれども、コメツガ、アオモリトドマツ両種の分布北限地帯においては特に著しい地面露出等の外囲作用を受けない限りダケカンバの時代を経る事なく永く現状に近い状態を維持するものであろうと思われる。

  なお、本型に近い一型にコメツガ、ヒメコマツと混交している場所がある。それはコメツガの基準的な特性とも見るべきアオモリトドマツ群落下部にそれとはやや離れて一群をなすもので、酸ヶ湯下部の城ヶ倉渓流沿い(標高700m―850m間)に認められる。該地の植相は喬木階ではコメツガ、ヒメコマツの両種多く、他にミズナラ、ブナ※36)があり、從喬木にはコメツガ、アズキナシ、アラゲコバシジノキの少量があり灌木階ではコメツガが断然多く、他にリョウブ、シロバナシャクナゲ、アクシバ、コヨウラクツツジ、アカミノイヌツゲ、オオバスノキを混入している。草類階ではイワナシ、ツルアリドオシ、オサシダ、ヒメノガリヤス等が多い。すなわち本区は渓畔岩石地の尾根上にヒメコマツを主体とし後記DaⅢ型中に介在する群落であるが、コメツガが現在灌木階のもの多数を占めているので、将来はコメツガが岩石地に適せる性質、その他の適応性を良く発揮して次第にヒメコマツを圧迫するに到るものと思われる。


Bb II コメツガ単純型

Tsuga diversifolia community-type

  これはBb群叢中のコメツガが単純群落をなして発達した場合の一型であり、現在では当地域において単に蔦温泉―蔦赤倉岳間の一峰俗称松森山(標高820mくらいの当地域の他区にも俗称松森山と称されるものがあるので、本調査においては便宜上“蔦松森山”と呼ぶ事とする)の頂上を含んだ北側のみに発達するものであり、付近にはアオモリトドマツが全く認められないので、アオモリトドマツ林の遥か下部に分立発達したものと思われ、周囲はブナ群叢に属し、本型の発達する部分は岩石の累積地である。

  本区の植生を記すれば喬木はコメツガがほとんど一種で完全に近い純林状をなし、ただその下部のみに数本だけダケカンバ、ブナ、コバシジノキを混入する。灌木階のものではススキ、コメツツジ、ムラサキヤシオツツジ、コヨウラクツツジ、オオバスノキ、シロバナシャクナゲ、ホツツジ等の石楠科灌木多数を占め、他にツルツゲ、アカミノイヌツゲ、ホシナシミヤマガマズミ等を混じ因子的に見て乾燥地性であり岩石地である事を想知せしめる。草類階ではヒメノガリヤス、シノブカグマ、ミヤマヘビノネゴザ、オサシダ等いずれも従来岩石地植物として取り扱われているものが多い。

  本区のコメツガは現在すでに極盛相に近く達しており、老大木のみであるから放置すれば将来石南花科灌木やダケカンバ、ブナ、ミズナラ等が多くなり、後記DaⅢ型に近似の群落型をとり、次に再びコメツガが多くなると思われる。(周囲の状況および林地の状態から観察してコメツガが生育に最適と考えられたため)この林は将来コメツガを永続させた方が安全かつ最適と思われるので、そのためには人為的間伐により植生連続を後退させた事が必要欠くべからざる事と推定される(図14)。

図14 蔦松森山付近略図


Bc アオモリトドマツ―ブナ―ダケカンバ群叢

Abietum mariesii - Fagetum crenatae - Betuletum ermanii

(Abies mariesii - Fagus crenata - Betula ermanii Association)

  これはアオモリトドマツ、ダケカンバとブナの混交したものであって、Bアオモリトドマツ林(針葉樹林)からDブナ林(落葉広葉樹林)に移行する一過程をなし、これら両林の間に介在する一帯をなすものである。すなわち山岳上部に発達したB群系の底部に、下部で発達したD群系の諸要素、特にブナが上昇する、あるいはその逆にD群系の上部にアオモリトドマツが下降してそこに混交地帯を生じた一帯である。

  当地域においては、標高800m―1,200m間の区域を占めるもので植物の種類から見ればB群系の要素とD群系の要素とが丁度具合が良く(上部にB群系のもの多く、下部にD群系のもの多し)半々くらいに混交しているから、B群系に属させるべきかD群系に属させるべきか問題のある所であるが、本調査においてはB群系の針葉樹林帯要素を重んじて便宜上B群系に属させておく事にした。

  本群叢の発達している主な区域は前岳の鳴沢を越した東側1,000m―1,200m間(Bc4)、北八甲田の西側、南八甲田の北側を回る中腹地帯800m―1,200m間(Bc7)、赤倉山―井戸岳―大岳の東側、小川上流部800m―1,200m間(Bc1)、高田大岳南側から蔦赤倉岳北側に渡る中腹地帯800m―1,100m間(Bc11)、南八甲田南側から太田代(大谷地)南腹に渡る中腹地帯800m―1,100m間(Bc13)等を挙げ得る。

  〔ただし、上述の各群系各群叢すなわちBbⅡまでは主として峰通り近くに小面積に発達しているものが多いので、説明の便宜上、当地域をさらに次のとおり分ける事とした。

(1)田代区 前岳―赤倉岳―大岳-小岳―高田大岳-黒森山―石倉山-七十森山―柴森山等に囲まれた区域、すなわち田代岱と称される場所の全部

(2)北八甲田西腹区 荒川上流部(城ヶ倉付近)から前岳北斜面に渡る北八甲田連峰の西腹区域

(3)南八甲田東腹区 黒森山―高田大岳-小岳―硫黄岳―名倉山-駒ヶ峯―乗鞍岳等のなす線以東の区域

(4)黄瀬区 黄瀬川、大幌内川、小幌内川、尻辺川(ソスペ川またはヒシッペ川ともいわれる)等の各流域がなす区域

(5)浅瀬石川上流区(温川区) 南津軽郡竹館村に属する区域

(6)奥入瀬区 子ノ口―焼山間の奥入瀬川流域区

(7)十和田区 十和田湖外輪山内の区域

これら各区に属するものにつき、それぞれ説明を付する事とする。〕

  北八甲田西腹区 本区のものは全てBc7に属し、本区内数か所のものの植相を述べれば前岳西腹においては、喬木はアオモリトドマツとブナが交互に小群落をなして混交し、中にナナカマドの点生がある。灌木階はチシマザサ、オクヤマザサが断然多数を占めほとんど全面を被い、他にはハウチワカエデ、ミネカエデ、ムラサキヤシオツツジ、ツルシキミ、シロバナシャクナゲ、オオバクロモジ、ムシカリ、アカミノイヌツゲ、アクシバ、ハナヒリノキ、ヒメモチ、ハリブキ、ゴトウヅル、イワガラミを混生し、草類階ではホソバノトウゲシバ、ツバメオモト、ウスバサイシン、シノブカグマ、コイチヨウラン、ツルリンドウ、ツクバネソウ、ヤマソテツ、タニギキョウ、ミツバオウレン等が多数を占めている。

  下毛無岱―酸ヶ湯間においては、喬木はアオモリトドマツにブナ、ダケカンバを混入し、これらが互に小群落をなして混交しているがダケカンバは場所により多い所と少ない所とがあり、あるいは全これを欠く所もある。従喬木ではハウチワカエデ、ナナカマドがあるけれども、いずれも極めて僅少である。灌木階ではチシマザサ、オクヤマザサ、ナガバネマガリ等が林下の大部分を被覆し、その他ミネカエデ、ゴンゼツ、ムシカリ、オオバクロモジ、オオバスノキ、ヒメモチ、ツルシキミ、ムラサキヤシオツツジ、エゾユズリハ、コヨウラクツツジ、ハリブキ、イヌツゲ、ウワミズザクラ、アカミノイヌツゲ、ミヤマホツツジ、ハナヒリノキ等を混じ、草類階ではマイヅルソウ、タケシマラン、ヒメタケシマラン、ミツバオウレン、ツルアリドオシ、ウスバサイシン、ツクバネソウ、ツバメオモト、ヤマソテツ、ツルリンドウ、ツマトリソウ、シラネワラビ、ミヤマワラビ、ミヤマカタバミ、シノブカグマ、ミヤマシシガシラ、エンレイソウ、ヤマイヌワラビ、ハガクレスゲ、キソチドリ等多数を占めている。他に纒続[てんぞく]※37)植物としてゴトウヅル、イワガラミ、ツタウルシ等がある。

  荒川上流部の渓流に面した両岸急傾斜においては、喬木にアオモリトドマツとブナがあり、一般にブナは優勢であるがさらにダケカンバ、ゴンゼツ、サワグルミの少量を混入する所がある。灌木階ではオオバクロモジ、ムラサキヤシオツツジ、シロバナシャクナゲ、アラゲヒョウタンボク、コヨウラクツツジ、ミネカエデ、エゾツノハシバミ、アジサイノリウツギ、ハウチワカエデ、チシマザサ、オクヤマザサ、ナガバネマガリ、ムシカリ、アカミノイヌツゲ、ヒメモチ等が恒存度多いものである。草類階のものとしてはヤマソテツ、ミヤマシシガシラ、シノブカグマ、ツルリンドウ、マイヅルソウ、ミヤマカタバミ、ホソバノトウゲシバ、ホソイノデ、オシダ、ミヤマメシダ、ミヤマワラビ、ホソバノナライシダ等が多数を占めている。

  ただし、この荒川上流部は群落的に見て特異の状態をなす、すなわち一般には沢通帯に発達する“Dc11トチ―サワグルミ―カツラ群叢”は“Daブナ群叢”の上部界(上昇限界)まではほとんど達していないのであるが、本区においてはDcはDaより遥か上部のBc群叢中に介在しているのである。この事は他面に考えれば現在Bc群叢中の占めている所も当然Da群叢の占むべき所であり、過去においてはDa群叢状を呈したものであろうか現在では上部に発達したBa群叢の要素アオモリトドマツが生育旺盛でDaの占有場所に下降侵入して来たためによるものであるといえる。

  この区域においてもなお、小團状[しょうほじょう]に Daブナ群叢に近い状態のところを混入しているけれども、それらは近い将来において本群叢的に移送するべき一過程をなすにすぎないと思われる。

  南八甲田東腹区 本区のものはBc10に属するもので、高田大岳南側から蔦赤倉岳北側に渡る中腹地帯で猿倉温泉を中心として南北に広がっている区域であるが、高田大岳東南斜面においていえば喬木はブナ、アオモリトドマツがあり、アオモリトドマツは群状をなしているがブナに比較してその量は少ない、他に従喬木としてハウチワカエデ、ナナカマド、ミネカエデなどがある。灌木階にはチシマザサ、オクヤマザサ、ナガバネマガリ多数を占め、他にエゾユズリハ、ムシカリ、シロバナシャクナゲ、イヌツゲ、ヒメモチ、オオバクロモジ、ウワミズザクラ、ノリウツギ、アカミノイヌツゲ、ツルシキミ、ヒロハハナヒリノキなどが恒存度多く混入している。草類階のものにはシノブカグマ、マイヅルソウ、シラネワラビ、ミヤマカタバミ、ツルアリドオシ、タケシマラン、コギンリョウソウ、ヤマソテツ、タニギキョウ、オシダ、ホソバノナライシダ、ヤマイヌワラビ、ツルリンドウ、ユキザサ等が多数を占めている。纒続着生植物にはゴトウヅル、ツタウルシ、イワガラミ、サルオガセ等がある。

  谷地温泉上部800m―950m間の東南斜面は、伐採により退化して現在灌木群落の時代に逆行しているが、将来はブナ群落の成立を見て後アオモリトドマツの下降侵入があって遂に本群叢に属すべき区域となるであろうと思われた。猿倉温泉の西方蔦川の上流部睡蓮沼付近と駒ヶ峯斜面との中間蔦川の両岸急斜地すなわちV字渓谷の斜面は成生の時代が第三紀に属する事はもちろんであるが侵蝕により地面の新しく露出した所で基岩たる安山岩上に腐植質、粗腐植質がかつて形成されたらしいがこれらは侵蝕と同時に取除かれている。この様な場所に上部緩斜地のBaⅠ型から画然[かくぜん]と区別される本群落の著しい発達があるこれと同様な状態を呈するものに高田大岳西南下部の小沢沿い両岸、猿倉岳から北東に流れて猿倉温泉に達する小沢の両岸、矢櫃沢上流部の両岸および前記荒川上流部石倉岳南方付近の両岸などの発達が認められる。猿倉温泉南方の緩斜地においては喬木としてブナ、アオモリトドマツがあり、各々はそれぞれ団状または小群落をなして混交している。この他ミズナラ、アズキナシの小量を混じる所である。灌木階においてはチシマザサ、オクヤマザサ多数を占め、他にミネカエデ、ハウチワカエデ、ムシカリ、ヒメモチ、ナナカマド、ツルシキミ、ムラサキヤシオツツジ、ヒメアオキ、シロバナシャクナゲ、オオバクロモジ、イヌツゲ等を混入し、草類階ではツルリンドウ、マイヅルソウ、ツクバネソウ、コギンリョウソウ、ヤマソテツ、タケシマラン、エンレイソウ、タニギキョウ、シラネワラビ、ホソバノトウゲシバ、ツルアリドオシ等が多数を占めている。

  なお、Daブナ群叢中にアオモリトドマツが個体的に下降しアオモリトドマツの下降限界のひとつと認められるものは蔦川、仙人橋付近標高600m付近に典型的な例がある。

  黄瀬区→浅瀬石川上流区 南八甲田連峰の南腹においては、太田代(大谷地)の南側に渡る中腹地帯のものBc13であるが駒ヶ峯南腹1,000m付近においては喬木はアオモリトドマツとダケカンバの混交があり、所によってはシナノキ、ゴンゼツを伴う事もある。灌木階ではチシマザサ、オクヤマザサ断然優勢で、他にムシカリ、ムラサキヤシオツツジ、オオバスノキ、アラゲヒョウタンボク、ミネカエデ、ハリブキ等を伴う。草類階ではマイヅルソウ、ツバメオモト、ヤマソテツ、ホソバノトウゲシバ、ミヤマシシガシラ、ハガクレスゲ、ミヤマカタバミ、イヌガンソク、タニギキョウ等が多い。また下部の800m―900m付近においては、喬木はアオモリトドマツ、ブナが多く、ダケカンバ、サビハナナカマドの少量を伴う。灌木階ではチシマザサ、オクヤマザサ多数を占め、他にオオバスノキ、ミネカエデ、ムシカリ、ノリウツギ、コヨウラクツツジ、アカミノイヌツゲ、オオバハナヒリノキ、ツルシキミ、ムラサキヤシオツツジ等を混入する。草類階ではホソバノトウゲシバ、マイヅルソウ、タケシマラン、ツルアリドオシ等多数を占めている。

  太田代(大谷地)下部の850m付近においては、喬木はアオモリトドマツとブナが優勢で、それに僅少のダケカンバ、ナナカマドを伴う。灌木階ではハウチワカエデ、エゾツノハシバミ、ムシカリ、イヌツゲ、ツルシキミ、ヒメモチ、オオツルツゲ、エゾユズリハ、ヒメアオキ、シロバナシャクナゲ、ハナヒリノキ、アカミノイヌツゲ、ムラサキヤシオツツジ等多く、他にチシマザサ、オクヤマザサが大勢を支配している。草類階ではツルアリドオシ、シノブカグマ、ヤマソテツ、ナガバノシラネワラビ、ホソバノトウゲシバ、ミヤマカタバミ、ミツバオウレン等多数を占め、蔓茎類ではゴトウヅル、ツタウルシがあるくらいのものである。

  このような状態であるので、本群叢の上部はダケカンバ多く下部はブナ多いといえるが、その遷移は極めて複雑である。一般にはブナ林の下にアオモリトドマツが小群状に侵入して次第に勢力を増し、現在ではアオモリトドマツの優勢である場所が多いが、またアオモリトドマツが風倒、枯死した場合とかその他の原因で地面が露出すればブナは直ちに下種発芽して勢力を増しつつある場所もある。

△大面積地面露出(表11)

△小面積地面露出(表11)

△基準遷移(表11)

  本群叢の占める区域の各樹木の生長を見れば、アオモリトドマツはその群叢中で最も良好な生育をなし、標高は15ー25m、胸高直径は10-15mに達しており、中心郷土における本種の基準的生長に近い状態をしている。ただし、単純密林をなさず針広混交林である事は言うまでもない。またブナはその生育する上部限界付近にあたるので、あまり良好な生育をなしていないが、それでもなお針葉樹との生存競争上、それ以上の樹高に達しているものが多い。ダケカンバは生育範囲が広いから比較的生長は良好であるが、本種の多い本群叢の上部付近は一般に風衝が強いので上部に昇るにしたがって樹型は弯曲している。したがって、林業上アオモリトドマツ、ブナ、ダケカンバのそれぞれを利用し得る林地であるから、所要の樹種を択伐作業により任意に繁殖せしめ利用する事ができる訳である。また、学術的には所生※38)植物に針葉樹林要素と広葉樹林要素とが混交して複雑多種類な植物相をなして研究者に有利な場所を与えている。風景的には針広混交林の特殊景として、特に秋季における広葉と深緑との対照は著しいものがある。


表11 植生変化の経路


Bd ダケカンバ退化的群叢

Betulatum Ermanii Betula ermanii Associes

  これはAbⅡアカカンバ群落系において大体述べた所であるが、当地域に産するカンバ類には大体次のような種類がある。

1ウダイカンバ Betula candelae KOIDZUMI (B. Maximowiziana Regal)

2ダケカンバ B. ermanii CHAMISSO et SCHLECHT var. communis KOIDZUMI

3オオダケカンバ B. ermanii var. ganjuensis NAKAI

4アカカンバ B. ermanii var. subcordata KOIDZUMI

5オノオレカンバ B. schmidtii REGAL

6シラカンバ B. tauchii KOIDZUMI

  この中でアカカンバについてはAbⅡ型において精細を述べたとおりであり、ダケカンバ、オオダケカンバは北八甲田、南八甲田連峰を通じて本群叢の主要因子をなすものである。

  ウダイカンバおよびシラカンバはともに十和田湖畔に群落を構成しているものが認められるものであり、オノオレカンバは奥入瀬渓流沿いの一部に小群落をなしており、該所はオノオレカンバの本邦における分布北限にあたるので、生育はあまり良好でないが、充分に保護を加えて絶滅の憂いがないようにしなければならない。

  これら各種類はいずれも極端な陽好生樹種となされ、植生連続上第一過程を担当し得るもののみと理解されているので、本群叢を一退化的群叢となしたものである。次のようなそれぞれの群落型がこれに属する。


Bd I ダケカンバ型

Betula ermanii community-type

  一般にダケカンバまたはソウシカンバと称されているものには多数の種類を包合している様であるが、当地域ではダケカンバ、オオダケカンバの両種が代表して本型を構成しているものと理解する。本群落型はその樹種の特徴として陽好生樹種であり、亜高山帯の針葉樹林とほぼ同高度に生育するものであって同地帯荒廃地の開拓者として著名なるものである。多くの場合、ダケカンバ林が生育繁茂して壮齢期以後に達すれば針葉樹(当地域では主としてアオモリトドマツ)の侵入があり、次第にこれと混交の状態となり、遂には針葉樹によって置換されてしまうのである。したがって、針葉樹林内に点生しているものでも(Be群叢のように)遂には圧倒されて姿を消し、針葉樹林の縁辺、殊にその上部限界付近に(AbⅡ型のように)僅かに帯状をなして残存するに至るのである。しかし、一度雪崩、山崩れ、森林伐採等のため樹林が破壊される時は、その能力を充分に発揮して速に純群落を形成するものであるとされている。このような状態のものは当地域内所々で認められるものであるが、本種は前述のように陽好性樹種なので、一度に多数密生して密林を形成する時は、壮齢から老齢に至るに従い他のより陰好性な樹種によって次第に内部から蚕食されるのである。この性質はBetula ermanii ダケカンバ類としての共通な特性であって、北地(北海道北半樺太方面)においてはシラカンバ類Betula tauschiiも同様な性質を有してともに著しい陽好性樹種となされている。

  ただし、当地域において前記“Bcアオモリトドマツ―ブナ―ダケカンバ群叢”中でアオモリトドマツと混交する本種は、在来の特性に比較してややその趣を異にしている様に思われる。すなわち、アオモリトドマツBa群叢において述べたようにその分布北限地にあたっているので、中心郷土において見る様な大森林をなさず、かえって各個樹は生長を制限されて各々独立の状態をなしている。したがって、前述の本種本来の性質として述べた所(これは主として本州中部における状態)とはその針葉樹との鬱閉度関係において多大な差異を生じている事を認めざるを得ない。すなわち、本州中部においてはその群落遷移は前述のとおりにダケカンバ侵入→ダケカンバ林→針葉樹侵入→針葉樹林となるのであるが、それは針葉樹の個体はいずれも長大な生長をなし、全体として大密林を形成するのでダケカンバの存在を許さないという事となるのである。しかし、当地域においてはこれと異なり、針葉樹たるアオモリトドマツの生長は極限に達しても絶対に大密林を形成しないので、その間隙には当然他樹種、特に広葉樹としてダケカンバ、ブナなどの生育をほぼ永久的に許すべき状態になっていると見なければならない。すなわち、ダケカンバ林→ブナ侵入→アオモリトドマツ侵入→アオモリトドマツ―ブナ―ダケカンバ林となり、一度裸地にダケカンバが侵入してダケカンバ林を形成した後ブナの侵入する事を除けば、アオモリトドマツが侵入するまではその特徴に従ったといえる。ただし、その後はアオモリトドマツの大密林とならず、単木的な“アオモリトドマツ―ブナ―ダケカンバ型”という混交型をなすので、この点著しい差異ある事を肯定しなければならない。

  以上の様な植生連続を辿っている途中相として、裸地―陽地に侵入したダケカンバ類が優勢を極めて、ほとんど単純林に近い状況を呈する事のあるのは前述のとおりであるが、それは針葉樹の上昇限界付近におけるものとは全く別問題である事は言うまでもない。かかる状態にあるダケカンバ単純林が当地域ではいかに現出しているかといえば、北から前岳北麓「雪中行軍遭難者銅像」付近にあるBd1 600m―800m間、第一田代萢の南側に帯状をなすものBd2 570m―590m間、前岳北東腹Bd3 950m―1,100m間、赤倉岳北腹Bd4-Bd5 1,000m―1,100m間、雛岳付近Bd8 900m―1,100m間、高田大岳北腹および北東腹Bd6-Bd7 1,000m―1,300m間、地獄沼付近Bd10-Bd11 920m付近、蔦赤倉岳東腹Bd13 850m―1,000m間、およびその付近Bd12 900m―1,080m間、蔦沼(湯沼)東南岸Bd15 460m付近、膳棚山(御花山または御鼻部山)頂上北側付近Bd16 960m―1,010m間、青橅山外輪山尾根上Bd17 685m付近、御子岳(十和田山)西腹尾根上Bd18 840m―920m間、三つ岳(戸来岳の一峰)西南腹Bd19 920m―1,050m間、三つ岳南腹Bd20 900m―1,000m間、(三つ岳南々西3km許にある)十和利山(標高990.9m)頂上付近Bd21 900m以上、大川岱西側大川岱川上流部Bd31 700m付近、鉛山南方―湖畔Bd30、鉛山峠に至る街道(断崖地の下部)650m付近のBd29、鉛山峠頂上付近Bd28 830m付近等に各々群状または小群状をなすものおよび休屋南方外輪山上(標高785.5m付近)Bd27 740m以上等がある。

これらにおける主なもの植相状況は次のとおりである。

  Bd1雪中行軍遭難者銅像付近におけるものは、ダケカンバは喬木性のものもあるが、従喬木性のものが最も多く繁茂しており壮齢期に達した事を示しているが、従喬木階の他のものはハウチワカエデ、ウワミズザクラ、ナナカマド、アラゲコバシジノキの少量を混入し、灌木階にはツノハシバミ、ムシカリ、オオバクロモジ、ハイイヌガヤ、オクイボタ、オクヤマザサ等が多く、また草類階ではジュウモンジシダ、ミヤマカタバミ、サワハコベ、アキタブキ、オシダ、シラネワラビ、クルマムグラ、ミゾシダ、ヒメモチ等が多い。かかる状態のものが大部分を占めているが、周囲ブナ群叢Daに接した部分にはブナ混入を見るので、本区は将来次第にブナにより置換され安定型に進むべきものと思われ、アオモリトドマツは付近に優勢を保つものがないので、もし、将来アオモリトドマツが極度の発達をなして侵入して来る事は無いとはいえないが、標高600m―800m間はブナ群叢の占有地と見なければならない。過去においてもやはりブナ群叢であるべきはずで、それが人為的または天然的な破壊作用の結果露出地(裸地)を生じ、そこにダケカンバの侵入を見て現状に達したものであろうと思われる。これらの他、銅像の東腹にあたる部分においては、現在は後述の“DaⅣブナ退化型”としてミネヤナギ群落が多いが、そこにダケカンバが次第に侵入して幼齢の一斉林をなしている場所がある。したがって、本区における植生連続を考えれば当然、

ミネヤナギ群落 → ダケカンバ群落 → ブナ群落

となるものとすべきである。ミネヤナギ群落は、“DaⅣブナ退化型”中ブナ群叢Daの上部に属する地域が外囲的条件に支配されて裸地を生じた場合に発生する開拓者であり、該種の群落は乾燥性の第二次的群落である。

  Bd3前岳北東腹においては、従喬木階級に属するダケカンバが壮齢一斉林をなし時にハウチワカエデ、ナナカマド、ブナ、アオダモの極小を混入する事がある。灌木階ではチシマザサ断然多く全面を被い、他にムシカリ、ハリブキ、ミネカエデ、ヒメモチ、コヨウラクツツジ、オオバスノキ、ツルシキミ、イヌツゲ等を混入する。草類階ではマイヅルソウ、ツクバネソウ、ホソバノトウゲシバ等の3種がやや多いばかりで、他の種類はごく小点生にすぎない。蔓茎類ではツルアジサイ、イワガラミの両種あるのみである。この区は現況から見ると将来ダケカンバの極相林に進むは言うまでもないが、混入因子から見て次第にブナが侵入し置換される傾向にあるものと思われる。しかし、周囲群落にアオモリトドマツを伴うものがあるので、アオモリトドマツの侵入があって“アオモリトドマツ―ブナ―ダケカンバ群叢”となって終局の型に落着くものと思われる。すなわち、ミネヤナギ型(過去)→ダケカンバ型(現在)→ブナ―ダケカンバ型→アオモリトドマツ―ブナ―ダケカンバ型と遷移するものであろう(図15)。

図15 前岳北東斜面略図


  Bd2田代萢の南側に帯状をなして発達するものにおいては、優喬木級のものにごく少量のミズナラがあり、従喬木は壮齢のダケカンバが密生してほとんど完全な一斉林型をとり、ただその樹冠間隙にアズキナシ、ハウチワカエデ、チシマザクラ等のごく少量点生があるのみ。灌木階としてはその種類も数量も極めて少なく、ハイイヌツゲ、コマユミ、ノリウツギのごく小数を認めたるのみ。草類階としてはヤマドリゼンマイ、ゼンマイ、チゴユリ、ニッコウシダ、マイヅルソウ、シシガシラ等多く、また蔓茎類にはツタウルシ、ゴトウヅルがあるのみである(図16)。

図16 田代萢南側付近略図


  本区はダケカンバ群落としては極めて特異な状況を呈するもので、一般にダケカンバは乾燥地に群生するものである事は前述のとおりであるが、該所は泥炭湿原たる田代萢に接した場所であり林地は上層に厚い泥炭層を有しているので、過去において泥炭地Fであった事は確実であるが、またさらにその下層には湯華※39)と化した硫黄を含有しているので、泥炭地となれる以前には八甲田火山の影響を受けて温泉(硫黄泉)湧出していた時代があった事も明らかである。

  現在の植相は上記のとおりであるが、ミズナラ大型木点生の林下にダケカンバが密な群状をなして侵入し現在に至った事は言うまでもない事であり、将来いかに遷移さるものであるかという問題については今までかかる実測に接していないから不明である。とにかく泥炭地にダケカンバが侵入したという事は他にも原因があるかも知れないが、泥炭地はPHが酸性であり遊離した有機酸類を含有しているので、植物の根には酸が作用して水分吸収を困難ならしめるものであり、植物にとって生理的な乾燥地であるという事になる。かかる場所に一斉林をなしている現象は極めて珍稀な事であり、その植生連続の研究上学術的に該地は保護しなければならないものと信じる。現在は湯華採取を事業として実行しており将来付近一帯を伐採、発掘する事となっているのは寒心[かんしん]の至りである。

  Bd5赤倉岳北腹におけるものは前岳のBd3とほとんど同一であるので省略する事とし、

  Bd4においては、優喬木はダケカンバの大木散生し、その間にブナの混入があり従喬木級はこれらのものを欠きナナカマド、ゴンゼツ、ハウチワカエデの極少量があるのみ。灌木階には全面にチシマザサが繁茂し、幼齢のダケカンバ、ブナを混入する他、アラゲコバシジノキ、ミズキ、オガラバナ、ミヤマハンノキ、ハリブキ、ミネカエデ、オオバクロモジを混じ、草類階ではマイヅルソウ、ホソバノナライシダ、シラネワラビ、ミヤマカタバミ、タニギキョウ等が多い。

  本区においてはダケカンバ喬木と灌木とあって従喬木を欠き、すなわち老齢と幼齢のみで壮齢を欠いている状態をなしているが、その遷移を考えれば過去においてはミネヤナギ型、ダケカンバ単純型(幼-壮齢期)を経て現在に至ったものであろうが、将来は混入因子から見てブナ林に移る事は事実らしいが、その後は標高および周囲群落から考えてアオモリトドマツの混入があり、該区も結局“アオモリトドマツ―ブナ―ダケカンバ群叢”の型となって終局の型となるものであろう。

  Bd8雛岳中腹を取囲むものにおいては、ダケカンバは優喬木として老齢樹の点生があり、また従喬木として壮齢樹は多数をしめ、他種類としては灌木階でやはりチシマザサ最も多く、他にハウチワカエデ、コバシジノキ、ミズキ、ムシカリ、ミネザクラ、ナナカマド、ミネカエデ、ハリブキ、オガラバナ、ミヤマハンノキ等混入し、草類階ではサカゲイノデ、ヤマブキショウマ、サンカヨウ、ミゾシダ、オオバショリマ、ミヤマスミレ、タケシマラン、シラネワラビ、タニギキョウ、オオバノヨツバムグラ、ミミコウモリ、ヒメカンスゲ、マイヅルソウ、コイチヨウラン等が多い。

  雛岳中腹は環状をなして各方面とも荒廃をなし、特に北面において荒廃の度が著しく、現在はダケカンバ群落が多く、また“DaⅣミネヤナギ型”の相を辿りつつある場所もかなり見出されるが、かかる場所は周囲から次第にダケカンバ群落の侵入を受けつつある現状である。したがって、この区は過去において人為力かあるいは天然力により群落が破壊され、現在はその回復の途中相をなして安定に向かって進行しつつあるものと推定されるが、周囲群落その他を総合して次のとおり遷移するものと思われるのである。

  ミネヤナギ型(過去ただし、一部現在にもDaⅣ型として残れり)→ダケカンバ型(現在)→ブナ―ダケカンバ型→ブナ型(終局)

もちろん、標高は900m―1,100m間であるので、アオモリトドマツの混入があってアオモリトドマツ―ブナ―ダケカンバ群叢となり極盛相に達するものであるかも知れないが、現在ではアオモリトドマツは周囲にほとんど認められないので、もし将来アオモリトドマツの異常な発達でも見ない限り将来の混入は期待されないものと思われる(図17)。

図17 雛岳北面付近略図


  Bd10・Bd11地獄沼付近においては、最上層はダケカンバで未だ侵入後時の経過が少ないものらしく壮-幼齢木多数をしめ、他にナナカマドの混入がある。灌木階ではチシマザサ、ナガバネマガリ断然多く、他にミネカエデ、ムシカリ、シロバナシャクナゲ、アカミノイヌツゲ、ハウチワカエデ等を混入し、草類階ではコイチヨウラン、ツルリンドウ等があるのみ。

  この区は地獄沼の噴出によってその周囲が著しく荒廃したのであるが、現在はその回復の途中相として種々な過程を現出している。すなわち、未だ閉植生の最も初期の型である所の爆発性(噴火による)荒廃裸地から“ガンコウラン―アカモノ型”、それにハイマツが侵入したもの“ハイマツ型”がチシマザサにより次第に圧迫されているもの“チシマザサ型”、それにダケカンバ、アカミノイヌツゲが侵入したもの“ダケカンバ型”等があり、噴出の影響をあまり受けていない場所、すなわち地獄沼から次第に離れた安定した場所では次第に“アオモリトドマツ―ブナ―ダケカンバ群叢”に移行しているのである。すなわちこれらの遷移関係は大体表12のとおりであると思われる。


表12 アオモリトドマツ―ブナ―ダケカンバ群叢の遷移関係


 Bd13蔦赤倉岳東腹においては、その頂上の東側にある1,000m標高峰に至る頂上付近の中腹斜面で、主として北に傾斜し赤沼南側断崖状急傾斜地を占めるもので、現状はダケカンバを主体としブナ、イタヤカエデ、および少量のサワグルミが喬木階を占め、従喬木にはこれらの他コバシジノキ、ナナカマドの少量を混入し、灌木階ではチシマザサ最も多く他にハウチワカエデ、ムシカリ、ヒメアオキ、サワアジサイ等やや多きものであり、ツルシキミ、ヒメモチ、コマユミ、カラスシキミ、アオモリトドマツの少量を混入す。草類階ではミヤマカンスゲ(ゴンゲンスゲ)、ナガバシラネワラビ、シノブカグマ、タニギキョウ、ヤマソテツ、ホソバノナライシダ、ミヤマカタバミ、シシガシラ、ヤマイヌワラビ、ウマノミツバ、サカゲイノデ、ジュウモンジシダ、ウメガサソウ、オシダ等が認められた。蔓茎類ではゴトウヅルのみがかなり多数認められたが纒続するものは少なく一般に地面を匍匐している。

  このような植相状態から考えると現況はダケカンバが極めて優勢であるが、これは一時的な現象にすぎず、現在も一部にアオモリトドマツの侵入を見ているので終局においては本来の極盛相たる“アオモリトドマツ―ブナ―ダケカンバ群叢”に進むものと思われる。

  以上は大体八甲田山地方、すなわち南北八甲田連峰の高標高地における本群叢の現状であるが、これらは大体終局型として“アオモリトドマツ―ブナ―ダケカンバ群叢”に達するもののみである。当地域においては、さらにこれらの他にアオモリトドマツ群落に関係しない本群叢のような退化的群叢が存在する。それは一般にアオモリトドマツ群落の遥か下方、またはその発達区域とは遥かに離れた場所等に発達するものであり、周囲は主としてブナ群叢によって占められるものである。したがって、ブナ群叢Daの退化的(一時的)群落をなすもので、すなわち終局の型はブナ群叢となるべきものである。これは当然ブナ群叢Daの部で述べるべきであるが、現状はなおダケカンバが優勢であるので、便宜上本校で述べる事としたのである。この型は一般に十和田湖周囲に多い。

  Bd15蔦沼の東岸におけるものは、周囲はブナ群叢またはミズナラ群叢によって占められる。本群叢の発達する区域は蔦沼の東岸平坦地であり、ほとんど泥炭地に近いような型をなすのであるが、泥炭地内でもやや小高い部分に発達するもので、丁度泥炭地にハイマツが侵入しているものとほとんど同一に理解されるものと考えざるを得ない。すなわち、一般としては生育高度に差こそあれハイマツとダケカンバとはいずれも極端な乾燥性を好む陽好樹であり、当地域でこの両種が泥炭地に現れる例としては、ハイマツは標高の高い泥炭地すなわち上下毛無岱、睡蓮沼、太田代(大谷地)その他に発達し、ダケカンバは標高の低い泥炭地すなわち田代萢および当蔦沼等に発達する。しかもこれら両者のともに現れている所は無い様である。また、当地のものは田代萢南側のダケカンバ林とはややその趣を異にしていると思われるのである(図18)。

図18 蔦沼東岸付近略図


  当所においてはダケカンバ一種で、他に僅少のヤマハンノキを混入する事があり、従喬木はブナやや多く、アズキナシの少量を混入している。灌木階ではサワアジサイ、ノリウツギおよび少量のセンノキがあるのみ。草類階ではニッコウシダ、オニシモツケ、ミゾソバ、サトメシダ、タツノヒゲ、ヤマブキショウマおよび少量のエゾシロネ、エゾアブラガヤ、ナナカマドを見る。蔓茎類ではゴトウヅル、ツタウルシを認めるが、いずれも量は僅少である。

  これら各因子によって明らかなとおり該所は泥炭地の周縁に次第にダケカンバが侵入したものであるが、現況においてはすでに従喬木階にブナ多数を混入しているから、湿性植生(ヒドロセレ)※40)として将来は“ブナ―ミズナラ型”を経てブナ型に遷移するものと思われる。すなわち、その変化は次の如し。

  泥炭地 → 泥炭地にダケカンバ侵入 → ダケカンバ型 → ダケカンバ―ブナ型(現在)→ ブナ―ミズナラ型 → ブナ型

  十和田湖方面における本群叢は、前述のような八甲田方面におけるものと異なり、ブナ群叢中に介在しまたはその周縁に残存するもののみであるが、これはブナ群叢における植相連続の一過程にすぎない。すなわち、ある一群系に属する森林においてその森林が何等かの原因により破壊された場合はその群系に属する陽好性灌木の侵入を見る事もあるが、また時にはその属する群系によりさらに高所に発達すべき群系中の陽好樹種が下降発達して、著しい純群落を形成する事も数々見られる。例を挙げて見るならば、前者に属するものにはB群系中のミネヤナギ、チシマザサ、D群系中のオオバクロモジ、キイチゴ、クマイチゴ等があり、後者に属するものにはB群系中にA群系のハイマツ、E群系のガンコウラン、アカモノ等が、D群系中にB群系のダケカンバ、チシマザサ等がそれぞれ発達する事である。かかる現象はその原因を明らかにするを得ないが、このところに述べた各要素はそれぞれ極端な陽好性のものであり下方の裸地を求めて群生するものと理解するので、“樹種の下降生育”という言葉を使用したいと思う。また、本来の群系より他に出でるという事はそれ自身円満な生育をなさない事となるから、“樹種の下降生育”があった場合はいずれも退化的のものである事を意味する。

  本区の様にブナ帯にダケカンバが下降生育する場合は、一般に侵入の最初においては極めて優勢な生育をなすものであるが、壮齢期以後は本来の郷土に比較して外囲環境が一般に良好にすぎる条件をなす。その時は、本種はかえって幼時の成長旺盛に比較して壮齢期以後は生長が著しく緩慢となる性があるから、次第に他の本帯を郷土とする樹種により内部から蚕食されて次第に圧倒されるに至るのである。

  Bd16膳棚山(御花山または御鼻部山)は標高1,011.0mを有する十和田外輪山中北側の高所であるが、北面は緩傾斜をなして上北南津軽両郡界の山稜に連なり、南面は甚だしく急斜面をなし各度はおおよそ40度をなして湖岸に至るのである。この山頂北面の緩斜面地帯は、一帯に本群叢に属するダケカンバの老大木の散生林である。すなわち、優喬木には大型なダケカンバが散生し、他にブナの壮齢級のものを混入している。従喬木にはダケカンバ、ブナ、ハウチワカエデ、ナナカマド、ベニイタヤ、シナノキを混入する。灌木階ではチシマザサ、オクヤマザサほとんど全面を被い最も優勢であるが、他にムシカリ、ナナカマド、サワアジサイ、ミズキ、ベニイタヤを混入する。草類階ではシラネワラビ、ゴンゲンスゲ、ヒロハノイヌワラビ、トチバニンジン、ホウチャクソウ、マイヅルソウ、サワハコベ、ミヤマカタバミ、アケボノシュスラン、タニギキョウ等多く、蔓茎類にはゴトウヅルがあるくらいのものである(図19)。

  これにより考えれば本区はすでにダケカンバの壮齢をすぎ、他のより陰性な樹種、殊にブナ侵入を認められるので、前述のとおりダケカンバは今後成長緩慢となり、これに対しブナは次第にダケカンバを圧して好条件に恵まれブナ群叢に移行するものと思われる。

図19 膳棚山頂上付近略図


  Bd18御子岳(十和田山)中腹南―西斜面、標高900m以上においては、頂上付近に発達する“高山灌木帯Ab19”の直下にダケカンバが群生しているのであるが、その状況はチシマザサ群落の上層にダケカンバが散生して上層群落を形成している。ただし、本区は尾根上に沿い周囲のブナ群叢中を狭長に下降している。この尾根上におけるブナとの混交部は、優喬木はダケカンバ、ブナの両種が大体7:3の割合で混交し、従喬木にはベニイタヤ、ナナカマド、コバシジノキ等があり、灌木階はチシマザサ断然優勢で、他にミネザクラ、ムシカリ、ヒメアオキ、ミネカエデ、ノリウツギ、ツルシキミ、ハイイヌガヤ、ムラサキヤシオツツジ等があり、草類階ではマイヅルソウ、ゴンゲンスゲ、サンカヨウ、タケシマラン、ギョウジャニンニク、タニギキョウ、ヤグルマソウ多数を占め、他にシラネアオイ、シシウド、トリアシショウマ、ユキザサ、リョウメンシダ、ヒロハノイヌワラビ、ツクバネソウ、オシダ等の混入がある。蔓茎類ではゴトウヅル、ツルウメモドキの両者があるのみ。

  本区も前者同様ダケカンバの幼-壮齢期をすぎ、ブナ混入によってダケカンバ壮-老齢木の散生混入となったものであるが、将来ブナ群叢に移行する事は言うまでもない(図20)。

図20 御子岳頂上付近略図


  Bd19三つ岳(戸来岳)山腹920m―1,060m間、Bd20同上南腹920m―1,000m間、Bd21同上西南方2kmばかりの十和利山(標高990.9m方言トガリ岳)頂上付近900m―990m間等の3者はいずれも十和田外輪山上において三つ岳から南方に延びた尾根上高所に散生するものであるがこれらのうち、

  Bd19においては三つ岳高山帯にあたり高山要素を多数に含有している。すなわち、優喬木にはダケカンバ、ナナカマド、ブナを含み、このうちダケカンバは最も優勢である。灌木階ではチシマザサ断然多く、全面を被い他にミネヤナギ、アジサイノリウツギ、ミネカエデ、ムシカリ、ミヤマハンノキ、コバシジノキ、オオバクロモジ、ゴンゼツ、ヒロハハナヒリノキ、ハウチワカエデ、アカミノイヌツゲ等を混入する。草類階ではミゾシダ、シラネワラビ、マイヅルソウ、タケシマラン、ヒメモチ、ヒメカンスゲ、ホソバノトウゲシバ、オオイタドリ、コイチヨウラン、ツルアリドオシ等が多い。

  Bd20においては、優喬木はダケカンバ一種のみであり、壮齢級の立派な一斉林をなすものである。従喬木にはナナカマド、ミズナラ、ブナ等があるがいずれも少量である。灌木階ではチシマザサ、オクヤマザサ等が多く、他にサワアジサイ、ノリウツギを混入し、草類階ではハンゴンソウ、イワニガナ、ヤマヌカボ、ツボスミレ、ゲンノショウコ、ノウゴイチゴ、ミヤマワラビ、トボシガラ、ミゾシダ、ミノボロスゲ、ミヤマスミレ、キツネノボタン、オシダ、オオバノヨツバムグラ、シシガシラ、マイヅルソウ等がある。

  Bd21十和利岳(トガリ岳)における主なものをあげれば、優喬木はダケカンバおよびブナの両種、従喬木ではコバシジノキを主とし、灌木階はオクヤマザサ多く、他にムシカリ、ナナカマド、ハウチワカエデを混入し、草類階ではシラネワラビ、マイヅルソウ、ヒメアオキ等がある。

  これら3者は標高の高い部分から低い部分に渡ってそれぞれ発達しているので、混入因子も異なっているからそれぞれ異なった発達をするものであろうが明瞭でない。後の2者の安定型はブナ群叢である事は異論のない所と思われる。前者は標高が著しく高く高山帯要素を多数含んでいるので、針葉樹が無い場合の安定型たる前記、“AbⅡアカカンバ型”に近い型と理解する見方もあるから遷移関係は明らかでない。ただ、1,000m以上のものは比較的永く現状を維持するものといえる様である。

  Bd27休屋部落南方1kmばかりにあたる785.5mの高地から、西南に延びた外輪山尾根上に発達した一群落がある。本所の植相は優喬木にはダケカンバ、ブナの両種が多く、他にホオノキ、シナノキの少量を混入し、従喬木にはこれらの他アオダモ、ナナカマド、ハウチワカエデがあり、灌木階にはオクヤマザサ、ウワミズザクラ、ツノハシバミ、ムシカリ、ノリウツギ、オオバクロモジ、サワアジサイ、ヒロハハナヒリノキ等が多い。草類階ではヒメアオキ、マイヅルソウ、サンカヨウ、シシウド、ツルリンドウ、シラネワラビ、エンレイソウ、ヒゴクサ等が多い。

  本区は南畝に緩傾斜が広く続き、秋田県大湯村に接し西南方12kmを隔てて小坂鉱山にのぞみ、同鉱山から噴出される亜硫酸ガスの影響を多少なれども受けている事実が看取される。当地方の特徴として西よりの風の強いのは言うまでもなく、12kmを隔ててもなおその有毒作用止めないので、その距離と風向とに反比例して亜硫酸ガスの有毒作用をいかんなく発揮するものである。本区においては前述のとおりダケカンバはブナと混交して大型木をなしているが、部分的に団状に枯死しているのが認められた。ダケカンバ以外の樹種は枯死を免れている様であるが、生育にはかなり影響を受けている様子で、樹皮には硫気作用を受けた特長として他に見られない微紅帯白色を帯ぶるものが多く、この色は風上に面したもの程著しい。この例は、秋田県内を鉛山峠から徳兵衛平を経て小坂町に向えばその著例が各所に認められる。ダケカンバが枯死せるものはブナと混交してこれらの樹冠から著しく抽出した大型木のみであるが、老大[ろうだい]となって枯死したものとは考えられない。もちろん老大となって枯死に瀕したものもあるかも知れないが、亜硫酸ガスの影響によって枯死を速進せしめられたことは事実であろう。

  以上は当地域におけるダケカンバ類の群落について述べたのであるが、当地方にはダケカンバ類の他それに近い同一科属内に属するもので一般性質の相似たウダイカンバ、シラカンバ、オノオレカンバの3種類の群落が散在している。ただし、これら3群落はいずれも地層の比較的古いやや安定した十和田湖付近にのみ見られるのは注目に値する。


Bd II ウダイカンバ退化型 

Betuletum candelae

(Betula candelae community-type)

  ウダイカンバ、別名サイハダカンバBetula candelae KOIDZUMIを種類として見た場合は当地域では酸ヶ湯新湯、蔦方面にも認められるけれども群落として考えた場合は十和田湖岸を除いた他の方面はいずれも群落を支配する要素とはなっていない。

  十和田湖畔においては宇樽部付近に多く、また滝ノ沢付近にも認められる。いずれにおいても標高は比較的低く450m―600mを出ず、周囲群落は“DaⅢブナ―ミズナラ-イタヤカエデ型”のみである事は注意を要する。環境としては表土が浅い場所で地面が露出し充分な陽光を受けかつ湿潤な場所に群生するもので、かかる場所は沢通り帯に近い急峻地で崩壊その他の外的原因により地面が露出されたと思われる場所であり、方位や風当り傾斜度には無関係の様である。ただし、本種も前種ダケカンバと同様陽光性樹種であり群落として永続性に乏しいと思われるので、当地域の本群落は退化的群落となし、終局においては“DaⅢブナ―ミズナラ-イタヤカエデ型”に帰着するものと思われる。

  宇樽部付近においては宇樽部―休屋間の峠尾根上のBd24、宇樽部南方山麓のBd23、宇樽部―御子岳(十和田山)間山脈のBd22等に発達しているけれども、このうちBd23を例にとりその植相状況を述べれば次のとおりである。

  優喬木はウダイカンバ最も優勢で、他にサワグルミ、ブナ、ホオノキ、センノキなどの僅少を混入し、従喬木にはこれらの他、ミズキ、ベニイタヤ、シオリザクラやや多く、他に僅少のアオダモ、トチノキ、ニガキの混入、灌木階ではミズキ、シオリザクラ、ホオノキ、ベニイタヤ、アオダモ等の他オクヤマザサが最優勢であり、他にタラノキ、ニワトコ、ヒロハハナヒリノキ、オオバクロモジ、イボタ、シナノキ、コマユミ、ハイイヌガヤ、ナンブクロカンバなどを混入す。草類階では種類も量も多く、タニギキョウ、クルマムグラ、チゴユリ、オシダ、トチバニンジン、ムカゴイラクサ、サラシナショウマ、ウマノミツバ、リョウメンシダ、ユキザサ、ツボスミレ、マイヅルソウ、ホウチャクソウ、ウスバサイシン、ガンクビヤブタバコ、ヅダヤクシュ、ジュウモンジシダ、ミヤマベニシダ、タマブキ、ハンゴンソウ、エンレイソウ、コウライテンナンショウ、ノブキ、ヤマニガナ等があり、蔓茎類でオニツルウメモドキ、ツルマサキ、ヤマブドウ、コクワヅル、ミツバアケビ等があるが前両者は地上匍匐性のものが多い。

  このように優喬木、従喬木、灌木階、草類階を通じて種類も量も多数を占めている事は、生存競争が最も盛に行われている時代、すなわち外囲力の破壊によって生じた裸地に開植生の時代を経て次に現れた閉植生の初期の型を意味するものであり、これは回復の度が進むに従い次第に種類の数を減じて各種類の量を増し、終局においては上、中、下各層が自ら一定の種類を現し種類が極めて僅少となるべきものであり、本区は結局DaⅢ型に落着いたものと思われる。

  滝ノ沢付近においては、滝ノ沢より黒石街道に沿った上り道の途中にあるもので標高520m―580m間に2ヶ所Bd32、Bd33に分れて発達するものであるが、該地においてはいずれも崩壊跡地で基岩の露出している場所にのみ群生している。

  この部分は閉植生の比較的新しいものであるので、優喬木級のものは未だ発達していず壮齢木として従喬木級にウダイカンバ最も多きはもちろん、他にブナ、ベニイタヤ、ハウチワカエデ、ダケカンバ、ミズナラがあり最上層を形成している。灌木階ではウダイカンバ、ブナ、ベニイタヤの他、オクヤマザサが最も優勢で、他にオオバクロモジ、ヒメアオキ、ムシカリ、コマユミ、シナノキを混入し、草類階ではオクノカンスゲ、ヤブコウジ、ホソバナライシダ、ミヤマイタチシダ、オシダ、シシガシラ、ヒメモチ、サワダツ、ツクバネソウ、ヤマソテツ等がある。
  蔓茎類ではオニツルウメモドキ、イワガラミがある。これら諸因子によっても明らかなとおり、本区は沢通りに極めて近いに拘わらず湿潤性のものに乏しく、やや乾燥性のものが多い事は基岩の露出を示すものと思われる。また、優喬木がなく壮齢木のみである事は、崩壊後あまり永年月を経過したものでないか今後次第に回復し極盛相に向かって進むものであり、現在はその初期のものである事が首肯される。


Bd III シラカンバ退化型

Betuletum tauchii

(Betula tauschii community-type)

  シラカンバBetula tauschii KOIDZUMIの垂直的生育地は、ダケカンバに比較して著しく下部に生育するものである事は武田博士その他の諸泰斗[たいと]※41)が等しく明示しておられる所である。

  まず、東北地方全般、特に北上山系においては、“Dブナ―ミズナラ―トチ―サワグルミ―カツラ群系”の荒廃地に侵入する第二次林に相当するものであるとすべきものである。それが当地域においては他樹種に圧倒されて生育区域を減少され、したがって生育量も僅少となり群落遷移にあずかる力がないものと考えられる。

  当地域においては十和田湖畔御倉半島頭部西岸に2ヶ所、Bd25およびBd26いずれも僅少な面積を認められるにすぎず、環境は西向きで断崖から落下した岩石が累積した所で湖岸に直接に接する部分である。

  その植相状況は優喬木ではシラカンバ一種が全面を被い、僅少のミズナラを混入、従喬木ではシラカンバ、ナナカマドが多く、ミネカエデ、ミズナラ、ヤマウルシ、ミヤマザクラ、ヒメコマツ、コバシジノキ、ウリハダカエデの少量を混入する。灌木階ではムラサキヤシオツツジが最も多く、他にシラカンバ、ナナカマド、ケヤマハンノキ、ミネカエデ、オオバクロモジ、リョウブ、ホツツジ、ミヤマザクラ、コヨウラクツツジ、エゾノリウツギを混入する。草類階で珍品ウサギシダ最も多く、他にアキノキリンソウ、オシダ、ミヤマワラビ、ヒメノガリヤス等があり、蔓茎類ではゴトウヅルがあるのみ。これらによっても明らかなとおり、灌木階に石南科灌木の種類も量も多い事はそれ自体生育地が岩石地、乾燥地である事を意味しており、この事はまた、草類ヒメノガリヤスの存在によっても推知し得る所である。終局の型は“DaⅢブナ―ミズナラ-イタヤカエデ型”であろう。


BdIV オノオレカンバ型

Betuletum schmidtii

(Betula schmidtii community-type)

  オノオレカンバは当営林署管内においては岩手県中部以南、宮城県等に多産するものであるが、以北においてはほとんどその姿を認められない。それなのに奥入瀬川中流部に本種の小群落を認め得た事は注意を要するが、当然当地は現在までの分布北限地であり、生育不良である事は言うまでも無い。したがって、群落遷移に関与する様な勢力なく、南方要素遺留分子としてかろうじて生育を持続しているにすぎない。当然充分の保護を加える必要に迫られている。


Be チシマザサ退化的群叢

Sasetum kurilensis

(Sasa kurilensis Association)

  これはB群系の全部、D群系の上部、時にA群系の下部等にわたり、中山地帯以上の高地に広がるササ類の単純群落である。すなわち、高地において崩壊、伐採、火災、風倒その他の影響により地面が露出した場合、その跡地に現出しやすい植生である。元来高地は気温、湿度、その他の環境が変化著しく、一度裸地が現出する場合はそこに草本類その他が発生して、植生連続を行う速度が一般に下部の低山地、平地に比較して著しく遅い事は言うまでもない。ササ類は概して陽光を好む種類であり、また瘠悪地[せきあくち]でもなお生育するので高山の裸出地に群生しやすいものであるが、立地の状態により植生成立に遅速がある。すなわち、以前にもその場所にササ類が生存しており鬱閉が密な場合でも根茎の遺存等によりそれらササ類の絶滅していない場合、また、生じた裸地の周囲にササ類繁茂しかつ裸地が過度の乾湿に傾かざる場合等は、ほとんど草生時代と認むべきものを経過する事なく迅速にササ類の群落を構成するものである。しかもササ類はその性質上根茎の成長速かで、かつ強靭また地表に近く密に根茎を拡張し、また地上部も甚だ密集成立しやすいので、一度密集群落が成立したところは他植物は容易に侵略できないが、本群落においても他樹種の侵入を全く許さないのではない。殊に時の経過に伴って土壌が安定し、その肥沃度を増加すれば次第に他樹種、すなわちアオモリトドマツ、ダケカンバ、ブナ、ミヤマハンノキ、ミネカエデ、アカミノイヌツゲその他の侵入が可能となる。

  これらは種子発芽にあたり光線をあまり欲しないので、ササ林床上にも発芽し得るものであるが、ただし、ササと同長の高さに達するまでの期間は極めて永く、その間に枯死するものが大部分を占めている。

  もし、これ等の樹種が生長してササ類の樹冠※42)を抜ければ生長は急に迅速となり、遂にササ類を被圧して優勢となり、それらの群落から遂に立地本来の群叢成立に至るのである。

  もちろん、このササ類群落から他の安定群落に遷移する途中相と理解する事ができるので、ひとつの退化的群落として取り扱うのが穏当[おんとう]と考えたのである。

  なお、本群叢は独立の一単位とみなしたのであるが、これはササ類が単純群落をなし他樹種の混入僅少な部分のみを指摘するものである。これら単純群落の他、ササ類の一般的な安定型にはササ類を中層以下に有す復層林があるか、復層林のものは上木の個々の群叢に所属するものと理解する事とした。

  要するにササ群落としてはD群系の上部からA群系の下部まで達しているが、大部分は上木を有する復層林下のものであり、これら安定型を除いた他のササ単純群落換言すればササの不安定型を本群叢として取り扱う事としたのである。

  当地域に産するササ類について群落遷移に関係する種類を吟味して見ると、現在の様にササ類の分類学的研究が盛んになり種類が饒多※43)になっており精細なものとはならないが、我々が認識し得た種類について列挙すれば大体次のようなものである。

(1936年度盛岡高等農林学校、内田繁太郎博士同定による)

(1)ジダケ Sasamorpha purpurascens NAKAI var. borealis NAKAI

(2)イワテザサ Sasa rotundissima MAKINO et UCHIDA

(3)メクマイザサ S. ontakensis NAKAI

(4)オオバザサ S. megalophylla MAKINO et UCHIDA

(5)チマキザサ S. paniculata MAKINO et SHIBATA

(6)ハヤチネザサ S. hayachinecola MAKINO et UCHIDA

(7)ナガバネマガリ S. kurilensis MAKINO et SHIBATA var. uchidae MAKINO

(8)オクヤマザサ S. kurilensis, var. ceruna NAKAI

(9)チシマザサ S. kurilensis, var. genuina NAKAI

(10) イヌシャコタンチク(新梢) S. kurilensis MAKINO et SHIBATA  f. pseudo-nebulosa m.

  これら各因子の群落、分布状態を調査した結果によれば、

 ジダケは渕沢部落付近(焼山―法量間)、奥入瀬中流南岸の尾根上、十和田御倉半島等に見出せるものであるがいずれも急傾斜地または岩石地をなし乾燥性の場所である事は言うまでもなく周囲群叢(上木を含む)はブナ帯下部、すなわち“DaⅢブナ―ミズナラ-イタヤカエデ型”から“トチ―サワグルミ―カツラ群叢”に渡って見られるものである。ただし、群落としての占有面積は著しく僅少である。

 イワテザサは渕沢-焼山間、温川付近その他で認めたもので“トチ―サワグルミ―カツラ群叢”内の湿潤地に群生する事が多い。

 メクマイザサは蛭貝山(城ヶ倉下部から横岳北腹を通り黒石方面に出る街道付近)その他に認められるもので、周囲群叢は“Daブナ群叢”中の“DaⅡ―DaⅢ型”である。

 オオバザサは黄瀬山下部その他に認められるもので、周囲群叢は“DaⅢ型”である。

 チマキザサは大岳下赤水沢、蛭貝山、蔦、奥入瀬、黄瀬十和田湖畔等に広く分布するものであり、周囲群叢も“Da群叢”から“Bc群叢”にわたり、その生育範囲は極めて広い。

 ハヤチネザサは蛭貝山、十和田湖畔等に多く、チマキザサ、メクマイザサ等と混交し周囲群叢は“Da群叢”から時に“Bc群叢”におよぶものである。

 ナガバネマガリダケは大岳下蔦、奥入瀬、黄瀬、膳棚山、大川岱、御子岳その他に生じ分布はかなり広い。周囲群叢は“Bc群叢”、“DaⅠ型”等である。

 オクヤマザサは大岳、蛭貝山、奥入瀬、黄瀬、大川岱その他に生じ分布は極めて広い、周囲群叢は前同である。

 チシマザサは当地域の最高所に生じ、採取し得た標本には大岳、小岳、毛無岱、酸ヶ湯、乗鞍岳、御子岳等のものがある。周囲群叢はB群系に最も多く時にA群系におよぶ単純群落を形成するものが多い。

 イヌシャコタンチクは硫黄岳、城ヶ倉、蛭貝山などに産し、いずれも小群落をなすにすぎない。周囲群叢は“Ba―Bc―Da各群叢”である。

本種はシャコタンチクSasa nebuloa NAKAIに似ているが、それは主として培養種であり斑紋が完全な同心円形をなし葉も大型なものであるに比較して、本種は天然生で斑紋が完全な同心円形をなすもの無く極めて雑然としており、葉その他はチシマザサと異ならないのでSasa kurilensis一品型と認めた次第である。

これら各種類につきその垂直分布を示せば次のとおりである(図21)。

図21 Beチシマザサ退化的群叢の垂直分布


  これらによっても明らかなとおり、各種類(因子)によりそれぞれ生育標高限界を異にしているのである。

本群叢は主として高所に発達するものであるけれども、まず本群叢から除外したササ類群落について一言すれば、低所すなわちブナ帯以下に発達すべきササ類は他地方においては崩壊、伐採、火災、風倒等の跡地に群生する性質があるのであるが、当地域においては“ブナ帯以下”の開放地の大部分は牛馬の放牧地として利用されているので、その食害によりササ類の繁殖を制限されているのである。

  つまり、当地域においてはブナ帯以下に生ずる因子はブナ林の下層群落として生育する以外に群落の大きいものを形成する事ができない状態にあるのである。したがって、ブナ帯に生育するササ類は、群落的には独立の主要因子をなさずに他の優喬木の随伴種となるものが多いのである。

  当地域において本群叢の主要因子をなすものはチシマザサがある。ただし、本因子も亜高山帯以上の地に大群落を形成するものではあるが、群落的には大体2型に分れる。ひとつは、“BaⅠアオモリトドマツ―チシマザサ型”における潅木層として優勢を保つもので、これらについては前記“BaⅠ型”で述べたとおりである。他のひとつは、ササ類群落の極端な一型としてチシマザサ一種の単純群落をなすものである。

  以下この単純群落につき当地域の植相を述べる事とする。

  当地域におけるチシマザサ単純群落の発達区域は、前岳頂上東面Be1,赤倉岳北―両面Be2、Be6、Be7、田茂萢岳北面Be3、Be4、Be5、硫黄岳東面Be8、横岳頂上東南面Be9,櫛ヶ峯東面Be10、乗鞍岳東南面Be11、蔦赤倉岳北面Be7等、主として南・北両八甲田連峰に認められるものであるが、これらのうち主なものについてその概況を見るに、

  Be1前岳東面においては標高1,040m―1,250m間急斜地をなし、西風に保護されるも冬季は大雪庇を生じ残雪はかなり長期間残存する場所である。喬木性のものは皆無であり、灌木階(上層)ではチシマザサ全面を被って断然優勢であるはもちろん、他に混入因子としてナナカマド、ヒロハハナヒリノキ、ミネカエデ、ムシカリ、クロウスゴ、アオモリトドマツ、タニウツギ、オオバスノキ、ミネヤナギ、チシマザクラ、ヒメヤシャブシ、ハウチワカエデ、ミヤマホツツジ、ダケカンバ、ホツツジ、ミヤマナラ、アカミノイヌツゲ、コメツガ等種類は極めて多いが、量はいずれも極めて僅少である。草類階の主たるものは、イワノガリヤス、マイヅルソウ、ツルシキミ、シノブカグマ、ミツバオウレン、オオイワカガミ、アオヤギソウ、イワガラミ、オオバキスミレ、ハリブキ、アキノキリンソウ、コイチヨウラン等があるがこれらは主として各混入灌木の根元に生ずるもの多く、チシマザサ下に生ずるものは少ない。これらによっても明らかなとおり、該所はチシマザサの不安定型に相当するもので、将来“Baアオモリトドマツ単純群叢”または“Bbアオモリトドマツ―コメツガ群叢”に遷移するものと推定される。

  Be10櫛ヶ峯東面は標高1,220m―1,480m間であり、傾斜はほぼ一定し全面やや湿潤で冬季は積雪量甚大である。灌木階はチシマザサ全面を被覆して最も優勢であるはもちろん、ダケカンバ、ナナカマド、ミヤマハンノキ等がチシマザサの樹叢を抽出※44)して僅量に散在する。これらの他ミネカエデ、クロウスゴ、ミヤマホツツジ、オオハナヒリノキ、イヌツゲが僅少ながら混入している。草類階ではショウジョウバカマ、ゴゼンタチバナ、イワカガミ、ミツバオウレン、ヒメモチ、ハクサンボウフウ、マイヅルソウ、イブキゼリ、アキノキリンソウ、オオバショリマ、ベニバナイチゴ、イワイチョウ、オガラバナ等がチシマザサのやや疎生する部分、または混入灌木の根元に散見される。

  本区は上部および南・北両面に高層湿原F62を有しており、しかもその含有諸因子および地面に泥炭層の存在する事により推察するに、過去において高層湿原F62は現在より以上広大な地区を有し、現在のBe10の大部分を包含しあったものと思われるが、その後の遷移によりチシマザサ侵入して遂に現状を現わし、将来は終局型として“Ba群叢”に遷移するものであろうと思われる。すなわち、高層湿原→チシマザサ型→広葉灌木型(現況)→アオモリトドマツ―チシマザサ型(BaⅠ)となり安定するものと思われる。

  Be11乗鞍岳東―南面においては、標高1,050m―1,440m間にして傾斜度は甚急、全面やや湿潤、冬季は積雪量甚大である。その状況は、灌木階はチシマザサ全面を被い最も優勢であるはもちろん、他にアオモリトドマツ、ミネカエデ、ミヤマホツツジ、ベニバナイチゴ、ナナカマド、ハナヒリノキ、オオバスノキ、コヨウラクツツジ、アカミノイヌツゲ、ミヤマナラ等の少量を混入し、草類階ではタカネショウジョウスゲ、イワカガミ、ミツバオウレン、イブキゼリ、ショウジョウバカマ、アカモノ、ツルシキミ、ヒメモチ、イヌツゲ、ツマトリソウ等を混入している。

  これらによってこれを見れば、混入灌木類は未だチシマザサの葉層から抜ける事ができず、現在これら灌木とチシマザサの生存競争最中である。チシマザサは現在において本来の樹高に達しさらに伸長の可能性は無いのであるが、他の混入灌木はいずれもチシマザサの樹高を抜きん出て遥かに伸長し得る特性あるので、近い将来において幾らかの個体はチシマザサの樹叢を凌駕して、灌木型から遂には本区本来の終局群落たる“BaⅠアオモリトドマツ―チシマザサ型”に達し安定するものと思われる。

  これら3者を始め他の群叢に属するもののほとんど全ては、前述のとおり終局の安定型たる“BaⅠアオモリトドマツ―チシマザサ型”に向かって遷移しつつある途中相にあるのである。

  これらの成因は個々の場合により差異のあるのは言うまでもない事であるが、いずれにしても本来、“BaⅠアオモリトドマツ―チシマザサ型”たるべき場所が何等かの外囲条件に作用されて破壊し、その跡地にチシマザサが侵入発達して現況を呈したのである。したがって、大部分の場合は山頂直下の急傾斜地であり、冬季積雪量甚大で丈なる雪比を生ずる場所である事は注意を要する事である。

  この急傾斜地であるという事は夏季のみならず冬季までも積雪量が長期に渡るので、生育を制限されて植生連続の進行が著しく緩慢となり、その結果、現在の様に所々に比較的小面積の点在を見るに至ったものであろうと思われる。


C 温帯性中山地帯 ヒバ―ネズコ―ヒメコマツ―スギ群系

Jemperative mountain region: - Thujopsis - Thuja - Pinus - Cryptomeria Formation

  これは中山帯における針葉喬木植生である。従来の当営林局[第一回施業案業務資料(昭和10年)]において“Ecスギ―ブナ―ミズナラ群叢”、“Edヒバ―ネズコ―サワラ―ブナ―ミズナラ群叢”および“Fcヒメコマツ―シャクナゲ科灌木群叢”等に植生類別していたものであり、また東京営林局[森林植生分類(昭和7年)]において“Eaミズナラ―ダケモミ群叢”、“Ebブナ―ダケモミ群叢”、 “Ecブナ―ヒノキ群叢”、 “Edブナ―スギ群叢”、 “Eeブナ―ネズコ―サワラ―ヒバ―ヒメコマツ群叢”等と類別されたものがあったのである。

  また、従来の理学者、例えば中野治房博士は(植物群落と其遷移)において“針葉喬木林”として海岸のクロマツ林から高山のオオシラビソ、シラベ林までを全部包含せしめられた。もちろん、“針葉喬木林”という言葉は群系Formationより大きい単位を現したものである事は言うまでもないが、さらに精細に群系を単位として現したものは理学者には見あたらない様である。前者、すなわち林学者の意見は周囲群落を主眼として類別した結果である。後者理学者の意見は“針葉喬木”という大きい集団を一群落単位とみなされたのである。この両者の中間意見を取られたと理解されるものが本田静六博士の「日本植物帯論」である。

  まず、針葉喬木林をいかに理解すべきかが先決問題である。現在の本邦における針葉喬木の各種類が形成するそれぞれの群落を見れば、周囲に群落をなす他の広葉喬木が混入して針広混交の一群落を形成している場所が多いのであるが、この混交群落を本来の一群叢と理解するかまたは針葉樹林より広葉樹林に移る一途中相と理解するかによってその一斑[いっぱん]は決定される。

  本邦特に本州北部における針葉喬木の諸性質を通覧するに、一般に生活条件の不良な場所に面積の大小に関わりなく群落を形成してはいるが、その大部分はそれぞれ安定の型すなわち終局の型に達し得るものと思われてならないから、“針葉喬木林”を以て一群系団と解し垂直的区分の各帯によりそれぞれ異なった群系をなすものと理解するのである。

  この見解に従えば、垂直区分のいわゆる針葉喬木帯は他に比較して種類の分科も多く、またその各種の発生量も多いので、本群落の基準群系と理解し、海浜の低地にあるアカマツ―クロマツ(-モミ―ツガ)等の群落を極端型として“低地針葉喬木林”と命名し、これら両者の中間に位置するヒバ、ネズコ、ヒメコマツ、スギ等を“中山地針葉喬木林”と命名し、これら3者をそれぞれ群系に所属しようとするのである。

  しかも、針広混交林はこの見解から論ずれば、混交の安定群落となさずに針葉樹林から広葉樹林に移る一途中相と解すべき事となる。したがって、前述した従来当局において使用した“スギ―ブナ―ミズナラ群叢”、“ヒバ―ネズコ―サワラ―ブナ―ミズナラ群叢”、“ヒメコマツ―シャクナゲ科灌木群叢”等においてブナ、ミズナラその他の広葉喬木は介離して、別にブナ、ミズナラその他広葉樹を主体とした群系に入れ、針葉喬木はそれぞれ一括して本群系に所属せしめスギ、ヒバ―ネズコ―サワラ、ヒメコマツ―ムツアカマツ等をそれぞれ各群叢にせんとするのである。また東京営林局管内その他のものもこれに準じて区分なし得るものと信じる。ただし、随伴種または途中相的な混交種として現れたもの、あるいは植生連続上特に切離す事ができない広葉樹はこの限りではない。

  この意見にしたがって当地域内の針葉喬木群落を区分すれば、アオモリトドマツ、コメツガは垂直的区分における針葉喬木帯に相当し、基準的な針葉喬木林として“B亜寒帯性亜高山地帯アオモリトドマツ―コメツガ―ダケカンバ群系”に入れ、アカマツ(地域外ではクロマツも)は“低地針葉喬木林”に入れられ、ヒバ、ネズコ、スギ、ヒメコマツ、ムツアカマツ等はいずれも“中山地針葉喬木林”にそれぞれ所属せしめ、殊に最後者はこれを“温帯性中山地帯ヒバ―ネズコ―ヒメコマツ―スギ群系”となそうとするのである。

  なお、針広混交林の多くの場合を途中相と理解する事は前述のとおりであるが、途中相はそれ自身、動的のものであらねばならないから将来は針広いずれかに帰着して終局の安定型に進むものと思われる。さらにブナ林(あるいは広葉樹林)中に本群系の重要要素の一員が個体的(数本の場合もあれば数十本、あるいはそれ以上の場合もあり得る)に混入して下木の型にある場合、それの理解には次の両方の見方がある。

(1)針葉樹が前代群落の根跡をなす場合。

(2)針葉樹が群落開始の初期にあたる場合。

これら両者いずれに属するか看破する事は極めて困難な事であり、なかなか決定し得ないのであるが、一般には前者は将来の長年月間には絶滅してしまうべき運命に置かれているので、樹勢は一般に衰勢にある事は争われない。また、後者は将来広葉樹を圧倒して優勢にならんとしているので樹勢は一般に旺盛であるといえる様であるから、これらを看破する事はあえて至難ではない様に思われる。この場合前者は問題ないが、後者は現況が混交型をなす事は言うまでもないから、それを混交群落と理解する見方と針葉樹の独立小群落と理解する見方との両者がある。現在の様に森林植生の遷移が確認されている時においては、むしろ後者と理解するのが穏当であるといわねばならない。


Ca ヒバ―ネズコ群叢

Thujopsetum - Thujatum Thujopsis dolabrata - Thuja standishii Assosiation

  これは当営林局、従来“Edヒバ―ネズコ―サワラ―ブナ―ミズナラ群叢”と一致すものであり、東京営林局の“Eeブナ―ネズコ―サワラ―ヒバ―ヒメコマツ群叢”中からヒメコマツを排除したものに相当する群叢である。

  すなわち要素として重要な種類は全て鱗状葉を有し、ヒノキ科に属するものであり、ヒバ、ネズコの他に当局管内宮城県以南のサワラを含め、さらに中部日本以南に産するヒノキをも包合しようとするものである。これら各種類は中部日本以南におけるヒノキ、サワラのように、また、当局管内津軽、下北両半島におけるヒバのようにそれぞれの郷土とも見るべき場所に時に大森林を形成する事はあるが、一般には小面積の群落をなし尾根部やその他の岩石地、乾燥地等に集団する性質がある。

  また、これら各要素の現出は相互交錯することもあるが、一般には各樹種の単純集団をなすのが原則の様に観察される。ただし、これら各種類それぞれの群落の周囲はブナ帯により占められる事が多く接触点付近には針広の混交途中相を形成する事があるが、途中相は将来自ら針広いずれかに帰着して判別区別されるものであるとしておかねばならない。

  当地域における本群叢は要素としてヒバ、ネズコの両種より見出されず、しかも両種ともそれぞれ独立して一小群落を形成している。ただし、いずれも占有面積は僅少である。


CaI ヒバ型 

Thujopsetum dolabrata Hondaii Thujopsis dolabrata Hondai community-type

  ここにいうヒバは学術的にいえばヒノキアスナロまたはクサマキと称され、学名をThujopsis dolabrata Siebold et ZUCCARINI var. Hondai MAKINO in Bot. Mag. Tokyo XV 104(1901)、またはThujopsis Hodai NAKAI in 東亜植物 210(1935)というのであり、本州中部以南に産するアスナロT. dolabrata SIEBOLD et ZUCCARINI in Fl. Jap. Ⅱ. 34, tab. 119-120(1870)とは分布区域からもまた球果の構造からも明らかに区別されるが、便宜上ヒノキアスナロについては林業家の間で一般に呼称されているヒバの名称を用いることにする。

  当青森県にはヒバ(ヒノキアスナロ)の郷土※45)とも見られる津軽、下北両半島があって、その優美な大森林は秋田のスギ、木曽のヒノキとともに日本三大美林の一つに数えられている程である。ただし、当地域においては従来自生種あるを全く聞かなかったのであるが、南八甲田連峰、駒ヶ峯南側黄瀬萢(黄瀬田型萢ともいわれる)の高層湿原F64の縁辺、標高1,190m付近にアオモリトドマツと混交し矮小型をとっている一小群落CaⅠ1を見出したのである。この一小群落以外他に全く見出せなかったのは不思議の様に思われる。

  このCaⅠ1および付近の植相は、湿原の周囲に生じたアオモリトドマツ林の内にヒバが侵入したもので大形灌木にはこの両者があるのみ。小形灌木にはチシマザサ、ナナカマド、ミネカエデ、ウラジロヨウラク、シロバナシャクナゲ、イヌツゲ等がある。草類ではナガボノシロワレモコウ、ゼンテイカ、イワノガリヤス、コバイケイソウ等の大形草類が多く、これらの因子はいずれも湿原と“アオモリトドマツ―モンゴリナラ型BaⅡ”との中間、すなわち湿原の周縁に多い種類のみである。

  このように、現状は湿原の周縁に発達したアオモリトドマツ林にヒバが混入生育しているのであるが、ヒバは樹幹の下部、匍匐して丁度ハイマツ状をなし、その匍匐樹幹から直立している枝は3、4本にすぎず、また樹高の最大なるものも3mに達しないもので、他は匍匐状をなして四方に広まり小樹叢をなしているのみである。

  かかる状態であるものが当地域において標高1,190mという高所に僅かに一小群落を生ずるのみであるという事は、ヒバ群落として侵入の初期にあるものとはどうしても考えられない。むしろ前代群落の残存と解さねばならないので、現在においてこれに保護を加えなければ将来当地域にはヒバを産しない事となるので、絶対に採取伐採を禁止しなければならない。

  なお、これを植栽と理解する見方もないというわけではない。もし、後述するように“スギ群叢”中の“ソデカの杉”が、口碑による旧南部津軽の間道にあたり植栽したものではないかとの疑問があるとしても、彼我※46)[ひが]の距離が5km以上もありさらにその間には道路とて無い所なので、当時果して植栽可能だったのかどうか疑問に絶えない所である。


Ca II ネズコ型 

Thujetum Standishii Thuja standishii community-type

  これはネズコ別名クロビ、クロベTsuja standishii CARRIEREを主体とする群落であり岩手県、宮城県の奥羽山脈以西には所々に分布している(小群落の点在)ものである。

  青森においては現在までに明らかにされている分布区域は西津軽郡深浦付近、中津軽郡相馬村付近、および当地域の十和田湖畔中山半島等の3ヶ所でこれらの画する一線を以て本種分布北限地帯となすべきものである[木村氏 青森林友、昭和10年4月号、第17頁参照]。

  当地域内においては十和田湖畔、中山半島中央部付近に群生しいるのを認められるのであるが群落は小群落の点生でCaⅠ1-CaⅠ5等であるがこれらはいずれも中湖に面する東斜面のものばかりで占場[うらないば]以北ほぼ中央付近に小群落の点在がある。しかし、生育地は全て岩石地で湖岸から標高530mの小峯上まで達している。

  念のため530mの小峯上における本型の植相状態を訳すれば優喬木はネズコを主体とし少量のヒメコマツ、ムツアカマツ、アカシデ、ウリハダカエデを混入し、従喬木ではネズコ最も多く他にコミネカエデ、ナナカマド、マルバアオダモ等を混入し、灌木階ではホツツジが最も多く他にネズコ、オオバスノキ、コミネカエデ、ノリウツギ、ムラサキヤシオツツジ、ミヤマザクラ、コヨウラクツツジ、ヤマウルシ、コメツツジ、アズキナシ、ヤマツツジ等を混入、草類階ではウスノキが多いくらいのもので他はほとんど無い。

  このような状態から見ても石南科灌木類が種類も量も多い事は立地が岩石地で乾燥性である事を明らかに示めすものである。

  当地域中山半島の本型には上例でも明らかなとおり少量ながらヒメコマツ、ムツアカマツの混入を見ているので、それらの群落と近似関係にある事を示している。すなわち東京営林局の種別に“Eeブナ―ネズコ―サワラ―ヒバ―ヒメコマツ群叢”とされたように、本州北部におけるネズコ、ヒバ、ヒメコマツ等の各種類の群落環境は極めて類似しているのである。

  また本区の付近には後記“Cbヒメコマツ―ムツアカマツ群叢”中、あるいは“DaⅢブナ―ミズナラ―イタヤカエデ型”中に個体的に混入する本種があるが、これらは多くの場合他種に圧迫されて灌木状をなし前代群落の遺跡の型をとるものであり、典型となる群落的な意味はない。


Cb ヒメコマツ―ムツアカマツ群叢 

Pinetum pentaphyllae - densiflorae mutsensis

(Pinus pentaphylla - densiflora mutsuensis Association)

  これはC群系に属するマツ属樹木の群落である。前述のCa群叢はヒノキ科に属する鱗状葉を有するもののみの群落であったが、本群叢は針状葉を有するマツ属により代表されるものである。

  当営林局管内における主要因子※47)としてはヒメコマツを挙げねばならないが、それに付随して青森県の山地にのみ見られるムツアカマツもその一因子とせねばならない。

  ヒメコマツに関しては従来植物分類学者により種々論議された所であるが、そのゴヨウマツとの関係については次のような意見を持っている。

  ゴヨウマツはヒメコマツ(大形にして長楕円形の球果を有す)に比較して小形にして円楕円形※48)の球果を有するにより区別されるのであるが、一般の学者の提唱する種子翼による区別は明瞭を欠くものがある。すなわち、ヒメコマツは種子翼が種子体より長く、ゴヨウマツはその反対であるとするのは理にかなっていないと思われる。

  当営林局管内所産のヒメコマツは、大形長楕円形の球果を有しておりながら種子翼と種子体との長さの関係は一定していず、あるいは長きものがあり短きものがあり種々の変異が認められ、両極端型をとるとしてもこれは彷徨変異[ほうこうへんい]に他ならない。したがって、前述のとおり球果の形により両者を区別することにする。

  従来ヒメコマツはPinus Himematsu MIYABE et KUDO、ゴヨウマツはPinus Pentaphylla MAYRが用いられ、当管内のものは後者に属するものと考えていたが、武田久吉博士が“山”1巻、9号、491頁(1934)に述べられたとおり前記和名と学名とを置きかえたもの、すなわち、ヒメコマツが当管内に多く学名はP. Pentaphylla MAYRであり、ゴヨウマツは南方本州中南部、四国、九州に産してPinus Himematsu MIYABE et KUDOであるという意見に賛意を表し、これに従事した次第である。ただし、後者にはP. Pentaphylla MAYR var. Himekomatsu KOIZUMI in MAEBARA, fl. Aust.-Higo. 12(1931)を使用すべきものとされる意見もあり未だいずれも決定していない。

  他の一因子たるムツアカマツに関しては、これは学界未知の新種であり、農林省林業試験場嘱託柳田由蔵氏の命名にかかり、学名はPinus densiflora SIEBOLD et ZUCCARINI var. mutsuensis YANAGIDA or P. mutsuensis YANAGIDAと命名されるはずである、ただし、いずれも未発表名に属するので変更の可能性がある事は当然であろう。

  これら両者によりなる本群叢は青森県においてほとんど完全な発達をなしているが、岩手県以南においてはヒメコマツの単純群落の型をとっており、ムツアカマツは未だ所産を気付いていない。ただし、本群叢に属するものは乾燥地性の岩石地等表土の極めて浅い場所に限って群生し、占領面積はいずれも僅少である。


Cb I ヒメコマツ―ムツアカマツ型 

Pinetum pentaphyllae - densiflorae mutsensis

(Pinus pentaphylla - densiflora mutsuensis community-type)

  ヒメコマツおよびムツアカマツの両者混交を主体とする群落である。現在までに判明したムツアカマツの自生地は、当地域では十和田湖畔御倉、中山両半島を主とし田代岱における駒込川沿岸等があり、青森県内の他の産地では西海岸の深浦営林署管内および下北半島田名部、大畑管内などに見出せたにすぎない。これらにおいては、いずれもヒメコマツが混生または近在して極めて類似した群落を形成している。当地域の前両者におけるものについて述べれば、田代岱、駒込川沿岸においては田代新湯から鳴沢落合に至る間の両岸に介在するもので、このうち新湯付近の両所Cb1、Cb2、および田代元湯対岸すなわち南岸の両所Cb3、Cb4はムツアカマツであり、田代元湯以西の北岸Cb5-Cb7および鳴沢落合の両所Cb8、Cb9はヒメコマツである。当所のムツアカマツ群落においては、優喬木はムツアカマツ最も優勢で、他にダケカンバ、ヤマハンノキの少量を混入、従喬木ではムツアカマツ最多、ダケカンバ、イヌエンジュ、ヤマハンノキを混入する。灌木階ではミネヤナギ、ムツアカマツ、タニウツギ、シナノキがある。草類階ではヤマハハコ、イワニガナ、キツネヤナギ、アキタブキ、エゾススキ、ヤマブキショウマ等が多い。

  本区におけるムツアカマツは一般に川岸が崩壊して土壌の露出した場所に群生し、ヒメコマツ群落とは環境が少し異る様である。

  十和田湖畔、御倉、中山両半島においては、御倉半島頭部の高所に小群落をなすもの、同上南―両面断崖地に群生するもの、千丈幕(御倉半島頭部の両面)に群落をなすもの、占場より東南の尾根上凸部に小群落をなすもの、中山半島に群生するもの等に分けることができるけれども、しかもヒメコマツもムツアカマツもほとんど同一環境の場所に発生している点が前記田代岱のものと異なっている。強いていえば、ムツアカマツは中山半島六方石以北の西岸、御倉半島頭部錦石以北の西岸等に群生し、さらに子ノ口付近の両岸にも少量の点生を認められるもので、一般に西斜面に生ずる性質がある様である。

  “ヒメコマツ―ムツアカマツ型”の代表的なものについてその状態を述べれば、優喬木にはこれら両種のみ、従喬木にはこれら両種の他ハウチワカエデこれに次ぎ、さらにイタヤメイゲツ、アカシデ、ミヤマザクラ、ナナカマド、コバシジノキ、ウダイカンバを混入、灌木階にはハウチワカエデ、ムシカリ、リョウブ、オオバスノキ、ツクバネウツギ、オオバクロモジ、ミヤマガマズミ、ノリウツギ、マルバアオダモ、ナナカマド、アズキナシ、ヤマツツジ、ムラサキツリバナを混入、草類階は種類乏しくウスノキ、チゴユリ、アキノキリンソウ、オシダがあり、蔓茎類ではゴトウヅル、ツタウルシがある。

  これらの状態によって見ても、灌木に石南科灌木多く、他の因子も乾燥地または岩石地のもの多く、環境が乾燥性岩地である事を明示している。


Cb II ヒメコマツ型

Pinetum pentaphyllae

(Pinus pentaphylla community-type)

  ヒメコマツの名称ならびに分布に関しては前述したとおりである。当区域における発達状態を見れば、

(1)田代駒込川沿岸、田代元湯以西の本群落

(2)城ヶ倉渓流沿いにおける酸ヶ湯新湯―黒石街道間の西岸

(3)黄瀬岱中央松見滝付近

(4)十和田湖畔、御倉・中山半島付近

等が数えられるにすぎない。すなわちいずれにおいても水辺に近い急傾斜岩石地であり、特に前3者は駒込川、荒川、黄瀬川の沿岸において両岸著しく急傾斜をなし、大岩石塊の露出せる部分であり、各川流域全般から見れば極めて小面積にすぎない。しかも、いずれの場所においても急傾斜の小尾根(凸部)に沿い小群落の発達しているものが多く、占領面積は極めて僅少である。十和田湖畔は旧火口壁の断崖面、すなわち、中湖に面する御倉半島および中山半島ならびに西湖(内湖)に面する中山半島等に群生し、いずれも急傾斜地をなし乾燥性岩石地をなすのである。以下これらに付き説明を付するならば、

  (1)田代駒込川沿岸におけるものでは田代元湯以西の北岸および鳴沢落合付近に小群落が散在しているもので、優喬木にはヒメコマツが多く、これにミズナラの少量を混入、従喬木ではアラゲコバシジノキ最も多く、他にヒメコマツ、ミズナラ、タカノツメ、アカシデ、アズキナシ、ナナカマドを混入、灌木階ではヒメヤシャブシ、ウスノキ、ムラサキヤシオツツジ、ホツツジ、ヤマツツジ、サワシバ、ウラジロヨウラク、マルバマンサク、ヒロハノツリバナ、アクシバ、ミヤマガマズミ、エゾヒョウタンボク、オオバスノキがあり、草類階ではイヌヨモギ、ヒメカンスゲ、シロバナイカリソウがある。すなわち、灌木で石南科灌木が最も多く乾燥性岩石地を示す。本区では前記Cb1型のものと比較すれば明らかなとおり、ムツアカマツは崩壊裸地に小群落をなすに反し、ヒメコマツは乾燥岩石地に小群落をなすものである。

  (2)城ヶ倉渓流沿岸におけるものは両岸を通じ小面積ながら十数か所に散在しているものであり、優喬木にはヒメコマツが最も優勢であるは言うまでもなく、コメツガ、ブナ、ミズナラを混入している。従喬木にはヒメコマツの他コメツガ、アズキナシ、アラゲコバシジノキを生じ、灌木階にはコメツガ、リョウブ、オオバスノキ、シロバナシャクナゲ、コヨウラクツツジ、アカミノイヌツゲ、アクシバ等があり、草類階ではイワナシ、ツルアリドオシ、オサシダ、ヒメノガリヤス、アキノキリンソウ等がある。

  これらによっても明らかな様に、コメツガは混入因子としてかなり重要な意義を有しており、当地域におけるヒメコマツ型としては他のものとかなり異なった型をなしているのである(この様な“ヒメコマツ―コメツガ型”の形をなす混交型は陸中早池峰北腹に好例が見られる)。また、灌木、草類には石南科植物の様な乾燥地―岩石地に生ずる因子が多数を占め、その生育地環境を明らかに表現している。しかも、ブナ、ミズナラの混入は本型が後記“DaⅢブナ―ミズナラ―イタヤカエデ型”に近似せるを示し、周囲群叢は明らかなDaⅢ型である。前者田代区のものもDaⅢ型に近似し、その中に介在している事は同様である。

  (3)黄瀬岱中央松見滝付近におけるものは優喬木にはヒメコマツ一種のみ、従喬木にはブナ、ミズナラ、マルバマンサク、ナナカマドを伴い、灌木階にはアカミノイヌツゲ、ホツツジ、オオハナヒリノキ、シロバナシャクナゲ、アクシバ、コヨウラクツツジ、ムシカリ、ノリウツギ、ナガバネマガリ、オオバスノキ、リョウブ等を混入、草類階ではツルシキミ、イワナシが多いくらいのものである。なお、地衣類ではエゾサルオガセが枝幹に附着しているのが著しい。この結果も前者同様乾燥性岩石地であり、“DaⅢブナ―ミズナラ―イタヤカエデ型”に近似するものである事を表現している。なお、松見滝付近には約7ヶ所ばかりに小群落が認められた。

  (4)十和田湖畔においては、御倉半島における頭部、高所および中湖に面する烏帽子岩以南の千丈幕下占場[うらないば]以東南、尾根上、中山半島の東岸等はいずれもムツアカマツを混入しない本型の単純群落である。御倉半島頭部の高所を例とすれば、該所は山頂および尾根上凸所の岩石地に所々小群落をなすものであり、これらにおいては喬木はヒメコマツ優勢で、他にダケカンバ、ブナ、ミズナラの混入、従喬木はヒメコマツ、ナナカマド、ハウチワカエデ、ミネカエデがあり、灌木階ではムラサキヤシオツツジ最も多く、他にヒメコマツ、ハナヒリノキ、ヤマツツジ、ノリウツギ、ムシカリ、ホツツジ、ミヤマホツツジ、アズキナシ、オオバクロモジ等を混入し、草類階は種類が少なく、マイヅルソウが多く、他にツバメオモトを混入するのみ。

 この状態は前所とあまり大差なく、喬木階の混入因子は周囲群叢に影響されたるものばかりであり、乾燥性岩石地である事は言うまでもない。しかも、ダケカンバの混入は岩石地の崩壊その他の動的環境を現している。


CC スギ群叢

Cryptomerietum japonicae

(Cryptomeria japonica association)

  スギは九州屋久島から本州北部に渡って広々分布する日本特産種であるが、東北地方においては秋田県においてほとんど完全な発達をなし、極めて優勢な群落を形成しているのである。ただし、当営林局管内においては発達極めて貧弱で、宮城県自生山[じせいざん]、岩手県沢内[さわうち]―鶯宿[おうしゅく]方面、青森県碇ヶ関[いかりがせき]―大鰐[おおわに]方面においてかろうじて成林をなしているにすぎない(もちろん石巻、高田、盛の太平洋海岸にも僅少ながら生育するものは認められる)が、西海岸鯵ヶ沢営林署管内赤石村※49)矢倉山国有林は本種の分布北限地として知られている。

  当地域において著しいものは横沢東部および“ソデカ杉”(南津軽郡竹館村に属し滝ノ股沢の最上流部)の両所あるのみである。これらが果して天然生なのかどうか、現在のところ速断は許されない。ただし、いずれも“Baアオモリトドマツ群叢”内で後記“F高層湿原”に接しているものである事は注意を要する。

  (1)横沢(逆川岳南腹の沢)東方におけるものは“高層湿原F49”に接し、“Daアオモリトドマツ群叢”の林縁にあたる所であり“アオモリトドマツ―スギ混交型”をなしている。本区は上層を形成するものにスギ、アオモリトドマツの両種があり、いずれも付近の泥炭に影響されて樹高5mを出ない。灌木階はこれらの他アカミノイヌツゲ、ミネカエデ、チシマザサ、オオハナヒリノキ、ムシカリ、クロウスゴ、ヤマウルシ、ナナカマドを混入し、草類階ではゴゼンタチバナ、ツルシキミ、イワカガミ、シロバナシャクナゲ、ヤマソテツを混入している。これらの因子はアオモリトドマツ群叢の林縁分子が多く、また、泥炭因子もないとはいわれないから中間に属するものと理解される。スギは主幹弯曲匍匐して、それから出た直立幹は十数本を算し得るがいずれも5mを出ない。これをいかに理解するかが問題である。植栽種と解すれば周囲植生群落から見ても問題はない様であるが、またかかる道路もない高地にわざわざ植栽する人もないだろうからこの考えも首肯できない様である。しからば前述の“CaⅠヒバ群叢”と同様前代群落残留と解すべきか、これらは今しばらく保留することとする。

  (2)ソデカの杉 これは南八甲田連峰の南腹にあたり南津軽郡内滝ノ股沢の最上流に存在する杉林の名称である。ただし、この名称は方言によるものであることは言うまでもない。この“ソデカ杉”に関しては、佐藤雨山氏が東奥日報社発行「青森県分水嶺探勝報告」(昭和7年3月)中に“南部津軽の旧間道とソデカの杉”と題して73頁―81頁に渡って論じておられる。同氏によれば“ソデカ杉”の名称は南津軽郡浅瀬石川流域部落の山子※50)[やまこ]達の呼名であり、ソデカは外川から来た訛りで、ソドカワソドカになりさらにソデカになったのである。すなわち“外川の杉”の意である。外川とは滝ノ股川の上流部沢津根川森※51)ヂネカ森ともいわれる)北側付近を総称する沢名であるから、外川にある杉という意味になるのであると言われている。本区は標高830m付近に発達するもので、周囲群叢は“DaⅠブナ単純型”と“Bcアオモリトドマツ―ブナ―ダケカンバ群叢”との境界に近く後者の中に介在して存在するものであるが、すぐ近くには“高層湿原F89”が発達しており、“Bc群叢”間に介在して湿原の周縁に発達したものであるといわねばならない。

  喬木階ではスギが大部分をなす事は言うまでもない。アオモリトドマツ、ゴンゼツの少量を混入しており、灌木階もスギが優勢で、他にイヌツゲ、チシマザサ、ウスキシャクナゲ、オオハナヒリノキ、アカミノイヌツゲの少量を混入している、草類階ではミツバオウレン、ホソバノトウゲシバ、コケシノブ、ショウジョウバカマ、ツルアリドオシ、ツルリンドウ、ゼンマイ、ゴトウヅル、シノブカグマ、イワナシ、ツルシキミ、ヤマソテツ等がある。蘚類ではヒメミズゴケ、フジノマンネングサ、チャボサナダゴケが顕著なものである。

  本区はこのような植相であるが、スギは樹高12mを超え十数本の一集団をなすものが最大で、その林縁には灌木級のもの多数発生して林衣を形成しており、さらに従喬木級のものを主体として、その周囲に灌木級のもの多数発生する一小団をも付近に伴っている。すなわち、スギは現実に天然繁殖をなしつつあるのである。

  これらの事実を以てこれを天然生とするか植栽とするかこれはまた問題のある所であるが、佐藤氏は次の5条項を挙げて植栽種と理解しておられる。

(1)この杉は周囲の環境がスギ発生の限度外にある事

(2)一局部の発生なる事

(3)昔時の南部津軽の間道はこの杉森の辺で通じたらしき事

(4)この杉は分水嶺通路の中間にある事

(5)人植なりし古来の伝説ある事

このうち(3)以下の事はさておいて(1)と(2)とを考察して見ると、そこには多少無理がある様な気がしてならない。すなわち、一局部の発生を以て天然生に非ずとするのは偏解である。スギ分布北限地帯たる青森県下において、鯵ヶ沢営林署管内のものもまた佐藤氏のいわれた南津軽山形村板留付近のものも、秋田県のスギ林に隣接した碇ヶ関、大鰐、目屋※52)方面のスギ林から見れば著しく分離し、また、各々一局部の発生にすぎないからこれだけでは理由にならない。また、環境がスギ発生の限度外にあるといわれたが、それも限定するには無理がある様に思われる。すなわち、現在までに調べ得た所によると岩手県岩手郡御明神村駒ヶ岳横岳南腹標高900m付近(北緯39度45分、東緯140度50分)には小面積ながらかなり良好に生育している(“ソデカ杉”と同程度)林地があり、同県同郡西山村葛根田大白森(標高1,268.9m秋田県界から1kmばかり岩手県内に入った所)の北側1,250m付近(北緯39度52分、東緯140度52分)に一樹叢があり、これは丁度横沢付近のものと同様で樹高6mくらい樹幹は弯曲している。さらに、秋田県森吉山(1,454m)においては1,260m付近において自生しているとの事である。翻って当地域のものを見ると、「ソデカの杉」は標高830m付近(北緯40度33分、東緯140度52分)であり、横沢付近のものは標高1,130m付近(北緯40度38分、東緯140度51分)である。これら各々を比較して見るに、南方岩手県のものと当地域のものとでは、緯度において一度の差も無い森吉山は両者の中間にあるから問題ない。緯度の差を考えて標高差を調べても当地域の「ソデカの杉」の標高830m付近は問題なく生育範囲に入らねばならない。横沢付近の1,130mは、岩手県の1,250mのものに比較して標高差120m低く、緯度差0度46分である。これを気温逓減率(竹中氏による)を使用して計算上から出せば緯度による気温差は0.36度となり、同一気温線では65mの差すなわち標高1,185mとならねばならないので、横沢の1,130mにおいてもさらに55m不足となる。したがって、当地域のものはいずれもスギ生育限界内に存在することとなる。もちろんこれは計算上(緯度は一度に付き0.52度、標高度は100mに付0.5度として計算)の事であるから、実際には気象、土壌、地形その他の影響により垂直分布はより下降しているかも知れないが、それにしても横沢の1,130m付近がその限界線くらいにあたるだろうと思われる。すなわち、横沢ものはあるいは天然生でないかも知れないが、「ソデカの杉」は杉発育限度内にあるので天然生であるかも知れないのである。また、さらに「ソデカの杉」の環境は確かにアオモリトドマツ林の最下部付近にあるが、少し離れてヒバ群叢の天生する事を合せ考えれば、前代群落残存とするもある程度はうなずける所である。しかし、佐藤氏がいわれた(3)以下の事が確実な事とすれば、問題なく植栽とすべきである。これらの問題は将来の研究を待つ方が安全である。当地域の杉には、明らかな植栽種を除いて他に十和田湖畔御倉半島の頭部中央付近“Daブナ群叢”中に個体的に混生しているものが若干ある。これは、現在ブナ林の下木の状態で分枝甚だ多い型をなし、植栽の確信がないので、前述のものとともに研究の必要があるだろう。

  なお、本群系とは全く関係を有しないが、アカマツPinus densiflora SIEBOLD et ZUCCARINIを主体と下群落の片鱗が出現している所がある。アカマツの属する群系は従来の類別に従えば(第1回施業累業務資料による)“D暖帯性中山地帯 モミ―アカマツ―イヌブナ―コナラ―クリ―ケヤキ群系”中の“Dbアカマツ―コナラ―クリ群叢”に所属すべきはずであるが、本調査においては前述のように針葉喬木林を以て広葉喬木林と確然と対立せしめたので、この見解によればアカマツは針葉喬木林の海岸―低山地に現れる最低所の極端型であり「低地針葉喬木林」と命ずる事としたが、これに所属する重要因子にはアカマツ、クロマツ、モミ、ツガ等を挙げたいと思う。

  しかし、当地域はこの“低地針葉喬木林”の最北端に近く位置しているので重要因子たるモミ、ツガ等はこのような北辺に達する事ができず、また、クロマツは海岸に偏在しているので、アカマツのみがかろうじて生育し得るのである。

  当地域においては標高1,100m付近にあたる焼山部落付近のみ僅少生育を認め得たにすぎない。ただし、これは残念ながら幼齢林で著しく退化型である。この他温川温泉北側および国立公園区域外雲谷峠※53)[もやとうげ]西腹両者があるがこれらはいずれも造林地である。


D 温帯性中山-平地帯、ブナ―ミズナラ―トチ―サワグルミ―カツラ群系

Temperative mountain-hill region, Fagus-Quercus-Aescalus-Pterocarya-Cercidiphyllum Formation

  森林植物帯上いわゆる温帯南部に属する。東北地方においては、ブナその他の落葉広葉樹のみからなる大森林が発達しており、これを落葉広葉樹林または夏緑喬木林と称しているのである。しかも、東北地方全体としてみる時は、海岸低地から亜高山帯の直下まで大部分この夏緑喬木林に属するものとしても大過ない程である。ただし、このうちで標高200m(青森県)-500m(宮城県)になす境界線の上下では、自然とそこに育成する樹種を異にしているのである。その線以下においてはクリ、コナラ、イヌブナ、クヌギを主とする高地林〔施業累調査資料に記多く、“暖-温帯性高地-低山地帯、モミ―アカマツ―コナラ―クリ―ケヤキ群系”に相当するもの〕であり、この線以上では亜寒帯性高山地帯〔B群系の下部まで(標高1,000m(青森県)-1,200m(宮城県)〕大体垂直距離800m以内にブナを主とする森林があり、東北地方ではこの800mベルト間にはいる山地が大部分をなすためにブナを主とする森林が沢山あり、したがってブナ帯という名称までできたのである。

  森林群落区分上から見れば、底部のクリ、コナラ、イヌブナ、クヌギを主とする森林は独立群系として前述の“暖-温帯性高地-低山地帯”に含まれ、上部ブナを主とする森林、すなわちブナ帯と称される部分を独立群系と称して“温帯性中山―高地帯ブナ―ミズナラ―トチ―カツラ―サワグルミ群系”とする。本群系には針葉樹の喬木性のものは全く重要因子とならないものであり、その事は前記C群系の独立によっても明らかである。ブナが重要要素をなす事は言うまでもないが、他にミズナラ、イタヤカエデ、トチ、カツラ、サワグルミその他落葉広葉樹を多数に包含している。さらに、これらが形成する群落において特異の林況を呈するものは、本群系の標高に関係なく各河川沿いに狭帯をなして発達するもので、群落構成上樹種も形態(林況)も著しく異なる林分があり、これはその主要樹種から“トチ―サワグルミ―カツラ群叢”となっている。


Da ブナ群叢 

Fagetum crenatae

(Fagus crenata Association)

  温帯林を代表して落葉広葉樹林(夏緑喬木林)の主位を占めるものは、当営林局管内全体を通して有るブナを主とした大森林である。本群叢はブナがその支配的位置を占める植生であるが、その環境の差により多少の変型が認められるから各々を群落型別にして説明したいと思う。

  なお、代表種たるブナについて調査すると、該種の分布区域は北端は北海道後志国[しりべしのくに]※54)まで達しており、南は本州全般、四国を経て、九州南端付近までに至って南限をなしている。済州島および朝鮮では分布していないから本種は完全な本邦固有樹種のひとつである。北限界付近においては標高100m以下の内陸に産し、南限界においては1,400m以上の高地においてハリモミ等と混交しているのである〔熊本営林局“霧島山における植物群落組織調査および植生連続に関する考察”(1931年)より〕。しかも、本多静六博士の研究調査(日本植物帯概論)によっては、本種の育成は直ちに温帯林を表現し、すなわち、山毛欅[ぶな]帯(椈帯)として本種を温帯林の代表としておられる事は、正に至当であり穏当の事と思われる。

  当地における本群叢を群落型によりさらに細類別すれば、

Ⅰ ブナ単純型 本群叢の最高位に発達するもので、優喬木はほとんどブナ一種のみからなる。傾斜地やや乾燥地性。

Ⅱ ブナ―トチ型 本群叢は平坦地の緩斜地等の様な湿潤地に発達し、優喬木はブナ、トチを主としブナ群叢と“トチ―サワグルミ―カツラ群叢“と混交帯。

Ⅲ ブナ―ミズナラ―イタヤカエデ型 本群叢の乾燥性急斜地に発達するもので優喬木はブナ、ミズナラ、イタヤカエデを主とし“ブナ群叢”から“ミズナラ群叢”への推移帯。

Ⅳ ブナ退化型 本群叢の二次林で主として伐採により破壊され連続の途中相にあるもの。これら4つの型のうちⅠ―Ⅲの発達過程は図22の模型のとおりである。

図22 当地域におけるブナ群叢細別模型


Da I  ブナ単純型

Fagetum typicum

(Fagus crenata community-type)

  これはDa群叢の基本型と思われるもので、優喬木はブナ一種のみからなる単純群落である。ブナは本群叢の中で喬木として最上部に発達するもので、当地域においては900m付近において上部“Bcアオモリトドマツ―ブナ―ダケカンバ群叢”と界しており、700m以下の地においては主として尾根沿いに制限され、最低部400mくらいに至るものが多い。秋田営林局において佐伯直臣氏が「秋田地方における高地植生と一般高山植物」においてブナ群叢の高地型として「ブナ―ミヤマナラ―矮生群叢」を提称され、この群叢は確かに東北地方の高地植生としては一つの重要群落になるのが認められるのであるが、当地域においては該群叢は全く望めない。なぜなら、この群叢がブナ群叢の上部界に属するものである事は前述のとおりであるが、当地域はブナ群叢の上部界がただちに“Bcアオモリトドマツ―ブナ―ダケカンバ群叢”となり、ブナ単純型となり該群叢と置換の型をなしているので、「ブナ―ミヤマナラ―矮生群叢」の発達は全く望み得ない実状にあるのである。

  本型の発達区域は大体次のような配置である。

(1)田代区 Da I 1

(2)北八甲田西腹区 Da I 2

(3)南八甲田東腹区(田代区の高所も含む) DaⅠ2

(4)黄瀬区 DaⅠ2の一部、DaⅠ3―DaⅠ14、その他

(5)浅瀬石川上流区 DaⅠ34―DaⅠ42

(6)奥入瀬区 DaⅠ2の一小部、DaⅠ15―DaⅠ18(一部)、DaⅠ21(一部)―DaⅠ24、DaⅠ25(一部)―DaⅠ33

(7)十和田区 DaⅠ34、DaⅠ43、DaⅠ46、DaⅠ44―DaⅠ45、DaⅠ47―DaⅠ49

  これを7区に分割したけれども、この分割は便宜上仮のもので境界不明のものが多い。これらによって明らかなとおり、本型の標高は最低350mから最高1,100m付近に達しているが、特異な例を除いた安定型は標高600m―1,000m間に発達するものと思われる。

  (1)田代区 田代放牧地の西南は北八甲田連峰に属しているが、反対側の周縁北―東界は700m―800mの尾根が続き放牧地を囲んでいる。この尾根では凸所に柴森山(711m)、七十森山(885.5m)(境界少し北にあたる)、石倉山(891.2m)等がある。これらの内側(すなわち南側は)おおよそ650m以上の地が本型に属するものであるけれども、場所により高低があり小尾根上をさらに下降しているものである。

  これらにおける植相は、適潤地型と乾燥型とに分かれ混入因子にやや差異が認められる。適潤地型においては、優喬木はブナが最優勢でほとんど他種の混入を見ないが、少量ながら混入しているものではベニイタヤ、シナノキがある。従喬木階ではブナ、シオリザクラ、アラゲコバシジノキ、ハウチワカエデ、ホオノキがある。灌木階ではオクヤマザサ、チシマザサが優勢であるが、場所により牛馬の侵入食害があってほとんど枯死している所もあり、この他オオバクロモジ、ムシカリ、ハイイヌガヤ、ヒメアオキ、ツノハシバミがある。草類階では場所により差はあれユキザサ、タニギキョウ、ホソバナライシダ、エンレイソウ、ギンリョウソウ、ツクバネソウ、サワハコベ、シラネワラビ、ツルアジサイ、ツルリンドウ、ミヤマカタバミ等が多く、蔓茎類ではツタウルシ、ヤマブドウ、ツルアジサイ等が多い。

  乾燥地型においては、優喬木はブナが最優勢であるは言うまでもない。他にミズナラの極少量混入がある。従喬木ではこれらの他ハウチワカエデ、コシアブラ、アラゲコバシジノキが見られ、灌木階ではミネカエデ、リョウブ、チシマザサ、オオバクロモジ、コマユミ、エゾユズリハ、ムラサキヤシオツツジ、タニウツギ、ヒロハハナヒリノキ、ヒロハタムシバ、ムシカリ、アクシバ、ハイイヌガヤ等が多く、石南科灌木の多い事が注意される。草類階ではツルシキミ、ヒメモチ、シシガシラ、ヤマソテツ、シノブカグマ、アオスゲ、ツルアリドオシ等が多く、蔓茎類ではツルアジサイ、ツタウルシが見られる。

  これらによっても明らかなとおり、乾燥地型は適潤地型に比較して優喬木でミズナラの混入が目立ち、灌木階では石南科灌木多い事、草類階では種類が一般に乾燥に堪えるものばかりであり、種類別では著しく差のある事が認められる。すなわち、乾燥地型は後記“DaⅢブナ―ミズナラーイタヤカエデ型”に近似した形となりDaⅠからDaⅢへ移る途中相とも見られる。

  これら適潤地型と乾燥地型は両極端であるが、さらにその中間に混交帯、中間体が存在する事は言うまでもない。この両型は以下に記する各区に共通である。

  (2)北八甲田西腹区 北八甲田連峰の西腹―北腹―北東腹を占める区域を総括するものである。この区は各方位中腹にあたるものなので八甲田大岳を中心に馬蹄形をなすように配置している。

  この地域における植相は次のとおりである。

  横岳北腹におけるものは優喬木はブナ一種のみで、稀にゴンゼツ、ホオノキ、アズキナシを混入しているが重要因子にはならない。従喬木にはブナ、ナナカマド、ゴンゼツ、ハウチワカエデ、シオリザクラを混入しているが著しいものではない。灌木階ではチシマザサ、オクヤマザサ等断然優勢であるが、他にヒロハタムシバ、オオバクロモジ、ムシカリ、ヒメアオキ、アクシバ、ヒメモチ、ハイイヌガヤ、コマユミ、ヤマウルシ、ムラサキヤシオツツジ等が多く見られる。草類階ではヤマドリゼンマイ、ホソバナライシダ、ツルリンドウ、ユキザサ、ツクバネソウ、シシガシラ、ヤマソテツ、タチシオデ、ミゾシダ、スミレサイシン、タニギキョウ、ミヤマイタチシダ、ホソバノトウゲシバ等が多く、一般に適潤地の性質を具備しているものと思われる。

  前岳北腹下部、赤石岳北東斜面下部800m付近においては、優喬木はブナ一種のみでほとんど他種を混入しない。従喬木ではブナ、ハウチワカエデ、ホオノキ、ベニイタヤ、シナノキ、ウワミズザクラ等が多い。灌木階ではムシカリ、ツノハシバミ、オオバクロモジ、ハイイヌガヤ、オクヤマザサ、チシマザサ、ヒメモチ、ヒメアオキ、ヒロハタムシバ等が多数をしめ、草類階ではユキザサ、タチシオデ、マイヅルソウ、ツクバネソウ、ホソバナライシダ、蔓茎類ではツルアジサイ、ツタウルシ等が見られる。これらの場所でも一般に適潤地の性質を具備しているものと思われる。

  前岳―雛岳間の八甲田大岳中腹における本型の上部界付近においては、優喬木はほとんどブナ一種独占であるが、時に極めて僅少にダケカンバ、ミズナラ、センノキを混入する事がある。従喬木ではやはりブナ多く、これにナナカマド、ハウチワカエデ、ゴンゼツ、ホオノキ、アオダモ、ダケカンバの少量が混入する。灌木階ではチシマザサ断然優勢であるが、他にオオバクロモジ、ムシカリ、ミネカエデ、ヒメモチ、ウスキシャクナゲ、ヒメアオキ、ハリブキ、ツノハシバミが混入する。草類階ではヤマソテツ、ギンリョウソウ、マイヅルソウ、サンカヨウ、ユキザサ、ヤマドリゼンマイ、シラネワラビ、ヒロハイヌワラビ、ホウチャクソウ、シオデ、タニギキョウ、ツクバネソウ、ヒメカンスゲ等が多い。蔓茎類ではツタウルシ、ツルアジサイ、イワガラミ等を見る。これらにより推察するに、本型上部界付近においては一般にやや乾燥性に傾くものと思われる。

  黒森山―雛岳間駒込川最上流域においては一部“Bcアオモリトドマツ―ブナ―ダケカンバ群叢”に侵入される他、さらに東岸に本型の伐採跡地があるので占領面積は狭ばめられているが未だかなりの美林を保存している。ただし、放牧牛馬の侵入攪乱はかなり標高の高い所まで認められる。

  この付近の乾燥地型においては、優喬木はブナ一種の独占。従喬木はブナおよびハウチワカエデが主体をなし、灌木階ではチシマザサ断然優勢であり、これにオオバクロモジ、アオダモ、ムシカリ、ゴンゼツ、ヒロハハナヒリノキ、ヒメモチ、ムラサキヤシオツツジ、コヨウラクツツジ、アクシバ、ウスキシャクナゲ、アカミノイヌツゲ、エゾユズリハ、ミネカエデ等が多い。草類階ではギンリョウソウ、シシガシラ、アキノキリンソウ、ミゾシダ、ミヤマシシガシラ、ツルリンドウ、イワナシが多い。蔓茎類ではゴトウヅル、ツタウルシがある。適潤地型においては、優喬木はブナが主体、それにサワグルミ、トチノキが少量混入する。灌木階ではチシマザサ、ツノハシバミ、オオバクロモジ、ミネカエデ、アオダモがある。草類階ではシラネワラビ、ミヤマベニシダ、オシダ、タニギキョウ、オクノカンスゲが多い。蔓茎類ではツルアジサイ、ツタウルシが見られる。

  (3)南八甲田東腹区 北八甲田連峰の東南腹以南、南八甲田連峰の東―東南腹を包含した区域である。標高は全区を通じ600m―900mくらいである。

  本区は全面を通じ牛馬の放牧が盛んであり、地床はそのために攪乱され、地床植物の破壊後継樹の特殊性※55)を現して極めて変化に富んだ状況をなしている。(青森林友第322号〔昭和9年参照〕)

  黒森山、谷地温泉付近においては適潤地型のもの多く、その状況は、優喬木はブナ独占であり、従喬木ではブナその他のハウチワカエデ、ホオノキを混入、灌木階ではチシマザサ、オクヤマザサ、チマキザサ優勢であるが、低部の大部分は牛馬の食害によって絶滅に瀕している。他にオオバクロモジ、コマユミ、アオダモ、ムシカリ、ヒメアオキ、コヨウラクツツジ、ハウチワカエデ、ミネカエデ、エゾユズリハ、サワアジサイがある。草類階ではヒメモチ、ツルシキミ、シノブカグマ、ホソバノトウゲシバ、シシガシラ、シラネワラビ、ホソバナライシダ、ツルアリドオシ、ミヤマカンスゲ、ギンリョウソウ、ヤマイヌワラビ、オシダ、ツルリンドウ、ユキザサ、ミヤマカタバミ、タニギキョウ等多い。蔓茎類ではツタウルシ、ツルアジサイ、イワガラミ等がある。なお、黒森山頂上に近い中腹付近においては、優喬木はブナ独占である事は言うまでもないが、従喬木はハウチワカエデ、アラゲアオダモ、ベニイタヤ、ウワミズザクラ、アズキナシ等がある。灌木階ではチシマザサ断然多く、ムシカリ、ヒメモチ、ミネカエデ、サワアジサイ、エゾユズリハを混入する。草類階ではユキザサ、シラネワラビ、ミヤマカタバミ、ヒメスイバ、ミゾイチゴツナギ等多い。蔓茎類ではツタウルシ、ゴトウヅル、イワガラミがある。

  蔦温泉黄瀬岱付近における適潤地型の林況は、優喬木はブナ断然優勢であるは言うまでもなく、他にホオノキ、トチノキ、センノキ、シオリザクラを混入する。従喬木はハウチワカエデ、ベニイタヤ、ウワミズザクラ等が多い。灌木階ではハイイヌガヤ、ムシカリ、エゾユズリハ、ヤマシキミ、サワアジサイ等が多い。草類階ではユキザサ、サルメンエビネ、オシダ、ヒメモチ、ホソバナライシダ、タニギキョウ、トチバニンジン、ミヤマトウバナ、チゴユリ、ジュウモンジシダ等が多数をしめ。蔓茎類ではツルアジサイ、シラクチヅル、ツルマサキがある。

  これら種類組成からすれば、優喬木にトチノキを混入する点で後記“DaⅡブナ―トチ型”に近い形をしているが、トチノキの混入量の少ない事、生育地の傾斜度が大きく異なることから、明らかに区別される様に考える。また、灌木階各種はいずれも牛馬の不嗜好植物であり、嗜好植物は発育極めて不良、殊にササ類は牛馬の侵入範囲全般にわたりほとんど全滅状態にある。

  かかる区域と全様な範囲内の乾燥地型全般では灌木にエゾユズリハ、オオハナヒリノキ、シロバナシャクナゲ、草類階にツルアリドオシ、ヒメスイバ、シバ等の混入を見るのである。また、本型の高所では優喬木にはブナ断然優勢であるは言うまでもなくホオノキ、ナナカマドが混入し、従喬木ではハウチワカエデ、ミネカエデ、ウワミズザクラ、ナナカマドなどが多数を占める。灌木階ではチシマザサ断然優勢(牛馬の侵入は高所では未だ見られない)で他にミネカエデ、ムシカリが混入する。蔓茎類ではツルシキミ、ツルリンドウ、ヒメアオキ、ヒメモチ、ホソバナライシダ、ヤマソテツ、ツクバネソウ等が多い。

  (4)黄瀬区 黄瀬川、大幌内川、小幌内川、尻辺川各流域に相当する区域であるが、各川沢の奥入瀬斜面はこれを除くのである。

  この区の特徴とする所は、川沢が多く各川沢はその間に介在する尾根部によって界しており、尾根上と沢面との傾斜度は甚急で典型的なV字渓谷をなしている。本型の標高600m以上の場所は上述の二区と大差はないが、600m以下においては後記“DaⅡブナ―トチ型”“DaⅢブナ―ミズナラーイタヤカエデ型”の顕著な発達によって本型の発達が著しく阻害され、傾斜がやや急な尾根上を主に分布し、さらに“DaⅡ型”と“DaⅢ型”の中間帯、すなわちV字渓谷両面の斜面たる急傾斜の上部に小さい帯状をなして発達しているのである。

  その発達区域は蔦川沿岸各小沢間の尾根上末端部600m以下、黄瀬川流域両岸の尾根上および各小尾根の末端部700m以下、およびその北岸にあたる橇ケ瀬以西の中腹、大幌内川、小幌内川、尻辺川各流域の小尾根末端部および西部郡界尾根以東の大部等に分布するので、各川沢に面するものは面積著しく不同、また互いに連続するものもあれば線上に介在するものもあり、極めて不規則な型を呈するものである。

本区に属する本型は、さらに乾燥地型、適潤地型、およびその中間型等の3型に区別される。

  すなわち、乾燥地型においては優喬木ではブナが断然優勢なのは言うまでもなく、他にミズナラ、センノキ、ホオノキの少量を混入する。従喬木ではブナ、ハウチワカエデが多く、他にハクウンボク、オオヤマザクラ、アラゲアオダモ、アズキナシ、アオハダ等を混入する。灌木階ではチシマザサ、メクマイザサ優勢であるが、所により牛馬の食害のため枯死している場所が多い。他に多いものはオオバクロモジ、ムシカリ、ヒメアオキ、アクシバ、ムラサキヤシオツツジ、コミネカエデ、エゾユズリハ、ハナヒリノキ、ツルシキミ、シロバナシャクナゲ、ノリウツギ、ヒメモチ、イヌツゲ、アカミノイヌツゲ等である。草類階ではホソバナライシダ、シシガシラ、シノブカグマ、ミヤマイタチシダ、ツルアリドオシ、ツルリンドウ、ヤマソテツ等が多い。蔓茎類ではゴトウヅル、イワガラミ、ツタウルシが見られる。

  これらによっても明らかなとおり、場所は沢に面する斜面の直上にあたるものが多く、その他の部分でも風衝を受ける乾燥地に多いものである(石南科灌木の多いので知られる)。

  適潤地型においては優喬木にブナ多いは言うまでもないが、他にトチノキ、ベニイタヤ、ヒロハノキハダ、センノキ等を混入するので著しい。従喬木ではウダイカンバ、ウワミズザクラ、ハウチワカエデ等があり、灌木階ではオクヤマザサ、メクマイザサ等のササ類が多いのであるが牛馬の侵入によって場所により絶滅している所もある。他にヒメアオキ、ハイイヌガヤ、サワアジサイ、ムシカリ、オオバクロモジ、キブシ等が多い。草類階ではナガバシラネワラビ、オシダ、リョウメンシダ、ツルリンドウ、ホソバナライシダ、ミゾシダ、オクノカンスゲ等が多い。蔓茎類ではゴトウヅルが優勢で着生植物にオシャグジデンダがあるくらいのものである。

  このように優喬木に混入因子の多い事、灌木階に石南科灌木を混入せず他の安定型のものが多く、草本類では大型羊歯類の多い事が特徴で、後記“DaⅡブナ―トチ型”に極似し、この型との混交帯の様相をなしている。

  これら乾燥地型と適潤地型の中間に属する型では、優喬木にブナ以外の混入因子でセンノキ、ウダイカンバ、オオヤマザクラ、トチ、イタヤカエデ等があり、従喬木ではこれらの他ハウチワカエデ、アズキナシ、ヤマモミジ、バッコヤナギ、ハクウンボク、ヤマナラシ、ウワミズザクラ等多く、灌木階ではムシカリ、オオバクロモジ、ハイイヌガヤ、オクヤマザサ、メクマイザサ、アクシバ、ヒメアオキ、エゾユズリハ、イヌツゲ、ヒメモチ、ヤマツツジ、ミヤマガマズミ、コマユミ、サワアジサイ等が多い。草類階ではシシガシラ、ミヤマカンスゲ、ホソバナライシダ、ミヤマイタチシダ、ヤマソテツ、オシダ、リョウメンシダ、ツルリンドウ、シノブカグマ、ミゾシダ等が多い。蔓茎類ではシラクチヅル、ゴトウヅル、ヤマブドウ、イワガラミ、ツルマサキがあり、ミヤマノキシノブ、オシャグジデンダ等が着生している。

  すなわち、各階を通じて生育植物はいずれも乾湿両方のものを混入している事が明らかであり、また、占領面積も最も広大である。ただし、これらの各因子はこの中間型において種みなそれぞれの混交歩合があることは言うまでもない。

  (5)浅瀬石川上流区 十和田外輪山以北、膳棚山―駒ヶ峯間にある上北―南津軽両郡界以西の区域であるこの区域においては、標高の比較的高い亜高山帯と連続する高所においてかなりな大面積を有している。その独占個所は太田代付近900m以下より始まり、郡界を経て膳棚山山頂付近に出で、それから外輪山頂上付近の尾根末端部に添って狭帯をなしいるものが最も大面積である。さらに、(4)黄瀬区と同様沢面の斜面の直上に位置する標高の低い小面積の小尾根末端部のものが多数発達している。

  これらの植物相を述べると次のようになる。

  適潤地においては、優喬木はブナが優勢、それにトチ、センノキ、サワグルミ、ベニイタヤ、カツラが混入する。従喬木ではこれらの他コシアブラ、ハウチワカエデ、アラゲアオダモ、コバシジノキ、ウワミズザクラ等多い。灌木階ではオクヤマザサ断然多く、他にシナノキ、ムシカリ、オオバクロモジ、オクイボタ、ノリウツギ、ハイイヌガヤ、ヒメアオキが多い。草類階ではオシダ、リョウメンシダ、ホソバナライシダ、ミゾシダ、オクノカンスゲ等が多い。蔓茎類ではゴトウヅルが多い。

  乾燥地においては、優喬木はブナ断然優勢、それに少量のミズナラを混入する。従喬木ではこれらの他ハウチワカエデ、ゴンゼツ、ホオノキ、ケヤマザクラを混入する。灌木階ではオクヤマザサ断然優勢、他にムシカリ、コヨウラクツツジ、マルバマンサク、オオバクロモジ、エゾユズリハ、ヒメモチ、コマユミ、ムラサキヤシオツツジ、ミヤマイタチシダ、シノブカグマ、ツルアリドオシ等が多い。

なお、本型の900m付近の高所におけるものは優喬木はブナ一種のみ。従喬木はハウチワカエデ、ゴンゼツ、ナナカマド、コバシジノキが優勢。灌木階ではチシマザサ断然優勢、他にオオバクロモジ、ムシカリ、ミネカエデ、ヒメアオキ、ヤマシキミ、アクシバ、ヒメモチが多い。草類階ではシラネワラビ、ツクバネソウ、ヒメカンスゲ、ミヤマカタバミ、ツルリンドウ、コイチヨウラン、アケボノシュスラン、ツバメオモト、タニギキョウ、タケシマラン、ウチワマンネンスギ、ホソバノトウゲシバ、チゴユリ、ヤマソテツ、シノブカグマ、ハリブキ、ツルアリドオシが多い。蔓茎類ではツルアジサイ、イワガラミ、ツタウルシがあり、着生植物にミヤマノキシノブがある。

  このように適潤地型、乾燥地型、高地型の3者に区分するのが、本型の穏当な類別になると思われる。

  (6)奥入瀬区 奥入瀬流域といっても、奥入瀬川は他の川と異り源を十和田湖に発しているから流域という言葉はあてはまらないが、まず、大体子ノ口から焼山に至るいわゆる奥入瀬川の両岸のみを取り扱うもので、これに流入する各川沢の流域は含まない。ただし、惣辺川流域のみは例外として含めた。

  この区間の両岸境界線は極めて不規則に出入するものであり面積も7区の中で最小であるが、遊覧地帯としては特に重要な区間であるから1つの区として特に説明を付する事とした。この区は後記十和田区とともに前述の5区で見られた亜高山帯直下の本型の広大な発達は認められず、尾根上およびその側縁(小尾根末端部)に発達した小面積のもののみ認められるにすぎない。ただし、本型は奥入瀬流域としては最高部を占める植生をなすのである。

  本区における植相の概況は乾燥地型において優喬木はブナ優勢であるは言うまでもなく、これにミズナラ、センノキ、アズキナシの少量を混入する。従喬木ではこれらの他ハウチワカエデが最も多く、他にハクウンボク、オオヤマザクラ、アラゲアオダモを混入する。灌木階ではオオバクロモジ、アクシバ、ムシカリ、ヒメアオキ、チシマザサ、ムラサキヤシオツツジ、コミネカエデ、ウワミズザクラ、マルバマンサク、ハイイヌガヤ、ヒメモチ、ヤマツツジ、アカミノイヌツゲ等がある。草類階ではツルシキミ、シシガシラ、ツルアリドオシ、ミヤマカンスゲ、ヒメカンスゲ、ミヤマイタチシダ、ホソバナライシダ等が多い。蔓茎類ではツタウルシ、ツルアジサイ、イワガラミが認められるのみ。

  (7)十和田区 十和田外輪山以内の区域においては、本型は大川岱沢北部の尾根上宇樽部沢流域における高山、戸来岳、御子岳の各小尾根上でやや大きな面積があるにすぎない。

  これらの他、外輪山上およびそれから分れた小尾根上に小面積のものが若干発達している。しかも、本区は奥入瀬区とともに他の区で基本的にあるような亜高山帯直下で大面積を占める分布にはならない。

 当地における植相は、主として乾燥地型と適潤地型の両者があり高地型はほとんど見られない。

  乾燥地型においては、優喬木はブナ断然優勢である事は言うまでもなく、他にシナノキ、ベニイタヤ、センノキ、ミズナラ、アズキナシなどの各少量を混入し、所により不安定地にダケカンバ、ヤマハンノキの小群状混入を見る事もある。従喬木ではハウチワカエデ、ゴンゼツ、アズキナシ、ナナカマド多数をしめ、アオダモ、コミネカエデ、オオヤマザクラ、ヤマモミジ、コバシジノキ、シナノキなどの少量が混入する。灌木階ではチシマザサ断然多いけれども、オクヤマザサ、オオバクロモジ、アクシバ、ヒメモチ、ムラサキヤシオツツジ、ムシカリ、ツルシキミ、ノリウツギ等またかなり多く、他にヒメアオキ、ハイイヌガヤ、エゾヒョウタンボク、コヨウラクツツジ、ヒロハハナヒリノキ、ツノハシバミ、イヌツゲ、ツリバナ、マルバマンサク、ホツツジ、ヤマツツジ、リョウブ、コマユミ、ミヤマガマズミを混入する。草類階ではマイヅルソウ、ヒメカンスゲ、ミヤマイタチシダ、ホソバノトウゲシバ、シシガシラ、ヤマソテツ、シノブカグマ、ツルアリドオシ、シラネワラビ、チゴユリ、ツクバネソウ、アケボノシュスラン、ツルリンドウ等多数を占め、他にシラネアオイ、コイチヨウラン、ホソバナライシダ、アキノキリンソウ、タケシマラン、ヤマヌカボ、ミヤマカタバミ、ツバメオモト、トリアシショウマ等を混入する。蔓茎類ではイワガラミ、ツルアジサイ、ツタウルシ時にヤマブドウが混じり、着生植物ではミヤマノキシノブ、ホテイシダ等がある。

  適潤地型においては優喬木ブナ断然優勢であるは言うまでもないが、さらにトチノキ、サワグルミ、ホオノキ、ウダイカンバ、少量のシナノキ、カツラ、アサダを混入する。従喬木ではブナ、ハウチワカエデ、イタヤカエデ、ヤマモミジ、シオリザクラ、ミズキ、ウワミズザクラ等が多く、他にベニイタヤ、コミネカエデ、コブシの少量を混入する。灌木階ではオクヤマザサ、サワアジサイ、オオバクロモジ、ヒメアオキ、ハイイヌガヤ、ムシカリ、イボタ、ノリウツギ等が多い。草類階ではトチバニンジン、クルマバソウ、ミヤマスミレ、タニギキョウ、サワハコベ、ジュウモンジシダ、リョウメンシダ、ミヤマトウバナ、スミレサイシン、ミヤマカタバミ、オクノカンスゲ、ミゾシダ、オシダ、タマブキ、エンレイソウ、イワガラミ、ツタウルシ、ツルアジサイ、ヤマブドウ、シラクチヅル、オニツルウメモドキ等を見る。


Da II ブナ―トチ型

Fagetum Aesculusum

(Fagus crenata - Aesculus turbinata community-type)

  これは“Daブナ群叢”の基本型すなわち“DaⅠブナ単純型”が湿潤系に傾いたもので、換言すればブナ群叢の湿潤性に傾いた極端型ともいえる。重要因子としてはブナの他かなり多量のトチノキを混入するものである。

  この型は当地域においては一般に中山帯の緩斜から平坦地で地下水の比較的高い地帯に群生するものであり、特に黄瀬区と浅沼石川上流区の両国ほとんど限られている型である。ただし、傾斜がやや急になってもブナ林にトチを相当量混入する事があるが、それは後記“DaⅢブナ―ミズナラーイタヤカエデ型”と本型との中間帯または推移帯と見られ、一般に北向斜面で地下水の比較的高い区域をなすのである。ただし、この後者の著例は本地域ではほとんど認められない。

当地域における本型の発達区域は黄瀬岱浅瀬石川上流の善光寺平米沢平等である。

  黄瀬区においては、蔦―橇ヶ瀬沢間たる蔦赤倉岳東南腹の緩斜地標高500ー600m間に多く、周囲群叢はほとんど前記“DaⅠブナ単純型”である。この所では各小沢によって6区に分けられている。黄瀬川以南においては大幌内川、小幌内川、尻辺川およびそれらの各小沢間の尾根上緩斜地、標高500-750m間の各所に分れて発達し、周囲群叢は“DaⅠブナ単純型”および“DaⅢブナ―ミズナラーイタヤカエデ型”である。小区域のものは計9区を数えるほどである。これらの区域には属さないが、例外として蔦温泉西北の松森山東腹、標高600-650m間の緩斜地に小面積の本型がある。

  また、浅瀬石川上流区においては、十和田外輪山の北方津根川森山※56)-膳棚山間の郡界西部にわたり浅瀬石川上流の寒川(ひゃっこがわ)等の斜面を除いた他の全部、すなわち標高600―800m間の緩斜面がほとんど全部本型に属しており、本区の最大面積を占めるものである。周囲群叢は“DaⅠブナ単純型”およびDaⅢブナ―ミズナラーイタヤカエデ型”の両者である。

  これらの区域における林況はかなり変化に富んだもので、前記“DaⅠブナ単純型”の適潤地型に近い型から全くブナを混入しない“トチ―サワグルミ型”まで種の過程が認められるが、前者が湿度少なく後者が湿度大である事は混入因子からも分かる。この湿度大なる“トチ―サワグルミ型”は“Dcトチ―サワグルミ―カツラ群叢”に近いものではあるけれども、後者はほとんど沢沿いに限られ、しかも多数のヤナギ類樹木を混入するものなので、これらは明らかに区別され得るものと思われる。

  本型中で湿潤度の高い所においては、優喬木はトチ、サワグルミ、カツラ、ベニイタヤが最も多く、オヒョウニレ、ヒロハノキハダ、センノキ、シナノキを混入、所により僅少のブナを混入する場所もある。従喬木ではウワミズザクラ、シオリザクラ、コシアブラ等があり種類も量も僅かである。灌木階ではオクヤマザサ断然優勢であるが、他にハイイヌガヤ、サワアジサイ、ヒメアオキ、ムシカリ、キブシ、ヤマシキミ、コマユミ、オオバクロモジが見られる。草類階ではリョウメンシダ、オシダ、ミヤマベニシダ、ジュウモンジシダ、クサソテツ、サカゲイノデの羊歯類の他、ホウチャクソウ、クルマムグラ、タニギキョウ、スミレサイシン、ミヤマヤブニンジン、ミゾホオズキ等多い。蔓茎類ではツタウルシ、ツルアジサイ、ツルマサキ、ミツバアケビ、ヤマブドウ、オニツルウメモドキがある。着生植物にはオシャグジデンダ、ミヤマノキシノブ等がある。

  前者と比べて湿潤度の低いものが本型の最も普通の方であるが、これでは優喬木としてブナ、トチ、ベニイタヤ、サワグルミ、カツラ、ホオノキ、シオリザクラ等多く、少量のセンノキ、ヒロハキハダを混入する。従喬木ではウワミズザクラ最も量多く、他にミズキ、ゴンゼツ、オヒョウニレ、ハウチワカエデ、アラゲアオダモを混入する。灌木階ではオクヤマザサ、オオバクロモジ、ハイイヌガヤ、サワアジサイ、エゾユズリハ、コマユミ、ヒメアオキ、ムシカリ等多い。さらにヒロハマンサク、ツリバナ、ツノハシバミ、ニワトコ、ヒメモチ等を混入する事がある。草類階ではオシダ、リョウメンシダ、ミヤマベニシダ、ホソバナライシダ、シラネワラビ、ジュウモンジシダ、ミゾシダ、クサソテツ、サカゲイノデ等の羊歯類多く、さらにトチバニンジン、クルマムグラ、ユキザサ、サルメンエビネ、ビンボウカズラ、ツルリンドウ、ムカゴイラクサ、ホウチャクソウ、タニギキョウ、コイチヨウラン、アケボノシュスラン、フッキソウ等が多い。蔓茎類ではミヤママタタビ、ヤマブドウ、シラクチヅル、ツルウメモドキ、ツタウルシ、イワガラミ、ツルアジサイ、ツルマサキ等があり、着生植物にはミヤマノキシノブ、オシャグジデンダが見られる。

  これらによっても明らかなように、本型は優喬木にブナ、トチ両種の他多数の種類を含み、従喬木はやや種類に乏しいが灌木階は多数の種類があり、草類階は種類が多く、特に大型多巡草※57)に富んでおり、蔓茎類は種類も量も極めて豊富である。すなわち、各層とも種類に富んでいることが本型の特徴であり、因子の個々を吟味すれば“Daブナ群叢”と後記“Dcトチ―サワグルミ―カツラ群叢”両因子を含有している事は明らかで、これは、ひいて本型がDaとDcとの中間帯を意味するとも理解される。


Da III ブナ―ミズナラ―イタヤカエデ型

Fagetum quercosum acerosum

(Fagus crenata - Quercus crispula - Acer mono community-type)

  DaⅢは“DaⅠブナ単純型”と後記“Dbミズナラ群叢”との中間帯と認められるものでこれらの推移帯と思われるから、従来の表示法(昭和10年3月)に従えばEaとb(すなわちEaはブナ群叢、Ebはミズナラ群叢)として表現されるべきであったが、当地域における全般的な状況から考えてミズナラ群叢は極めて貧弱な発達をなすにすぎず、それに引きかえブナ群叢はほとんど全面を被覆する感ある様に極めて優勢発達をなしており、しかも重要な因子としてイタヤカエデを伴うのでブナ群叢のひとつの型とみなすのが穏当な様に考えられた。ただし、将来Daとbとする方が良いという意見になった場合は改めて訂正する事とする。

  一般的な生育地を見るとミズナラは低所にブナは高所に分布する様なので、本型は比較的下部、すなわち、沢沿い近く中腹に発達する事が多いのである。しかし、ミズナラ群落はブナ群落よりは低所に生ずるけれども天然に単純群落をなし、極盛相に達するものは沢通りと尾根通りとの中間急傾斜をなす斜面上に認められるので、かかる斜面上においてブナ群落とミズナラ群落との推移帯を形成する事はやや安定するものと認めて差異のないものであろうと思われる。当地域においては、各区を通じてこの考えを裏づける様に急傾斜の斜面上に著しい発達をなしているのが認められる。

  (1)田代区 本区においては駒込川における田代新湯以南の両岸から七十森山-紫森山間尾根の南腹急傾斜地の基準的な発達が認められる他、東側石倉山(標高891.2m)-三角点715.2m間尾根通り西腹のやや傾斜地のものがあるが、後者は人為伐採による一時的(退化的)林分と認められる。

  駒込川沿岸においては、優喬木はミズナラ、ブナその他イタヤカエデを伴う。従喬木ではアズキナシ、ハウチワカエデ多く、乾燥性岩石他にはアラゲコバシジノキ、タカノツメ、アカシデ、ナナカマドを混入する。灌木階ではツノハシバミ、オクヤマザサ、オオバザサ、ムシカリ、ヒメモチ、ツルシキミ、ハイイヌガヤ、コマユミ、ヒメアオキ、ウワミズザクラ、エゾユズリハ、オオバクロモジ、ヒロハタムシバ等多く、乾燥岩石地ではオオバスノキ、エゾヒョウタンボク、サワシバ、ミヤマガマズミ、ヤマツツジ、アクシバ、ウラジロヨウラク、ヒロハノツリバナ、ヒロハマンサク、ホツツジ、ムラサキヤシオツツジ、ウスノキ、ヒメヤシャブシが見られる。草類階ではずヅダヤクシュ、ミゾシダ、ツルアリドオシ、マイヅルソウ、シシガシラが多く、乾燥岩石地にはシロバナイカリソウ、ヒメカンスゲ、イヌヨモギ等がある。

  石倉山西南腹においては、優喬木はブナ、ミズナラ、従喬木はハウチワカエデ、ウワミズザクラ。灌木階はエゾユズリハ、ムシカリ、コシアブラ、オオバクロモジ、ヒメモチ、イヌツゲ、ハイイヌガヤ。草類階はツクバネソウ、ツルアリドオシ、チゴユリ、ギンリョウソウ、ヤマドリゼンマイ。蔓茎類にはツルアジサイ、ツタウルシがある。

  前者においては乾燥岩石地とやや湿潤地とでは混入因子を異にする場合があるが、乾燥岩石地は本型の基準的なものと思われ、やや湿潤な所のものは“DaⅠブナ単純型”中の乾燥地型に次第に接近して来る。後者石倉山のものは、付近伐採によりミズナラの増加した退化的のものなので、混入因子は著しく“DaⅠブナ単純型”に近似している。

  (2)北八甲田西腹区 本区においては単に荒川上流部、城ヶ倉付近に限られて発達しているにすぎない。該所では六角状円筒形をなした石英粗面石が浸食されて、V字渓谷をなした斜面が急斜地―断崖上の岩石地をなし、本型の発達がある周囲群叢は、上部“DaⅠブナ単純型、”下部は“Dcトチ―サワグルミ―カツラ群叢”であり、内に“CdⅡヒメコマツ型”および“G岩石荒原”を混入している。

  本区における乾燥岩石地の植相は、優喬木にブナ、ミズナラ、オヒョウニレ。従喬木にアズキナシ、アラゲコバシジノキ、ミヤマザクラ。灌木階にはリョウブ、シロバナシャクナゲ、アクシバ、コヨウラクツツジ、アカミノイヌツゲ、オオバスノキ、ヤマツツジ。草類階にイワナシ、ツルアリドオシ、オサシダ、アキノキリンソウ、ヒメノガリヤスがあり、これらの因子によれば高地植物の下降が著しく現れている。

  (3)南八甲田東腹区 本区では蔦川両岸に最も良く発達しているけれども、東岸は一部を除いて他の大部分は伐採され、現在は放牧地として利用されている。他に、黒森山の南腹冷水沢の南岸も僅少の発達が認められる。蔦川の発達区は、蔦橋以南は両岸の斜面に、蔦橋以北は仙人橋付近までの区間で両岸の法面に良く発達しており、周囲群叢は上部が“DaⅠブナ単純型”所により“Dbミズナラ群叢”があり、東岸には“DaⅣブナ退化型”がある。下部はほとんど“Dcトチ―サワグルミ―カツラ群叢”に限られている。また、所により中に“G岩質荒原”を散在させている所がある。本区の植相は優喬木にブナ、ミズナラ、イタヤカエデが多数を占めているのは言うまでもなく、センノキ、ホオノキを混入、また下部にはサワグルミ、トチ、ヤチダモ、アサダ、カツラの少量混入もある。従喬木はハウチワカエデ、アズキナシ、ヤマモミジ、ハクウンボク、アラゲアオダモ、ウワミズザクラ、灌木階にはマルバマンサク、ムシカリ、ムラサキヤシオツツジ、オオバクロモジ、ハイイヌガヤ、アクシバ、ミヤマガマズミ、ヤマツツジ、イヌツゲ、ツノハシバミ、ニワトコ、キツネヤナギ、コマユミ等がある。

  草類階ではアキノキリンソウ、シシガシラ、ホソバナライシダ、フタリシズカ、ミヤマベニシダ、サカゲイノデ、チゴユリ、ダイコンソウ、スミレサイシン、ウマノミツバ等がある。蔓茎類にはツルアジサイ、ツタウルシ、ヤマブドウ、イワガラミ。着生植物にはホテイシダがある。

 これらによっても明らかなとおり、急斜岩石地に多いミズナラ群叢の因子とブナ群叢の適潤地因子とを混入した様な雑多な植相をなしている。

  (4)黄瀬区 本区における本型の発達は最も顕著なもののひとつである。その原因は、西部郡界および北部乗鞍岳から奥入瀬に至る斜面はいずれも緩斜面をなすのが本来の地型であったのであるが、雨水の著しい侵蝕の結果現在においては各小沢共著しく沈下して、尾根上まで標高100m―180mの差を有する深谷を形成し著しいV字型の渓谷をなしている。したがって、各小沢のV字型の斜面に本型は発達しているから、本型の占有面積が大きい結果となるのである。

  発達区は、黄瀬川、大幌内川、小幌内川および尻辺川各川沢およびそれら各小沢の両岸であり標高600m以下に発達するものが多い。周囲群叢は、上部は大部分“DaⅠブナ単純型”であるが、所により“DaⅡブナ―トチ型”の所があり、下部は全部“Dcトチ―サワグルミ―カツラ群叢”である。内には黄瀬川流域のような“G岩質荒原”を含み、その中流にある松見の滝付近には“CbⅡヒメコマツ型”を混入している所もある。

  本区の植相は、優喬木はブナ、ミズナラ、イタヤカエデの他、センノキ、ホオノキを混入する。従喬木ではアズキナシ、ハウチワカエデ、アオダモ、ウワミズザクラ、シオリザクラ。灌木階ではムシカリ、ムラサキヤシオツツジ、オオバクロモジ、チシマザサ、ヒメモチ、アクシバ、ハイイヌガヤ、ハナヒリノキ、ツリバナ、イヌツゲ、ノリウツギ、コマユミ、ツルシキミ等が多い。草類階ではマイヅルソウ、ジンヨウイチヤクソウ、ツクバネソウ、ヤブコウジ、ツルアリドオシ、アキノキリンソウ、シシガシラ、チゴユリ、ホソバナライシダ、ミヤマイタチシダ、アケボノシュスラン、オシダ等。蔓茎類にはツタウルシ、イワガラミ、ツルアジサイ。着生植物にはオシャグジデンダがある。

  (5)浅瀬石川上流区 本区においては滝ノ股沢の流域の両岸急斜地700m以下に発達するものと、温川(寒川その他)流域両岸急斜地に発達するものとがある。周囲群叢から見れば前者は上部が“DaⅠブナ単純型”で、下部は“Dcトチ―サワグルミ―カツラ群叢”に属するものなく直接断崖岩石地をなして沢に面している。内に所々“G岩質荒原”を含む。後者は上部の大部分が“DaⅢブナ―トチ型”であり、所により“DaⅠブナ単純型”に属する所もある。下部は“Dcトチ―サワグルミ―カツラ群叢”が主であるが、“Dbミズナラ群叢”の所もある。内には僅少ながら“G岩質荒原”を混入している。

  本区の植相は優喬木がブナ、ミズナラ、イタヤカエデくらいのものであり、所によりヤマハンノキ、ヤマモミジ、ホオノキを混入する。従喬木はハウチワカエデ、アズキナシ、ナナカマド、アラゲアオダモ、ウワミズザクラが多い。灌木階ではチシマザサ、オクヤマザサ、ナガバネマガリが優勢、他にハイイヌガヤ、ツルシキミ、ヒメアオキ、ムシカリ、オオバクロモジ、ヒロハタムシバ、マルバマンサク、ツリバナ、コマユミ、ヒメモチ、ムラサキヤシオツツジ、キブシ、コヨウラクツツジ、ノリウツギがある。草類階ではミヤマイタチシダ、シシガシラ、ヤマソテツ、オシダ、ミヤマカンスゲその他がある。蔓茎類にはツルアジサイ、ツタウルシがある。着生植物にはヤドリギ、オシャグジデンダがある。

  (6)奥入瀬区 本区における両岸尾根通りは前述の“DaⅠブナ単純型”であり、沢通りには“Dcトチ―サワグルミ―カツラ群叢”および“G岩質荒原”の錯綜があり、この間に挟まれた山腹面、すなわち斜面の大部分が本型に属するのである。本区の植相は、優喬木にブナ、ミズナラ、イタヤカエデの他にトチ、サワグルミ、ドロノキ等あるけれども、これらは標高が上がるにつれ次第に姿を減少し重量因子ばかりになってしまう。従喬木ではハウチワカエデ、ヤマモミジ、アオダモ、コミネカエデ、ウワミズザクラ、アズキナシがある。灌木階ではムシカリ、エゾユズリハ、アラゲヒョウタンボク、ニワトコ、マルバマンサク、ホツツジ、ムラサキヤシオツツジ、オオバクロモジ、アクシバ、ツルシキミ、ヒメアオキ、ハイイヌガヤ、アクシバ、ジダケ等が多い。草類階ではオシダ、クルマムグラ、ジュウモンジシダ、ミヤマヌカボシソウ、リョウメンシダ、アキノキリンソウ、フタリシズカ、タニギキョウ、ミヤマカンスゲ、クサソテツ、スミレサイシン等の適潤性のものからシシガシラ、チゴユリ、ヒメカンスゲ、ツルアリドオシ、マルバキンレイカ、マイヅルソウ等の乾燥性のものまで種々の階種がある。蔓茎類にはツタウルシ、ツルアジサイがある。

  (7)十和田区 十和田湖外輪山は旧噴火口壁の残部であることは明らかであるが、付近の状況から推察するに二重式火山の特徴をいかんなく発揮するものと思われる。十和田湖外輪山内の成因は、現在外輪山は外側噴火口壁の残骸であり、内側噴火口壁は現在の中山半島千丈幕、御倉半島、御門石[みかどいし]、中山半島を連ねるいわゆる中湖の周縁に相当し、しかも十和田湖の湖水としての成因は噴火に供なう陥没からなる「陥没カルデラ湖」であるとされている。したがって、現形をとる様になった時期は今から何千年前か解らないが、当時は現在の外輪山がさらに後方に位置していた部分があったでのであろうが、それ以後現在までの侵蝕の結果数多くの小沢を生じ、現状をなしたのであると思われる。

  このように噴火に伴う陥没の結果、湖水面と外輪山上(子ノ口付近を除く)との標高差が250m―600mあり、水平的には戸来岳、白地山付近を除いても500m―2,500mの距離があるので、平均換算角度(傾斜度)は13°―27°となり、実際は上部が急斜で下部湖畔に近くなるとほとんど水平であるから最急傾斜度は40°くらいとなるであろう。

  この様な急傾斜と浸食により、傾斜面は岩石を露出して岩石地となり全般的に乾燥性に傾いている。したがって、尾根沿いの傾斜のやや緩む所は前記“DaⅠ型”に属しており、下部湖畔および各小沢沿いの下部は後記“Dc群叢”であり、その間標高差1,200m―500mを有する急傾斜面が全部本型の占める所となり、その大面積なる事は到底他区の追従を許さない所である。しかも中山、御倉山両半島の標高600m以下の大部分(“Cb群叢” “G群原”を除く)が本型に属しているので、本区の大部分が本型に属する事となる。したがって、本区における本型の発達は著しく良好なもので、本型の基準型から乾、湿両極端型まで種々の過程が認められる。最も普通に現われる基準型と思われるものは急斜と岩石地に影響されて全般的に乾燥性のものが多く、湿型に向かって適潤型、湿潤型が多い。これらの他、高地型や特殊樹種イヌエンジュの特に多い型があり種々様々である。

  基準型と思われるものにおいては、優喬木はミズナラ、ブナ、イタヤカエデ、ベニイタヤ、ウダイカンバ、ホオノキの他、場所によりヤマハンノキ、ダケカンバを伴う。従喬木にはハウチワカエデ、アズキナシ、ナナカマド、アオダモ、コミネカエデ、ウリハダカエデ、シナノキ、アカシデ、ゴンゼツ、ミヤマザクラが多い。灌木階ではチシマザサ、オクヤマザサ断然多く、他にハヤチネザサ、チマキザサ、ムシカリ、ホツツジ、ムラサキヤシオツツジ、ヒメアオキ、ノリウツギ、アクシバ、オオバクロモジ、マルバマンサク、ミヤマガマズミがあり、少量のリョウブ、ヒメモチ、エゾユズリハ、アカミノイヌツゲ、ヒロハハナヒリノキ、オオバスノキ、エゾヒョウタンボクを伴う事もある。草類階ではマイヅルソウ、ヘビノネゴザ、ツルアリドオシ、シノブカグマ、ヤマソテツ、チゴユリ、アキノキリンソウ、ヒメカンスゲが多く、他にツルリンドウ、ツクバネソウ、ガンクビヤブタバコ、クルマムグラ、ジンヨウイチヤクソウおよび大形多巡草としてトリアシショウマ、ヤマブキショウマ、オオイタドリ、オシダ、アキタブキ等を伴う事がある。蔓茎類にはツルアジサイ、ツタウルシ、イワガラミ、オニツルウメモドキがある。

  適潤地型においては優喬木はブナ、ミズナラ、イタヤカエデ、ホオノキ、ケヤキの他、カツラ、ベニイタヤ、オヒョウニレ、シオリザクラがある。従喬木にはハウチワカエデ、アズキナシ、サワシバ、ミヤマザクラ、ミズキ、アオダモ、ウワミズザクラ、ヤマボウシがある。灌木階ではオオバクロモジ、ノリウツギ、ミヤマガマズミ、チシマザサ、ムシカリ、ハイイヌガヤ、ヒメアオキ、コマユミ、エゾヒョウタンボク、ニワトコ、ハナイカダ、サワダツが多い。草類階ではマイヅルソウ、チゴユリ、ヒメカンスゲ、オシダ、クルマバソウ、クルマムグラ、ホウチャクソウ、ケタチツボスミレ、ミヤマトウバナ、タニギキョウ、ダケゼリ、ホドイモ、ソバナ等が多い。蔓茎類にはツルアジサイ、ツタウルシ、イワガラミ、オニツルウメモドキ、ミツバアケビ、ヤマブドウ等がある。

  湿潤地型では優喬木はブナ、ミズナラ、イタヤカエデ、センノキ、ホオノキおよびトチ、サワグルミ、ベニイタヤ、カツラ、シロヤナギがある。従喬木にはハウチワカエデ、ウワミズザクラ、アオダモ、コミネカエデ、シオリザクラ、ヤマモミジがある。灌木階ではチシマザサ、オクヤマザサ、チマキザサ、オオバクロモジ、ムシカリ、サワアジサイ、ノリウツギ、キブシ、オクイボタ、イヌツゲ等がある。草類階ではウワバミソウ、スミレサイシン、クルマバソウ、タニギキョウ、ミゾシダ、ヤブハギ、フイリミヤマスミレ、ツルニガクサ、セントウソウ、マルバネコノメソウ、ヒメヘビイチゴ、クルマムグラ、タニタデ、マイヅルソウ、ミヤマシケシダおよび大形多巡草としてムカゴイラクサ、コウライテンナンショウ、リョウメンシダ、サカゲイノデ、サラシナショウマ、オシダ、イヌガンソク、オニシモツケ、ソバナ、タマブキ、ハナビゼリ、ヤグルマソウ、クサソテツ、ミヤマベニシダ、ホウチャクソウ等がある。蔓茎類ではツルアジサイ、ツルマサキ、イワガラミ、ヤマブドウ、ツタウルシ、ツルウメモドキ、オニツルウメモドキ等が見られる。

  高地型では膳棚山頂上直下(標高800m付近)におけるように樹木は樹高小さく3mくらいで、喬木種も混生、主な樹種はミズナラ、ダケカンバ、アズキナシ、ハウチワカエデ、コバシジノキ、ムラサキヤシオツツジ、マルバシモツケ、コメツツジ、アジサイノリウツギ、ヒロハハナヒリノキ、エゾヒョウタンボク、ウラジロヨウラク、オオバスノキ、ミヤマホツツジ、ミヤマガマズミ等多数を占める。草類階ではアキノキリンソウ、マルバキンレイカ、ヒメノガリヤス、イヌヨモギ等が認められるにすぎない。すなわち、環境は地形が急峻風衝地であるほか岩石地で、乾燥性の環境をなすことが明らかである。

  ミズナラ―イヌエンジュ型のものは青撫※58)付近、湖岸緩斜地および中山半島頭部西側の湖畔平地等に認められるにすぎない。前者の優喬木はブナ、ミズナラ、ホオノキ、サワグルミ等があり、後者のものはミズナラ、ドロノキ、ベニイタヤ等がある。従喬木はいずれにおいてもイヌエンジュ最も優勢で、他にハウチワカエデ、ナナカマド、ウワミズザクラを混入する。灌木階は前者においてはサワアジサイくらいのもので他はほとんど認められないが、後者においてはムラサキツリバナ、エゾツリバナ、シナノキ、イタヤメイゲツ、コマユミ、ミヤマザクラ、エゾヒョウタンボク、ムシカリがある。草類階は前者においてはケタチツボスミレ、マイヅルソウ、ヤブハギ、オヤブジラミ、スズメノヒエ、ヒゴクサ、ヌカボシソウ、アキノキリンソウ、ゲンノショウコ、アシボソ、ミズヒキグサ、ダイコンソウ、シシガシラ等が多い。後者においてはマイヅルソウ、アマニュウ、ケタチツボスミレ、シシウド、イヌドウナ等がある。蔓茎類はミツバアケビ、ツルマサキ、ツタウルシ、ヤマブドウ、シラクチヅルがある。すなわち、前者は伐採跡地であるばかりでなく牛馬の侵入もあって退化型※59)をなしているが、後者は湖岸の低地岩石地に発達した本型の特殊群落であるとしなければならない。十和田湖畔における本型を以上のように類別したが、本型で重要因子としたブナ、ミズナラ、イタヤカエデのうちイタヤカエデが最も混量が少ないが、ほとんど全般的に混入している。またブナ、ミズナラも所によりその混交歩合を異にし、殊に中山半島においてはブナの混入が甚だ少なく、ミズナラ、イタヤカエデを主としている。また、各急斜地においても上部にブナ多く下部にミズナラの多い事も否定できない。


Da IV ブナ退化型

(Fagus crenata secondary community-type)

  これはブナ“Daブナ群叢”の退化(二次)型を現したものであるが、所によりDb、Dcの退化型をも含んでいるので”D群系“の退化型を現わしているといった方が当たっている。しかし、“Da群叢”以外のものは当地域では非常にわずかなので、便宜上Daの型の一つであるとみなしDaⅣとして取り扱う事としたのである。本型の厳密なる意味においては当然外界刺激※60)により安定系が破壊された場合の大部分を指すべきであるが、自然現象による外界の刺激の林分破壊は群落的に見てほんの一小部分にすぎず、しかも安定型の間に介在するにすぎないから、かかる場合は周囲群叢に含める事とした。ただし、雪崩、地滑りその他崩壊によるものは一般に岩石を露出しているので、大部分“G岩質荒原”に属せしめた。本調査において特に人為的な林分破壊、すなわち主に林分伐採利用後の跡地を退化型として本型に含めたのである。なお、当地域の植物群落の内で人為的に退化したものはほとんど”D群系“に限られ、他は未利用林および保安林として保護されていたので、本退化型は他群系ではほとんど形成されていない。人為による伐採跡地は本型である以上伐採利用には過去から種の年代を経て来ているのであるが、そのうち、古いものは植生連続が進んで安定に近付いているからそれは本型から除き、伐採が新しく現在なお連続の途中にあるもののみを本型に属させようとするのである。ただし、連続の途中におけるものでもなお伐採利用後かなり年代を経て来ているから、そこは最近伐採した跡地から安定型に近付いたものまで種々の過程を含んでいるのである。

  当地域における本型の状況を述べれば、

  (1)田代区 この区は明治の中頃から青森市で使用する薪炭材を伐採し、薪材は流し木として水流運搬をなしていたので、田代岱の大部分はこの伐採利用した跡地であり、当地域において最も広大な面積を有している。しかも、その周縁は今なお伐採利用されつつある現状である。加えて、本区の伐採跡地は放牧地として牛馬を多数侵入させているから、風景的には特殊な高原的気分を満喫し得るが、植物群落は全て破壊されて荒地の状態を呈している所すら見受けられる。かかる場所は現在ミネヤナギの群落が発達している。また、牛馬の放牧によって地面が露出しそれが好条件に恵まれた場合はしばしば群落となってこれを特に“Eb山地草原(乾性草原)”に属させる事とした。また、伐採後流し木による運搬は沈木※61)ミズナラの繁茂を助成してミズナラ群落が発達し、しかも全面的にミズナラの繁茂を見るに至ったのである。

  まず、Da群叢の強度択伐の伐採直後の植相を述べれば優喬木、従喬木には伐り残されたブナがある。灌木階にはナナカマド、サワアジサイ、ムシカリ、アオダモ、ミネカエデ、ハウチワカエデ、ウワミズザクラ、ミネヤナギ、イヌコリヤナギ等があるがいずれも極少量にすぎない。草類階ではワラビ、シラネワラビ、ミヤマスミレ、ヒメスイバ、ニガナ、ヌカボシソウ、ヘビノネゴザ、オオジシバリ、ミゾシダ、オオバコ、シロツメクサ、ノミノフスマ、ハンゴンソウ、ケタチツボスミレ、ノチドメ、シバ、スズメノヒエ、ネズミガヤ、ヒメムカシヨモギ等が多いが、これらは大部分牛馬の不嗜好植物または荒廃裸地植物なので、植相によって伐採放牧の結果が明らかに立証されている。

  この択伐跡地のやや進化した型※62)においては、優喬木は残存のブナ、従喬木はブナ、ハウチワカエデの発育せるもの。灌木階はツノハシバミ、ヒロハタムシバ、ベニイタヤ、ムシカリ、コマユミ、ナナカマド、ダケカンバ。草類階ではシロツメクサ、オオジシバリ、ナガバノシラネワラビ、ホソバナライシダ、オオバコ、ヤマヌカボ、ワラビ、ノチドメ、シバ、ヒカゲノカズラ、ナガハグサが多い。蔓茎類ではツルアジサイ、ツタウルシが見られる。

  また皆伐[かいばつ]放牧を続けて長い年月に及んだ部分における植相は、喬木は未だ従喬木階の域を脱せず、しかも間にシバ空地を残して未だ完全な閉植生に達していない。※63)従喬木に属するものではミズナラ、ブナ、イヌエンジュ、アズキナシ、ハウチワカエデ、ダケカンバ、ナナカマド、シナノキ、チシマザクラ等が多い。灌木階ではミネヤナギ、イヌツゲ、コマユミ、レンゲツツジ、ノイバラ、ズミ等が多い。草類階ではシバが断然多く、他にヤマヌカボ、ヤナギラン、ヒカゲノカズラ、シロバナニガナ、ヒメシダ、ナワシロイチゴ等がある。すなわち、草類階は次第に圧迫され灌木階、従喬木階の各種はそれぞれの密な樹叢を形成して、現在では牛馬が内部に侵入し得ない状態となり次第に安定型に向かって遷移しつつある。

  皆伐後過度な放牧で荒廃した型としてはシバ型とミネヤナギ型がある。前者は“Eb山地草原”として後述の項で述べる事とした。後者ミネヤナギ型は、本区においてかなり所々見出せるけれども、最も著しいものは雪中行軍遭難者銅像付近、田代萢(最も大面積な湿原)西方付近、雛岳中腹標高900-1,100m間の伐採跡地等がある。

  銅像付近においてはミネヤナギ群落が良く発達しているが、その植相は従喬木階にはダケカンバのみわずかに散生する。灌木階ではミネヤナギ断然優勢な事は言うまでもなく、他にヒョウタンボク、タニウツギ、マルバシモツケがある。草類階ではミネヤナギの間にシバ最も優勢、他にヤマチドメ、ウツボグサ、オオダイコンソウ、ケタチツボスミレ、キンミズヒキ、キツネノボタン、オオバコ、ニガナ、エゾオオバコ、クルマバナ、ミツバツチグリ等が混入している。この付近は牛馬の攪乱と強風によって荒廃裸地の型をとっているが、前記“Bdダケカンバ退化群叢”のBdⅠ型が付近に発達して次第に本型に侵入しつつあるのであるが、この付近の遷移はシバ型→ミネヤナギ型→ダケカンバ型と推定されるのである。これは銅像付近ではシバ型にミネヤナギ群落が侵入しているものであり、その南方前岳下はダケカンバの壮齢林、銅像東の鳴沢斜面はダケカンバ幼齢林である事によっても推定される。

  また、ミネヤナギの型の1つである雛岳北中腹標高900m―1,100m間の本型においては、従喬木階はナナカマド、コバシジノキの少量がある。灌木階ではミネヤナギ、チシマザサ断然優勢は言うまでもなく、他にミネカエデ、ミズキ、ムシカリ、ナナカマド、ハウチワカエデ、ベニイタヤ、ミネザクラ、オオバクロモジの少量を混入する。草類階ではミヤマスミレ、オオバタケシマラン、ヒロハノイヌワラビ、シラネワラビ、ツクバネソウ、タニギキョウ、トチバニンジン、マイヅルソウ、ホソバノナライシダ、ユキザサ、ヒメカンスゲが多い。蔓茎類ではツルアジサイのみであるが、量はかなり多い。この付近は伐採跡地にミネヤナギ、チシマザサの侵入があった区域であるが、未だ牛馬の侵入を見ていないからチシマザサは食害をまぬがれ、しかも荒廃地における様な牛馬の不嗜好植物の侵入が無いので繁茂が著しい。

  (2)北八甲田西腹区 本区では2ヶ所に分れている。ひとつは荒川南岸黒石街道以下の区と、もうひとつは田茂萢岳西腹、居繰沢-寒水沢間県道以下の区である。前者は新しい択伐跡地、後者は皆伐跡地であるが、さらに新しく伐採されてチシマザサ全面を被覆している場所と古く伐採されて植生連続の途中にある壮齢期のものと混ざっている。

  (3)南八甲田東腹区 本区においては蔦川東岸谷地温泉東南方1km以下から焼山付近までであるが、その間蔦川沿岸に“DaⅢ型”を含むも、いずれも伐採跡地として牛馬の放牧地となり著しく荒廃の観を呈する。また、焼山付近は共有林であり採草地として利用されている。仙人橋付近(または小柴森付近)においては上木ブナの残存木があるが、大部分は伐採され、加えて、永年に渡る牛馬の放牧は植生を著しく破壊して、上木を有する所はエゾユズリハ、サワアジサイ、ハンゴンソウ等の二次的な大群落を形成し、上木のない開放地はシバ、ヒメスイバなどが大群落を形成している。これらは大部分牛馬の不嗜好植物である。シバ群落は当然“Eb山地草原”に属させるべきであるが、著しく荒廃した場所に不規則に混入しているのでEbとして独立させることはせず、荒廃した放牧地として便宜上本型に属させた。また、ブナも不嗜好植物のひとつであるから、皆伐地の周縁または択伐地の中に小群状をなして発生し、幼-壮齢級の密生が各所に見られる。殊に谷地温泉に近い本型においてはその発生状態は顕著に見られる。なお、本型に属するひとつの異例として焼山―蔦橋県道付近がある。この間は、標高は200-300m間であって本地域の最低部を占めるものの1ヶ所である他、樹木は共有林として伐採され、幼-壮齢期のもの多く、植生連続の途中にあるものと思われる。したがって、不安定であればあるほど植物の種類は多い例に漏れず樹木草木を問わず種類が極めて多く、植物研究上面白い実験場所をなしているのである。一歩蔦橋渡れば国有林として“DaⅢ型”の大密林に入るので、その間の消息も知られ比較研究上面白い場所をなしている。

  (4)黄瀬区 本区の大部分が天然の安定群叢をなしている事は言うまでもないが、橇ヶ瀬沢-黄瀬川間乗鞍岳南麓付近は木炭製造の伐採跡地であり、しかも馬の放牧地なので不安定地であるは言うまでもないが、製炭を目的としたので“DaⅢブナ―トチ型”の伐採跡地はブナのみを伐採し、トチノキは残存して特異の形観を呈している。また、皆伐跡地は全面ブナと幼稚樹の密生で被われ所により若干の裸地をなしている所もあるが、いずれも牛馬の親友結果によるものである。

  (5)浅瀬石川上流区 本区では温川本流と滝ノ股川との落合付近に僅少の伐採跡地があり、温川温泉北方尾根上付近にはアカマツ造林の二次林がある。前者は樹木はほとんど伐採されており、後者の植相は従喬木級に属するアカマツが主体をなし、灌木階ではツノハシバミ、ヒメモチ、ハイイヌガヤ、ヒメアオキ、ハウチワカエデ、アカシデ、マルバマンサク、オクヤマザサ、ミヤマガマズミが多い。草類階ではミヤマカンスゲ、蔓茎類ではミツバアケビ、ヤマブドウが多い。この後者のアカマツ林は幼-壮齢のものばかりであり人工造林地である事が知られる。

  (6)奥入瀬区 最低部すなわち最北部付近に限って見られるもので、県道沿いでは焼山から国有林入口まで、東部は惣部山付近までの区で主に民有地で占められる。全部伐採された跡地で、採草地となる所やアカマツ、オニグルミなどの二次林となっている所が多い。

  (7)十和田区 湖畔の各部落、すなわち宇樽部、休屋、和井内、大川岱、銀山、滝ノ沢等の付近で湖水量の減少による湖成段丘とも称すべき平坦地が現出しており、そこに発達した“Da群叢”の一部が開拓されて田畑となっているものがある。当地域は十和田保護林として永く保護されているので、上記の他に本型の著しいものが見あたらない。


Db ミズナラ群叢

Quercetum crispulae

(Quercus crispula association)

  ミズナラは東北地方において落葉広葉樹(夏緑喬木)中ブナに次ぎ多量に存在するものであり、大面積に渡って群生する事もあり、または他のほとんどあらゆる群叢中に点生で混生し、殊に大木をなして混入しているものが多い。

  本種は九州、四国から本州全体、北海道を経て南千島まで分布している日本特産種であって南限はブナと大差ないが、北限はブナが北海道後志国まで達しているのに対し、著しく北上している事実が認められ、この事実からすれば本種はブナより耐寒性が大であるとしなければならない。なお、学者によっては本種が樺太および朝鮮にまで分布する〔小泉源一氏、植物学雑誌、第36巻、164頁(1912年)〕、〔猪熊泰三氏、東大演習林報告、第14号、93頁〕とされているがこれらは明らかでない。分布学上本種がブナより北部にまでおよび、耐寒性が大であるとするならば東北地方においても本種の群落はブナ群落の上部に現出するのが当然の様であるけれども、実際はその反対の結果をなしているからその原因はどのようなものによるのであろうか。後述するように品種的に差のあるものか、あるいは、ミズナラが東北地方において乾燥種の岩石地に発生する事が多い事実から、ブナに比較して耐寒性が大であり、ひいて寒地にも生じ得る事になるものであるか将来の研究に待たねばならない。東北地方におけるミズナラ類の群落をみるに中心地帯においてブナと同高度、あるいはそれ以下の急傾斜地(乾燥性岩石地)に群生する本群叢の基準型をはじめ前記ブナとの混生帯“DaⅢ型”があり、これらは種として純然たるミズナラに属するものと思われる。この他、秋田営林局で調査された“ブナ―ミヤマナラ矮生群叢〔佐伯直臣氏 秋田地方における高地植生と一般高山植物(1933)〕および本調査前述の” AbⅣ ミヤマナラ―トックリハシバミ型※64)“は、ともにミズナラの高山種たるミヤマナラを主体としたものであり、広い意味でいう本群叢および近似群落に近いと見て良いはずである。

  ミズナラ群叢は当局管内では全般的に中山帯ブナ群叢以下の急斜地に群生するのであるが、岩手県中部北上山系地方その他においてはブナ群叢下部が人為その他により攪乱され二次的に本群叢を形成したと思われる場合が多く、かかる場合緩斜地-平坦地においても群生するのである。当地域においては基準的なものとして急傾斜地における温川温泉付近のものを挙げねばならないが、他に十和田湖北岸、奥入瀬下部、蔦温泉付近のものも基準型に近い。ただ、田代区におけるものは人為による二次林であり、平坦―緩斜地に群生する。

以下これら個々の区域における植相状態について述べれば、次のとおりである。

  (1)田代区 前記“DaⅣ退化型”において述べた様に、伐採跡地放牧地として利用されている場所にもかなりのミズナラを混入するが、それらは点生であるかあるいは群生しても幼齢期のものなので、これをDaⅣに属せしめ、壮齢期以後のもので群落を形成しているものを摘出して本群叢にしたのである。

  これに属するものでは駒入川北岸、田代石倉山西方緩斜面に広大の面積を占めるものと、長吉岱Eb3-ホキバ岱※65)Eb4間の街道沿いの狭長帯のものとの両者があるが、前者においては優喬木はミズナラ最も多く、ブナを混入する。灌木階ではムシカリ、コマユミ、ツノハシバミ、ハイイヌガヤ等。草類階ではチゴユリ、タチシオデ、ツクバネソウ、マイヅルソウ、ユキザサ、ホソバナライシダ、ヒロハノイヌワラビ等。蔓茎類ではツタウルシ、ツルアジサイ、イワガラミ等がある。因子的に見れば“DaⅠブナ単純型”に近い様である。林分そのものとして現在かなり安定に達しているので、本区のものは“DaⅠ型”が人為により破壊され、ブナの伐採によって保護されたミズナラの優勢をきたしてそのまま発育し現況を呈したであろうが、将来は益々DaⅠに向かって遷移して行くものと推察される。長吉岱-ホキバ岱間の狭帯のものでは優喬木としてほとんどミズナラ一種で、極めて僅少のブナを混入する。従喬木階はほとんどこれを欠き、灌木階ではアズキナシ、イヌツゲ、コマユミ、ツノハシバミが多い。草類階ではニガナ、ヒカゲノカズラ、マイヅルソウ、ノチドメ、アオスゲ、ヌカボシソウ、オオバコ、ベニバナイチヤクソウ、ネズミガヤ、シロツメクサ、アリノトウグサ、ツクバネソウ、コナスビ、ミノボロスゲ等が多い。蔓茎類ではツタウルシ、ツルアジサイ、イワガラミ等が多い。

  これらによって見るに、喬木ミズナラはブナその他の伐採により保護された形となり、草類階は牛馬の侵入によって攪乱された跡が歴然としており、不安定因子をかなり多数に含んでいる事が明らかである。

  (2)南八甲田東腹区 本区では蔦温泉周囲の各尾根上に発達しているものであるが、いずれも人為的影響による二次林と推察される。すなわち、その植相は優喬木ではミズナラを主体としてブナ、ヤマハンノキ、サワグルミを混入する。従喬木ではこれらの他アズキナシ、アオダモがあり、灌木階ではウワミズザクラ、アラゲアオダモ、エゾユズリハ、サワアジサイ、ニワトコ、ナナカマド、アクシバ、イヌツゲが多い。草類階ではナガバハエドクソウ、ミゾシダ、ノコンギク、トリアシショウマ、ミヤマスミレ、ユキザサ、サカゲイノデ、イヌガンソク、アキタブキ、フタリシズカ、シシガシラ、オシダ、ハンゴンソウ、ノウゴイチゴ、キンミズヒキ、ヤマイヌワラビ、ケタチツボスミレ、ゲンノショウコ、ミヤマベニシダ、クルマムグラ、オオバコ、ツルリンドウ、ウマノミツバ等が多い。蔓茎類ではツタウルシ、ツルアジサイ、イワガラミ、ツルマサキ等がある。これらによって見るに喬木にヤマハンノキを混入し、草類階に種類の多い事、およびミズナラ群叢の基準型を急斜地のものと理解する場合、本区のものは尾根上の緩斜地に発達する事等を合せ考えて、該所は人為その他の影響によって出現したものであるとしなければならない。しかし、現生ミズナラはすでに老期に達してブナ、ヤマハンノキその他の種類の混入を見ているから、早晩ブナによって置換される運命にあると推察せざるを得ない。

  (3)奥入瀬区 本区では下流すなわち焼山近くに限られ、主な発達区は黄瀬川落合付近、尻辺川落合付近等である。しかも両所ともに川岸に面するやや平坦地に群生している事は注意を要する。川岸平坦地は一般に後記“Dcトチ―サワグルミ―カツラ群叢”によって占めらるべきであるが、そこがミズナラ群叢によって占められているという事は本区の両岸は一般に急斜面をなして岩石を露出し、川岸平坦地でも岩石露出多きによるものであろうと思われる。すなわち、乾燥性岩石地に生ずる本群叢基準型の一型となるのである。本群叢における植相状況を述べれば、優喬木でミズナラ断然優勢でアサダを伴い、僅少のブナ、トチノキを混入する。従喬木ではサワシバ最も多く、ハウチワカエデ、アオダモを混入する。灌木階ではケヤキ、コマユミ、ヤマグワ、イタヤメイゲツが多い。草類階ではゼンマイ、シシガシラ、トリアシショウマ、ミゾシダ、ヒメカンスゲ、オクノカンスゲ、イヌガンソク等が多い。蔓茎類ではツルアジサイ、ツタウルシが見られる。これらによればミズナラ、ケヤキ、ヒメカンスゲその他の因子により岩石地である事は明らかである。

  (4)十和田区 本区において本群叢に近い“DaⅢブナ―ミズナラ―イタヤカエデ型”の発達が極めて良好でありかつ広大な面積を占めているのであるが、ミズナラ単純群落の発達は極めて不良である。単に北東湖畔青橅[あおぶな]山付近※66)の尾根上に2ヶ所、膳棚山南西湖畔に1ヶ所、各々小面積の独立を認めるにすぎない。

  これらにおける植相は、優喬木はミズナラ断然優勢で、他にシナノキ、ブナを混じ、時により少量のダケカンバを伴う。従喬木はハウチワカエデ、アオダモ、センノキ、ヤマモミジ、アサダ、ミヤマザクラ、アズキナシ、イタヤメイゲツが多い。灌木階ではオクヤマザサ、オオバクロモジ、ヒメアオキ、ツノハシバミ、ミヤマガマズミ、エゾヒョウタンボク、アクシバ、ナナカマド、ウリノキ、ムラサキヤシオツツジ、マルバマンサク等がある。草類階ではマイヅルソウ、アキノキリンソウ最も多くチゴユリ、アマニュウ、コタニワタリ、シロバナイカリソウ、ガンクビヤブタバコ、ヒメノガリヤス、ヒメカンスゲ、ヌカボシソウ、フイリミヤマスミレ等が多い。蔓茎類ではツルアジサイ、ツタウルシ、シラクチヅル、タケシマヤマブドウ等がある。

  これらによって見てもミズナラ群叢に属する事は明らかであるが、ただし、前記DaⅢ型にも極めて似ているから、本区のものは“DaⅢブナ―ミズナラ―イタヤカエデ型”に近いその型の一つで場所的にミズナラ群落の特に著しい所と理解するのが穏当であろう。

  (5)浅瀬石川上流区 本区においては、温川温泉付近両岸の急斜地に本群叢の最も基準型と認められるものがかなり良く発達している。すなわち、滝ノ股沢落合から温川に沿って寒川落合に至る両岸下部に良好な発達を見る。さらに寒川の両岸急斜地に沿って断続しながら標高700m付近までも達している。この間に発達した本群叢はいずれも沢川に面したV字渓谷の斜面上のものばかりで、周囲群叢は上部は全部“DaⅢブナ―ミズナラ―イタヤカエデ型”、下部は大部分“Dcトチ―サワグルミ―カツラ群叢”である。しかもV字渓谷の斜面においても“DaⅢブナ―ミズナラ―イタヤカエデ型”は上部に発達しているので、これら両型は極めて近似したものであるといわざるを得ない。

  いずれにせよ本群型の基準型は当地域において本区ほど明らかな発達をしている区はない。本群叢の植相を述べれば優喬木でミズナラほとんど一種であるが、中に極めて僅少のヤマハンノキ、ホオノキを混入する。従喬木ではハウチワカエデ、ナナカマド、アラゲアオダモ、ブナ、ベニイタヤ、ウワミズザクラが見られ、灌木階ではハイイヌガヤ、ムシカリ、ヒメアオキ、オクヤマザサ、コマユミ、オオバクロモジ、マルバマンサク等多く、またシャクナゲ科灌木としてムラサキヤシオツツジ、ホツツジ、ヤマツツジ、アクシバ、イワナシが多い。草類階としてはシシガシラ、ツルシキミ、ミヤマカンスゲ、ヒメモチが多い。蔓茎類ではツルアジサイを見るくらいのものである。

  これらによっても明らかなとおり、本群叢はシャクナゲ科灌木の混入によって乾燥性岩石地である事は明らかである。本区のものは現在老齢期に達した林分なので、将来現況を破壊して早晩DaⅢ型に遷移した後、再び時間の経過につれてミズナラが優勢になるものと思われる。

なお、この型(基準型)は奥羽山脈に属する岩手・宮城両県に渡って広く現出されるものである。


Dc トチ―サワグルミ―カツラ群叢

Aesculetum pterocaryosum cercidiphyllosum

(Aesculus - Pterocarya - Cercidiphyllum association)

  本群叢は東北地方における中山帯ブナ林中に出現するもので、ブナ群叢以下殊に沢沿いの湿潤地に発達する特殊群落である。沢沿いでない林中において緩斜地―窪地等の地下水位の高い水湿に富む場所のものは前記“DaⅡブナ―トチ型”となり、本群叢“Daブナ群叢”との推移帯の様な型をなしている。

  しかも、ブナ群叢内においても沢沿いはほとんど本群叢によって占められ、その上昇限は時に“DaⅠブナ単純型”とほとんど同高度に現れる事があり、下部限界は当局で制定した「暖温帯性平地―低山地帯」に属する「コナラ―クリ―イヌブナ―ケヤキ群叢」に接するものである。

  ただし、いずれにおいても本群叢に属する部分は沢または水辺に面した場所ばかりであり、かつ上流のものは下流のものに比較して次第にその幅が狭くなるのを原則とする。ただし、現実においてはその出現する占領面積は他の広葉樹群叢に比較して著しく小さく、場所によって幅の広狭は様々である。沢沿い両岸がせまって急斜地をなす時は甚だ狭小で、植物分布図上ではこれを周囲群叢に含める場合がある。

本群叢の主な要素たるトチノキ、サワグルミ、カツラについてその分布状況を調べると、トチノキは、南は四国から本州各部を経て北海道南東にまで達しており、九州以南、北海道中部以北に産しないので日本特産種であり九州に産しない事がブナと異なる。サワグルミは九州南部から四国、本州各部を経て北海道南東に達している日本特産種であり、ブナとほとんど同様な分布状況をなしている。カツラも南方は九州、四国、本州各部から北海道に達しているのであるが、ブナとは南方においてやや一致しており、北方において北海道ではより北方にまで達している様である。

  これら3種の分布関係は大体ブナと大差ない状態なので、生育条件が近似している事をこれらによっても知るべきである。

  当地域においては北八甲田において駒込川流域、荒川城ケ倉付近の両区があるけれども発達は著しいものでない。黄瀬区、奥入瀬区、浅瀬石川上流区、十和田区等のものは発達著しいもののみであるが、いずれもそれぞれ特徴があり顕著なもののみである。

  本群叢には特色の一つとして大形ヤナギ類の混入が多く、時によるとそれらヤナギ類が特に著しく群生して本群叢の極端型ヤナギ林を形成している事がある。またヤマハンノキ、ケヤマハンノキは基本群叢の二次林を代表して不安定な純群落を形成する事がある。

  (1)田代区 本区のものは駒込川に沿って発達するものであるが2区に分かれる。ひとつは駒込川本流沿いのもの、他は湯ノ川沢上流に一小部の発達あるものの両者である。駒込川本流のものは湯ノ川沢落合以下三階滝付近に渡って発達するのであるが、下流鳴沢落合付近は両岸急斜面をなし川床は極めて狭小なので本群叢の発達は僅少である。また、田代新湯より上流のものは伐採跡地の間に本群叢のみ取り残された形となり、基準型のものに比較してやや退化の型をとっている。田代元湯―田代新湯間は最も本群叢の発達良好でやや基準型に近く大体次の様な植相をなしている。

  優喬木はサワグルミ、オノエヤナギ、ハルニレ、ミズナラ等が多く、トチは僅少、カツラはほとんど見られない。従喬木はハウチワカエデ、ミズキ、ヤチダモであるが量は僅少。灌木階ではオクヤマザサ最も多く、ヤブデマリ、サワフタギ、コマユミ、ハイイヌガヤ、ウワミズザクラ等を混入する。草類階ではケナシオニシモツケ、オクトリカブト、ジャコウソウ、クサソテツ、ハンゴンソウ、アキタブキ、ミヤマセンキュウ、オオイタドリ等の大形多巡草が全面を覆い、その間にイケマ、ヤマブキショウマ、アラゲキスミレ、ミヤマカタバミ、ヅダヤクシュ、チゴユリ、タニタデがある。蔓茎類ではマルバミツバアケビ、オニツルウメモドキが認められる。すなわち、喬木ではカツラを欠いているけれども他種が多い。草類では大形多巡草が多いからほとんど完全な本群叢と見て良い訳であり、ただカツラを欠く事は当区の特色の一つとなるであろうと思われる。

  湯ノ川沢上流部においては、街道の南方赤倉山山麓に小面積の発達を見るもので付近は湿潤な緩斜地をなしている。植相としては喬木階にサワグルミ断然多く、ほとんど一斉林の型をとり、内に僅少のシオリザクラ、ヒロハノキハダ、ブナを混入する。灌木階は発達極めて不良で僅少のサワアジサイを見るくらいのもの。草類階も発達悪く、ヒメヘビイチゴ、ツボスミレ多数をしめ、ヤマキツネノボタン、ミヤマシケシダ、エゾメシダ、ミヤマスミレ、ゲンノショウコ、ウマノミツバ、ヒロハテンナンショウ、シラネワラビ、サカゲイノデ、サワハコベ、ネコノメソウを認められる。蔓茎類も少なくツルアジサイを認めるのみ。

  このような状況から見ても明らかなとおり、草類階の状態は不安定極まるもので、現在牛馬の侵入を受けつつある事は不嗜好植物のみである事によって明らかであり、喬木階もサワグルミの一斉林ではあるが壮齢期ものばかりで、これまた二次林である事が明らかである。すなわち、往時における牛馬の侵入によって林分が破壊された時、そこに空所を生ずれば付近が緩斜湿潤であった場合は当地域間の特徴のひとつとして多くサワグルミ稚樹の群状発生を見るのである。このサワグルミは牛馬の不嗜好植物という好条件に恵まれて異常の発達をなし、群状の発達をなす事は他区蔦、黄瀬付近(DaⅡ型内)にも多数の実例を求め得る所である。すなわち、本区のサワグルミ林は牛馬の放牧による二次林には間違いないが、年齢も壮齢に達しており面積もやや大きいから“DaⅣブナ退化型”とせず、便宜上本群叢に属せしめたのである。

  (2)北八甲田西腹区 本区のものは荒川上流部に極限されており、主として城ケ倉渓流付近に発達している。ただし、景勝地としての城ケ倉は各部共両岸断崖状をなして大部分“DaⅢブナ―ミズナラ―イタヤカエデ型”と“G岩質荒原”とからなっているから本群叢の発達はほとんど望まれない。城ケ倉下流と荒川上流とに僅少の発達を認められるもので、上流のものはほとんど断続的な小面積の発達にすぎない。

  本区の植相は、優喬木はサワグルミ断然多く、他にミズナラ、ヤマハンノキ、オヒョウニレ、ベニイタヤを混入、トチ、カツラはほとんど認められない。従喬木ではハウチワカエデ、ヤマモミジ、サワシバ、オノエヤナギ、アラゲコバシジノキ。灌木階ではチシマザサ、オクヤマザサ多く、他にムシカリ、サワアジサイ、ニワトコ、タニウツギを混入する。草類階ではヤグルマソウ、ナンブアザミ、エゾニュウ、ケナシオニシモツケ、ジュウモンジシダ、リョウメンシダ、メアカソ、クロバナヒキオコシ、キツリフネ、アキタブキ、アマニュウ、イヌガンソク、オオウバユリ、オオイタドリ、ウド等の大形多巡草多数を占め、他にタニタデ、ミヤマトウバナ、ホウチャクソウ、ミヤマカタバミ、ミヤマカラマツ、ノビネチドリ、ヅダヤクシュ、スミレサイシン、ツルキツネノボタン、ミゾシダ、ウワバミソウが見られる。蔓茎類ではツタウルシ、ツルアジサイが多い。

  すなわち、優喬木でサワグルミが最も多く、トチ、カツラを混入しない事は基準型と称し得ないけれども大形多巡草の良好な発達は本型として認められる所で、トチ、カツラを欠く事が本区の著しい点であろう。

  (3)南八甲田東腹区 本区においては蔦川流域のものと冷水沢流域のものと両者があるが、冷水沢流域のものは極めて僅少である。蔦川流域のものにおいては奥入瀬落合から仙人橋上流付近まで達しているが、蔦付近において最も著しい発達をなしている。

  本区の植相は、優喬木はサワグルミ、トチ、カツラ多く、他にミズナラ、ブナ、ホオノキ、ヤチダモ、ベニイタヤを混入する。従喬木ではヤマモミジ、ミズキ、ハウチワカエデ、ウワミズザクラ、ハクウンボク多数を占め。灌木階ではサワアジサイ、ニワトコ、ムシカリ、オノエヤナギ、キブシ多い。草類階ではヤグルマソウ、ナンブアザミ、アキタブキ、サカゲイノデ、モミジガサ、ムカゴイラクサ、オオイタドリ、ケナシオニシモツケ、ミヤマベニシダ、ヨブスマソウ、ミヤマシシウド、ハンゴンソウ、ミヤマイラクサ等の大形多巡草を初め、ウワバミソウ、ウマノミツバ、オクノカンスゲ、クサソテツ、クルマバソウ、ヒメヘビイチゴ、チジミザサ、ヘビイチゴ、ミヤマカタバミ、ミヤマヤブニンジン、クルマムグラ、ヅダヤクシュがある。蔓茎類ではツルアジサイ、ツタウルシ、ヤマブドウが見られる。

  すなわち、主要因子を完備しているので前両区に比較して著しく基準型に接近している事が明らかである。なお、蔦橋―焼山間においては奥入瀬流域に最も普通に現出するように、河床内の沖積砂礫地にケヤマハンノキ単純型が認められるが、この型は本群叢の初期型すなわち二次林とするのが最も穏当であろうと思う。また、同上蔦橋―焼山間の県道沿いは本群叢に属するものであるが、共有林のため伐採されて退化型をなすけれども生育する植物は種類極めて豊富であり学術参考の好資料である。これは前記“DaⅣ型”で述べたとおりである。

  (4)黄瀬区 本区においては黄瀬川、大幌内川、小幌内川、尻辺川(ソスペ川)およびこれらの各支流の沢沿いに限って発達するものであるが、本区の沢川はいずれも両岸急傾斜面をなしV字型の渓谷を形成しているので、V字渓谷の特徴として本群叢は単にその最低部の沢川のすぐ側以外に発達する事ができず、極めて狭長な帯をなすにすぎない。しかも、V字渓谷は所々に両岸断崖状をなす所を混じているからそれらの場所には生ぜず断続的な発達にすぎない。しかも、本群叢の大部分はほとんど基準型に近いものであるが、ただし、各主川の下流付近において河床沖積砂礫層にケヤマハンノキの一斉林がある事は後記奥入瀬区のものと同一で、ほとんどその一分脈をなすものとみなされる。また、例外的な存在としては大幌内川中流二股付近における俗称かばじや(樺沢すなわちかばざわの転訛と思われる)の萢があり、該所ではオオバヤナギが群生して特殊景観を呈している。基準型に近い一般型における植相は、優喬木にサワグルミ、トチ、カツラ、ベニイタヤが多く、ヤマハンノキ、バッコヤナギを混入する。所によってはドロノキ、ケヤマハンノキの群状混交している所がある。従喬木ではハウチワカエデ、ミズキ、オノエヤナギ、ブナがある。灌木階ではオクヤマザサ、サワアジサイ、オオバクロモジ、ヒメアオキ、ハイイヌガヤ、ツノハシバミがある。草類階ではナンブアザミ、オクトリカブト、ケナシオニシモツケ、エゾオオバセンキュウ、アマニュウ、オオイタドリ、サラシナショウマ、アキタブキ、フジテンニンソウ、カニコウモリ、ゴマナ、ミヤマシラスゲ、コンロンソウ、ハンゴンソウおよびリョウメンシダ、ジュウモンジシダ、サカゲイノデ、オシダ、ミヤマベニシダ等の羊歯類のような大形多巡草極めて多く、さらにクルマムグラ、エゾタツナミソウ、オクノカンスゲ、ヅダヤクシュ、ミヤマカタバミ、ミゾシダ、ヤマナルコ、ミヤマヤブニンジン等の小草をも混入する。蔓茎類ではツルアジサイが多い。「かばじや萢」における特殊型では優喬木にオオバヤナギ、ドロノキが優勢、他にバッコヤナギ、サワグルミを混入する。従喬木ではオノエヤナギ、ケヤマハンノキが多く、ウダイカンバ、ハウチワカエデの少量を混入する。灌木階の発達は極めて悪く、タニウツギを見るくらいのものである。草類階ではアキタブキ、ケナシオニシモツケ、オオヨモギ、トリアシショウマ、ゴマナ、アマニュウ、エゾオオバセンキュウ、ウラゲヨブスマソウ、オオイワアザミ等の大形多巡草およびイヌスギナ、エゾタツナミソウ等を混入する。すなわちこのかばじやと俗称される小面積の区域は主として大形柳類によって占められているから本群叢のヤナギ林の1つとして取り扱うべきものである。

  (5)浅瀬石川上流区 本区においては寒川その他の各沢川およびそれらの各小沢沿いに発達するものであるが、当区域に含まれる滝ノ股川流域にはほとんど発達が認められない。したがって、寒川方面に限られるのであるが、該方面は本群叢の上部に“Dbミズナラ群叢”および“DaⅢブナ―ミズナラ―イタヤカエデ型”を有しているので、その主要因子ミズナラの下降混入を見る事がまた著しい点である。

  本区の植生を求めれば、優喬木ではトチ、ミズナラ、ヤマハンノキ、オオバヤナギが多く、サワグルミ、カツラの両種は極めて僅少量である。従喬木ではオノエヤナギ、ヤマモミジがある。灌木階ではオクヤマザサ、サワアジサイ、ノリウツギ、タニウツギ、ハイイヌガヤ、ヤマグワがある。草類階は大形多巡草としてオオイワアザミ、ケナシオニシモツケ、ハンゴンソウ、ウド、シシウド、トクサ、オオイタドリ等が多い。蔓茎類ではゴトウヅル、ツルアジサイ、ヤマブドウ、ツルウメモドキ、ミツバアケビ等が認められる。

  すなわち、本区の特徴はサワグルミ、カツラが少なく、オオバヤナギ、ヤマハンノキ、ミズナラの混入多い事が目立ち、ヤマハンノキは後記奥入瀬区のケヤマハンノキ一斉林とは異なり他種と混交するものである。

  なお、本群叢の林縁陽地の地面露出地には特殊な群落が発達している。その植相は灌木階にヒメヤシャブシ、タニウツギが多い。他にオクヤマザサ、サワアジサイを混入し、草類として大形多巡草類のオオイワアザミ、イヌガンソク、ウド、エゾススキ、オオヨモギ、ミヤマシラスゲ、ヤマブキショウマ、アキタブキ、ハンゴンソウ、オオイタドリ等がある。ほとんど灌木と大形多巡草のなす一群落である。この型は本群叢内における乾燥岩石地では発達せず崩壊による地面露出地であり、しかも本群叢に共通する特徴として湿潤な場所に限って発達するものである。この群落は一般に植生連続の最初の過程と理解されている。

  (6)奥入瀬区 本区のものは最も完全に発達した基準群落型を初め、植生連続の種々な過程を最も良く現わしており、かつ、天下に名高い奥入瀬渓流美は主として本群叢の群落美を指すものであるから、その構成要素の探求もまた有意義であるといわねばならない。しかも本区のような見事な発達に加えて広面積に発達したものは、当地域の他区では全く認められない所である。

  本区のように広面積に発達した理由は多数の原因もあるかも知れないが、まず地形上両岸が急斜面をなすのに比べてその河床は比較的幅広く、V字渓谷ではなく、むしろU字渓谷とでも称し得るような型をなし、しかも、十和田湖から発する奥入瀬渓流の水量は、十和田湖自体が貯水池の様な作用を営み奥入瀬川の水量をほとんど一定たらしめている。これらの事が原因をなして、他地方の渓谷では見られないまで水辺に近く本群叢が発達するのであると思われる。また、このため渓流内に散在する各岩石面は洪水の害を被る事を知らないのでほとんど水面まで蘚苔、地衣が密生し、あるものでは蘚苔地衣の時期を脱して、これに樹木の繁殖が見られる程である。すなわち、水面から出た岩石面はそれ自体一つの小島のような観をなし、この小島の存在は奥入瀬景勝地の最も重要な要素であり生命でもあると思われる。このような発達をなすのは尻辺川落合より上流部に限られるものであり、同川落合以下の部は同川、惣辺川、小幌内川、大幌内川、黄瀬川、荒川等各河川が流入するので一度降雨による洪水の生じた場合は貯水池作用をなすものなく、水量の増減著しいものがあるので河床には所々沖積層を生じ、小島の発達が全く望み得ない。したがって、当然尻辺川落合より下流部は上流部に比較して安定を欠いている部分になる。

  本区における基準型の発達は、尻辺川落合下流部の河床不安定地を省いた沢沿いの底部および同上落合上流の河岸のほとんど全部がこれに属するものである。その植生状態は、優喬木ではサワグルミ、トチ、カツラが極めて多量に発育しているのが目に付く。従喬木および灌木階のものは種類においても量においても極めて僅少である。すなわち、従喬木では極めて少量のハウチワカエデ、サワシバ、ミズキ、ウワミズザクラがある。灌木ではサワアジサイ、ニワトコ、コマユミ、オオバクロモジがある。草類階では大形多巡草として羊歯類にオシダ、クサソテツ、リョウメンシダ、ジュウモンジシダ、サカゲイノデ、ヒロハノイヌワラビ、ミヤマベニシダが多く、ヤグルマソウ、オクトリカブト、ケナシオニシモツケ、ヨブスマソウ、タマブキ、ムカゴイラクサ、ミヤマイラクサ、ヤマブキショウマ、アキタブキ、アマニュウ、トリアシショウマ等が目立つ。また低草ではウワミズザクラ、ネコノメソウ、マルバネコノメソウ、ミゾシダ、ヅダヤクシュ、ミヤマカタバミ、クルマムグラ、スミレサイシン、ハエドクソウ、オクノカンスゲ、ミヤマヤブニンジン、ミヤマカラマツ、ウスバサイシン、タニギキョウ、ツボスミレ等が多い。蔓茎類ではツタウルシ、ゴトウヅルが多い。すなわち、本区において優喬木はカツラが最も優勢であり、その他の優喬木もいずれも樹高大で20mを突破して亭々[ていてい]とそびえ、従喬木は種類も最も僅少、灌木階は渓畔または道路沿い等の林縁にのみ限られて発達は著しいものといえない。草類階は大形多巡草が優勢である。この状況は、すなわち本群叢における極盛相に達し、あるいはそれに近い安定型である事を示すものである。

  本区域の不安定型には2型ある事を認めざるを得ない。ひとつは新しい河床の沖積層における原始型と、他は林縁急斜地における陽地の退化型との両者である。前者におけるものはケヤマハンノキの単純林であるが、発達区域はほとんど尻辺川落合下流区に限られ、蔦区(蔦橋下流)、黄瀬川、大幌内川下流部にも発達を見ている。環境は河床の沖積層、すなわち河川屈曲凸所に多い沖積砂礫層上に限って発達するものであり、これは学者によっては河原砂礫が水力で転移するから植物の生育は特殊型をなし、一種の「転移荒原」mobilidesertaをなすと解している人もある。転移荒原とは地盤が移動性のため植物が特殊性を帯びる群系で、海岸の砂丘や高山の砂礫原が主としてこれに属するものとされている。

  この発達過程も、幼齢、壮齢のものや老齢ですでにサワグルミ、トチ、カツラの侵入開始しているものがあるが、これらを総括したその因子関係は優喬木階のものを欠き、従喬木程度のものはケヤマハンノキほとんど一種で、内にコバノケヤマハンノキを混入(これらの両種類は変種関係にあるので、一種と見ても良いはずである)、灌木階ではタニウツギ、サワアジサイ、イヌコリヤナギがあり、他に老齢期に達したものではサワグルミ、カツラ、ドロノキ、ベニイタヤ、ケヤキ、ハルニレ、オノエヤナギ等の幼樹、稚樹の混入が多い。草類階ではツボスミレ、ニガナ、キンミズヒキ、ゲンノショウコ、オクノカンスゲ、サドスゲ、ヒメヘビイチゴ、オオタネツケバナ、ミヤマカタバミ、ヘビイチゴ等のほか大形多巡草としてはミヤマベニシダ、クサソテツ、オシダ、イヌガンソク、サカゲイノデ、リョウメンシダ、ジュウモンジシダ等の羊歯類およびハンゴンソウ、オオイタドリ、トリアシショウマ、ケナシオニシモツケ、アキタブキ、オクトリカブト、オオヨモギ等があるが、これら草類階はいずれもその量は少ない。河床の沖積砂礫層は植生連続上ほとんど原始型と認めねばならないが、そこに生ずる植生は一般的な植生に比べて著しい差異を認められる事となる。すなわち、一般的な植生においては原始期→矮形植生期→小形植生期→中形植生期→大形植生期と小形なものから大形のものに永き年月の経過とともに次第に遷移すべきであるが、本植生は原始期から中間植生を経ずしてすみやかに大形植生期たるケヤマハンノキの単純群落に達するのである。その原因は、一般植生においては乾燥植生列(クセロセレ)※67)に属するもの多く、乾燥性から次第に湿潤性に向かうものであるに対して、本植生(本群叢の発達)は湿性植生列(ヒドロセレ)に属する事が明らかであり(河田、森林生態学講義、322)、しかも、環境として沖積砂礫層は乾燥植生列にやや傾きつつ特異例に属するので、湿性植生列中の乾燥植生列性を帯びたものとなり、ひいては湿潤性に恵まれた好環境をなすものであるから、原始期から一足飛びに特殊植物群落たるケヤマハンノキ単純群落を形成するに至ったものであると推定される。ケヤマハンノキ型に随伴する諸因子によっても明らかなとおり、本群落の発達過程は原始期(植物の侵入なき砂礫原期)からケヤマハンノキ発生を見、それが幼-壮齢期を経て老齢期(大体30-40年くらいと推定される)に達すれば他の安定因子、すなわち本群叢内の諸因子の侵入があって、遂に本群叢に遷移するのは河床の沖積砂礫層に限られる事を第一必要条件としなければならない。また林縁、あるいは林内空地の急斜地における陽光を充分受ける場所には、灌木階としてサワアジサイ、タニウツギ、ヒメヤシャブシ、草類階では大形多巡草としてオシダ、イヌガンソク、クサソテツ、ミヤマベニシダ、ヤマイヌワラビ、ゼンマイ、サカゲイノデ、リョウメンシダ等の羊歯類を始め、ハンゴンソウ、オオイタドリ、オオヨモギ、シシウド、ケナシオニシモツケ、ダキバヒメアザミ、ミヤマイラクサ、ミヤマシラスゲ、フタマタタヌキラン等が多い。かかる状態のものは、学者により(例えば、堀川、八甲田山の植生、559)本群叢における植生連続の初期と解しておられる方々もあるが、それはあたっていない様な気がする。すなわち、かかる状態は本群叢の退化型であり、決して原始そのままの型とは解し得ないからである。なぜ退化型と理解するかと言えば、かかる状態の発達している所は本群叢内の急斜地であり、しかも地面が露出した後に現れる型である。原始型とは、土地にほとんど肥料分のない条件の悪い場合に周囲植物群落と同じ因子が成立すべきでないと解せねばならないので、この場合の様に林内または林縁の露出地に形成された灌木―大形多巡草の群落では周囲群叢の因子と同一因子がかなり多数含まれているので、退化型と解せざるを得ないのである。原始型という意味からすれば、本群叢の遷移関係はケヤマハンノキ林(進行)→“サワグルミ―トチ―カツラ群叢”とならなければならない。

  (7)十和田区 本区のものは言うまでもなく十和田湖畔に発達するものであるが、この中でも直接湖畔の緩斜地に発達するものと湖水に流入する各小沢沿いに発達するものとの2つあり、これらは自ら若干の差があるを認めざるを得ない。すなわち、環境方面から見ても湖畔のものは湖水自体が貯水池の様な作用をなして湖水の水量の増減を僅少ならしめているため、湖畔のすぐ側までも本群叢の発達が許され、しかも退化の原因をなす崩壊地その他の地面露出がほとんど認められないので、いずれも極めて安定した群落型をなしているのである。湖畔においても各部落付近および中山・御倉両半島付近には本群叢の発達を見ない、しかも一般的に見て東岸はトチが多い。西岸はサワグルミが多いといえる。湖畔の植相は優喬木ではサワグルミ、トチ、カツラ、ベニイタヤが多く、所によりオニグルミ、ケヤキの少量を混入している所がある。従喬木ではハウチワカエデ、アカシデ、ウワミズザクラ、ウリハダカエデ、ミズキ、シオリザクラ、アオダモ等があるが量は少ない。灌木階ではニワトコ、サワアジサイ、ノリウツギ等が多く、他にアラゲヒョウタンボク、コマガタケスグリ、ハイイヌガヤ、ヒメアオキ、ムシカリを混入する。草類階では大形多巡草としてジュウモンジシダ、リョウメンシダ、オシダ、ホソイノデ、アマニュウ、ミヤマヤブニンジン、ヤグルマソウ、ミヤマイラクサ、オオイタドリ、ハナウド、ヨブスマソウ、オクトリカブト、コウライテンナンショウ、サラシナショウマ、タマブキ、ムカゴイラクサ、アキタブキ、ケナシオニシモツケ等が多い、さらに低草ではウワバミソウ、ノブキ、タニギキョウ、クルマムグラ、ウマノミツバ、オクノカンスゲ、ツボスミレ、スミレサイシン、サワハコベ、ホウチャクソウ等が多く見られる。蔓茎類ではツルアジサイ、ツタウルシ、ツルマサキ等が多い。

  すなわち、ケヤキ、アカシデ、アラゲヒョウタンボク、ホソイノデ等の存在は岩石地(乾燥地を意味するわけではない、ただ岩石地を意味するだけ)である事を意味するが、本群叢は湖畔と外輪山に至る急斜地との間に狭長な一帯をなすにすぎず、しかも急斜地は岩石地であるから本群叢の発達する区域も岩石地である事は言うまでもない。岩石地といっても湖水に接近しているから乾燥性ではなく湿潤性の場所をなすのである。従喬木、灌木階は量においても種類においても奥入瀬区以上に発達しているが、それは本群叢が湖水と急斜地との間に狭帯をなし湖水に面して従喬木、灌木階ともにかなり自由な生育をなしており、したがって発達も多いという訳である。

  湖水に流入する各小沢沿いのものでは前記一般型と大差ないが、発達区は主として宇樽部、休屋、大川岱、各部落付近で流入する沢沿いに認められる事が多く、これらにおいても一般型と大川岱沢に発達する本群叢の退化型ヤマハンノキ群落との両者がある。一般型においては優喬木サワグルミ、トチ、カツラ、オヒョウニレが多数を占め、従喬木ではシオリザクラ、イタヤカエデ、ヤマモミジ、アオダモがあるが量は僅少。灌木階もオクヤマザサ、チマキザサ、サワアジサイ、ムシカリ、オオバクロモジがあるがこれらも量は少ない。草類階では大形多巡草としてキツリフネ、ヨブスマソウ、トリアシショウマ、シシウド、オクトリカブト、タマブキ、サラシナショウマ、アキタブキ、ムカゴイラクサ、ヤグルマソウ、ケナシオニシモツケ等があり、また羊歯類としてリョウメンシダ、オシダ、クサソテツ、ジュウモンジシダ、サカゲイノデ、イヌガンソクがある。低草ではウワバミソウ、ミツバ、ホウチャクソウ、ツルネコノメソウ、マルバネコノメソウ、オクノカンスゲ、ミヤマニガウリ、マイヅルソウ、タニギキョウ、クルマムグラ、スミレサイシン、ノブキ、ウマノミツバ、ヅダヤクシュ、ヒメヘビイチゴ等が多い。蔓茎類ではツルアジサイ、ヤマブドウ、ツタウルシ、イワガラミが見られる。すなわち、他区のものと大差ない状況である。大川岱川流域は地盤がゆるく、崩壊その他の地面露出が数々行われるもののようにヤマハンノキは最も優勢力で、ほとんどヤマハンノキ林といっても良い様な林況をなしているが、これは退化的現象である事は言うまでもなく、奥入瀬区のケヤマハンノキ林とは河床沖積層に限らない点で区別され得ると思うけれども、極めて類似の群落である事は言うまでもない。植相は優喬木にヤマハンノキ一種のみである。従喬木ではオノエヤナギが多いが、老齢期に達した所ではトチ、サワグルミ、カツラの混入が目に付く。灌木階はほとんど認められず。草類階の大形多巡草ではオオヨモギ、オオイタドリ、アキタブキ、シシウド、アマニュウがやや安定した所でヨブスマソウ、ハンゴンソウ、ケナシオニシモツケ、サワアザミ、ハナウド等が見られる。低草ではオオタネツケバナ、スギナ、ハナタデ、ミゾソバ、オクノカンスゲ、ヒゴクサ、ウワバミソウ、ツルネコノメ、ヤマミズ等多い。また、ヤマハンノキの寄生植物としてヤドリギがある。すなわち、これらによってもヤマハンノキ林は本群叢の退化型である事は立証できると思われる。

  なお、大川岱川流域では所々に「灌木―大形多巡草型」や急斜地の裸地があるがこれらは本群叢の著しい退化型として前区で述べたと同様である。


2.草原群系族 

Herbosa

  本群系族は主として禾本[かほん]※68)、草本の密生群落の集合体〔リューベル(Rübel)、中野両氏による〕であるが、本調査においては便宜上、前記樹木系族に属させるべきものと後記荒原群系族に属させるべきもののうち、若干のものを本群叢族に入れた。

  本群叢をリューベル氏式に類別すれば、

(1)地上草原

  a高山草原  b山地草原

  c低地草原  d大形多巡草原

(2)水生草原

   a湿地草原  b水性群系  c水中草原

(3)高層湿原

等になされているのであるが、これを林業上の重要性および当地域における群落発達程度から考え、次のとおり配列することを穏当と考える。

(1)地上草原

 a 高山草原(草本帯)

  Ⅰ 石南科乾原(岩石地、植物群落)

  Ⅱ 砂礫地植物群落

  Ⅲ 高山草原植物群落

 b 山地草原(乾燥草原)

 c 大形多巡草

(2)高層湿原

 a  高山水生植物群落

 b  泥炭地(湿原)植物群落

 c ヤチヤナギ群落

(3)水生草原

 a 水中草原


E 地上草原

Terri - herbosa

  本草原は、”F高層湿原“”G水生草原“のように水湿度に富んでいないから、地下水は一般に深く、時に著しい乾燥状態を呈する事がある。標高差には関係なく、高所においても低所においても主として禾本(禾本莎草※69)等を含む)および他の草本類の密生する植物群落をいうのである。灌木階以上のものは時に混入を見るけれども、それは一般に凹所、すなわち地下水のやや高いと思われる所に限られているので、あまり著しいものとはいえない。「地上」は地面上という意味ではなく土壌上という意味にあてはまるべきであり、本群落ではa高山草原、b山地草原、c低地草原、d大形多巡草原の4者に分けられているが、低地草原は本地域に全く発達を見ないので他の3者に限られているのである。


Ea 高山草原 

Alpini - herbosa

(=Alpinemat - meadow)

  これは喬木限界線以上に現れる主として禾本、莎草および草本の密生する群落であり、垂直的群落区分の、いわゆる草本帯と大体同義なものと考えて良い訳である。本草原の発達過程は岩原、礫原、砂原によりそれぞれ差はあるけれども、これらはそれぞれ岩―礫―砂となるべきものでその遷移は非常に遅々たるものである。ただし、これらに耐え得る植物がその根部を侵入して発育するにより次第に土壌的の変化を与え、最初の群落から次期の群落へと次第に遷移するのである。しかも、山頂付近は原則的にその成生の初期は地面(岩礫または砂)を露出しており、それが時代の推移とともに変化し、大部分は初期群落によって被われる事となるかという風の、特に著しくあたる部分は極めて長い年月に渡って地面露出を保持している。一般的にいえば、新成(火山等のため)の山においては山の下部から次期群落型→初期群落と上昇し頂上付近において裸地となるのである。しかもその発達を群落発生的に見れば、(1)点状群落、(2)斑状群落、(3)階段状群落、(4)並列群落、(5)全面群落、となり(1)-(5)に向かって次第に進化しているものと理解されている。

  当地域における本草原を分ければ次のとおりである。

(Ⅰ)岩石地植物群落 主として点状、斑状群落

(Ⅱ)砂礫地植物群落 点状、斑状、階段状、並列群落

(Ⅲ)草原植物群落 主として全面群落なるも並列、斑状群落を伴う


Ea I 岩石地植物群落

 これは寒地荒原Erigoridesertaの大部に相当し、また、後記“H岩質荒原”の一型に近いものであるが、本調査においてはHを亜高山以下に発達する断崖岩石地のものと理解する事とし、高山帯以上の断崖岩石地のものは便宜上本群落に属させる事とした。そして、本群落はさらに型に分けた。すなわち、大岩石地(断崖岩石地)のものと小岩石の堆積地との2つである。

  大岩石地においては大岳頂上付近におけるもののようにイワウメ、イワヒゲ、クモマニガナ、ホソバノイワベンケイ、シラネニンジン、ミヤマオダマキ、ムシトリスミレ、タカネスギゴケ等。

  石倉岳頂上付近においてはその名の起りのように大岩石地があるが、イワヒゲ、イワウメ、コメバツガザクラ、コケモモ、ケミヤマキンバイ、コタヌキラン、ウンベリフェリア・カロリニアナレカノラ・キソバナおよび灌木としてコメツツジ、ミヤマビャクシン等がある。

  また、横岳―櫛ヶ峯間の凸部俗称「カヂャボツ」の岩石地においてはチシマツガザクラ最も優勢で、他にイワヒゲ、コメバツガザクラ、シラネニンジン、オサシダ、イワキンバイ、ガンコウラン、イワウメ、タカネスギゴケおよび灌木としてコメツツジがある。これら各所におけるものはいずれも点状群落をなしているが、時に斑状群落を混入している。

  小岩石の堆積地におけるものは、大岳頂上南側と井戸岳頂上付近等におけるもののようにガンコウラン、ミネズオウ、コメバツガザクラ、コケモモ、エゾイソツツジ、イワウメ、イワヒゲ、コイワカガミ等を主要因子としているが、本所のものは上部になお斑状群落を有しているけれども、大部は全面群落となってハイマツと混生している。これら主要因子はいわゆる石南科灌木群落に属するものなので、本群落を石南科乾原と称する事もある。これは学者によってガンコウランを主体としてガンコウラン群落と命名されている事もあるが、主要因子中でも線状葉を有するガンコウラン、ミネズオウ、イワウメ、イワヒゲ等の類と月桂樹形の葉(円形または楕円形)を有するその他のものとは一見差異ある事が認められる。本群落は言うまでもなく極端な乾燥状態をなし乾性植生列Xerosereの第1過程をなすものであるから、いずれもその根端に特殊な菌根を有し、しかも線状葉を有して極端な乾燥にも耐え得る様、上記因子が適応して群落を形成するものと思われる。

本群落の諸因子の中で、特に群落を形成して群落遷移に関係を有するらしいものをあげれば、

イワヒゲ群落  Cassiopetum lypodioides

イワウメ群落   Diapensietum obovatae

ガンコウラン群落 Empetretum nigri asiaticae

ミネズオウ群落  Loiseleurietum procumbensis

コケモモ群落  Vaccinium vitis-idaeae

コメバツガザクラ群落 Arctericetum nanae


Ea II 砂礫地植物群落

  本群落は本来岩原に基源して礫原を経て砂原に達したものと理解されているが岩原、礫原、砂原にそれぞれ成生当初から発達したものがあるのを否定し得ない。しかも一般には岩、礫、砂各々に確然と判別し得ないものが多く、これらの混交のものが多い。砂原は一般に海岸に限られ山地性ものは砂礫地と称する方が穏当な場合が多い。当地域において現在砂礫地をなすのは井戸岳外輪山頂上付近を最上部とし、大岳、赤倉岳付近においてもその頂上付近に若干の発達を認め得られる。いずれの場所においても岩→礫→砂の変化によるものでなく砂礫地として当初より発達したものと思われる。一般の砂礫地においては点状群落を主体とするのであるが、それは最も初期の型であり次いで斑状、階段、並列、全面の各群落と遷移するものである事は言うまでもない。ただし、砂礫地における全面群落は草原(またはハイマツ群落)と同一なので、それぞれの項に該当する事となる。赤倉岳北側断崖地は同岳における噴火口壁の一部が残存するものと思われるが、該所においてはすでに灌木類の侵入があり、これらは斑状群落、並列群落をなし、その間に点状群落、斑状群落を介在させている。

  本所の植相は灌木類にはミヤマハンノキ最も優勢で、ナナカマド、ミネヤナギ、ミヤマホツツジ、マルバシモツケを混じ“AaⅠミヤマハンノキ型”に属している。草類階では本群落に属するはアラゲキスミレ、ヤマハハコ、オオシュロソウ、ウサギギク、ヨツバシオガマ、ネバリノギラン、オノエガリヤス、ヒトツバヨモギ等が多い。すなわち、本所のものは砂礫地に発達した上記草本類が次第に“AaⅠ型”により侵略されつつある事を明示するものである。

  井戸岳頂上付近においては、イワブクロ、イワギキョウ、ケミヤマキンバイ、イワウメ、イワヒゲ、コイワカガミ、ミヤマオダマキ、イワオトギリ、イワオトギリ、ヨツバシオガマ、イワベンケイ、イワアカバナ、ウラジロタデ、コタヌキラン、ミヤマクロスゲ、ヌイオスゲ、コメススキ、オノエガリヤス、ガンコウランおよび灌木としてミネヤナギ等が多いのであるが、これらの中で群落としてこれを支配するものは大体次のようなものがある。

イワギキョウ群落 Campanuletum lasiocarpae

イワベンケイ群落 Sedetum rhodiolae

オノエガリヤス群落 Calamagrostidetum

ヌイオスゲ群落 Caricetum amblyolepis

ミヤマクロスゲ群落 Caricetum flavocuspis

イワブクロ群落 Pentstemonetum frutescens

ミヤマオダマキ群落 Aquilegietum japonicae

ケミヤマキンバイ群落 Potentilletum Matsumurai lasiocarpae

ヨツバシオガマ群落 Pedicularisetum japonicae

ウラジロタデ群落 Pleuropteropyretum weyrichii

コメススキ群落 Deschampsietum flexuosa

ミネヤナギ群落 Salicetum Reinii


Ea III 高山草原植物群落

  これは高山草原における最も安定した終局型であらねばならない。発達の初期は前記“EaⅡ砂礫地植物群落”であり、それが時代の遷移とともに発達して全面群落となったものである。すなわち、草本が密生し灌木類は極めて矮小なものを除いては全く存在しない。しかも、高山垂直分布における純然たる草本帯の基準型をなすものである。ただし、当地域においては厳山[いわやま]の高山草原は発達せず、やや湿潤性に傾いたものがかなり所々に認められる。以下それについて述べれば、井戸岳噴火口付近、大岳付近および櫛ヶ峯北原等に発達しているものであるが、いずれにおいても冬季堆雪量極めて多く春夏の融雪期も比較的遅く、時に融雪が8月におよぶ様な場所に発達している事が多い。したがって、融雪の初期中期においては上部に堆雪があり、その溶水により付近は常に湿潤である。この草原は欧州アルプスに発達している谷合いの「雪渓草原」※70)と大体近似のものと思われる。赤倉岳付近においては赤沢周囲に、井戸岳付近においてはその噴火口内部に、大岳付近においては俗称八甲田松島および万年雪付近、さらに大岳噴火口内部や千人田上部等に発達が認められる。多数見られるものには、矮小灌木にアオノツガザクラ、ミヤマホツツジ、チングルマ。草類にはイワイチョウ、ヒナザクラ、イブキボウフウ、イワカガミ、シラネニンジン、タカネショウジョウスゲ、ミヤマリンドウ、ハクサンチドリ、ショウジョウバカマ、イトキンスゲ、ヒメイワショウブ、ウサギギク等の小草をはじめ、他にコバイケイソウ、オオバショリマ、ミヤマキンポウゲ、エゾシオガマ、シナノキンバイ等の高草が多い。

  小岳付近においては頂上の東側および東北側、標高1,300m―1,400m間に発達しているもので、矮小灌木にチングルマ、アオノツガザクラ、ウラジロヨウラク、草類ではヒナザクラ、ウサギギク、ハクサンボウフウ、ヨツバシオガマ、ネバリノギラン、イワノガリヤス、キンコウカ、ミヤマリンドウ、ウメバチソウ、シナノオトギリ等がある。周縁にはチシマザサ、ハイマツ、ミヤマハンノキ等がある。

  櫛ヶ峯付近においては東北腹の標高1,300m付近における逆川最上流部に小面積の発達が認められ、該所においては、矮小灌木はアオノツガザクラ、ミヤマホツツジ、チングルマ。草類ではウサギギク、イワイチョウ、タカネグンナイフウロ、イブキゼリ、ヒナザクラ、イトキンスゲ、シラネニンジン、ハクサンボウフウ、ヒメイワショウブ、ミヤマホソコウガイゼキショウ、エゾホソイ、カワズスゲ、タカネクロスゲ、ミヤマリンドウ、タカネショウジョウスゲ等の小草およびイワノガリヤス、ムツノガリヤス、エゾシオガマ、モミジカラマツ、ミヤマキンポウゲ、シナノキンバイ、オオバショリマ等の高草が多い。

  これらの場所はいずれも前述のとおり冬季堆積量の非常に多い所であり、夏季においては融雪によって常に湿潤であり、しかもこの水分は夏季を通じて豊富であるから、やや泥炭に近い土壌を形成し、ひいては益々土壌を湿潤にさせているのである。この泥炭に近い土壌は上述の諸因子にも影響して、泥炭地要素(後述F群系)のものと若干共通種を認め得られる次第である。また、本群落の発達している場所は本来垂直分布の灌木帯の上部草本帯にあたるべきものであらねばならないが、当地域においては前述のとおり本群落の発達する区域はいずれも頂上を除いた下部の特殊地域に発達するものであり、しかも本群落の周縁には上部にもチシマザサ、ハイマツ、ミヤマハンノキ等の灌木を有している。これらの灌木はいずれも灌木帯上部の要素である事から、ひいて本群落は基準的な標高における草本帯の発達とは認められない事になる。結局、当地域の最高標高においても完全な草本帯には達し得ない事になるのである。


Eb  高地草原

(Upland meadow)

  これは厳格な意味でいえば広葉樹帯における草原のみを意味するのであるが、これにも標高の高い所のものと低い所のものでは自ら差を生じている。しかも俗に原(ハラ)と称されるものを指す事が多い。当営林局管内においては低所には人為による退化群落として「ススキ群叢」の発達が著しいのであるが、これは当地域内では認められない。ただし、区域外の三本木―焼山間の奥入瀬川両岸山地においては該群落の良好な発達が認められ、いずれも民有地で採草地として利用され人為結果によるものである。

  また、学者によっては本群落にササ類群落を包含させている人もあるが、笹竹類は草類とは別扱いすべきものであり、森林内においても他の灌木類と群落的に見て大差ないものと思われので竹類を灌木とみなし、当地域のものは“Beチシマザサ退化群叢”において述べた所である。

  当地域においては本群落代表として最も良好に発達するものは「シバ群落Zoysietum japonicae」であるが、これは乾燥地性のものなので乾燥地性草原とも称すべき事となる。当地域、特に南部(上北、下北、その他)方面で盛んに行われる牛馬放牧の結果、荒廃による二次群落、すなわち退化群落として群落を生ずる事が多い。したがって、退化群落としては当然“DaⅣブナ退化型”に属せしむべきであるが、現状がDaその他の森林群系族とは著しい差異を示すものなので便宜上本群落として独立させた。当地域においては前述のとおり牛馬放牧の行われている区域に限って発達し、田代区、蔦方面等に認められるが、前者が著しく後者は小面積の発達なので“BaⅣブナ退化型”中に属せしめた。

  ・田代区においては発達最も良好で、大面積のものが数ヶ所に認められ、いずれにおいても放牧牛馬の侵入があって、高原的気分を満喫させる景観を呈している。

  本区における植相はシバが全面を被覆して最も優勢であるは言うまでもなく、チチコグサ、アリノトオグサ、ノチドメ、ミミナグサ、ヒメスイバ、オトギリソウ、ケタチツボスミレ、ニガナ、オオバコ、ヌカボシソウ等の小草、およびヤナギラン、ワラビ、ハンゴンソウ等の高草が多数を占めている。これらの内、シバ以外はいずれも牛馬の不嗜好植物であり、食害を被らずに保護された形となり、かつ、いずれも極端な乾燥に耐え得る種類のみであり、これらの繁茂が著しい。本区における本群落は数ヶ所に分れて発達しているが、いずれもかなり面積を有しているから、それぞれ突込岱[つっこみたい]、新野[しんの]、長者岱[ちょうじゃたい]、ホーキバ※71)等の名称がつけられている。


Ec 大形多巡草 

Altherbosa

  これは、亜高山帯―中山帯等が自然に森林を形成し得ない湿潤な場所に発達する大形の多巡性草本群落にあてはめられる草原である。当地域においても“Dcトチ―サワグルミ―カツラ群叢”内に本草原の発達を認められるけれども、これら大形多巡草は上木をなすトチ、サワグルミ、カツラと離せない関係に置かれている。ただし、上木がなく“Dc群叢”内の空地に本草原の単純群落が発達する場合があるが、それ等は“Dc群叢”の退化型として前述のとおり考えられている。

  当地域における本草原の重要因子は次のようなものがある。羊歯植物ではジュウモンジシダ、リョウメンシダ、イヌガンソク、サカゲイノデ。ミヤマベニシダ、オシダ、クサソテツ、ヒロハノイヌワラビ、ゼンマイ、他の高等植物ではヤグルマソウ、メアカソ、エゾニュウ、ケナシオニシモツケ、キツリフネ、クロバナヒキオコシ、アキタブキ、アマニュウ、オオイタドリ、ウド、モミジガサ、ムカゴイラクサ、ミヤマイラクサ、ヨブスマソウ、ハンゴンソウ、オクトリカブト、サラシナショウマ、フジテンニンソウ、ゴマナ、オオヨモギ、ダキバヒメアザミ、タマブキ、ヤマブキショウマ、トリアシショウマ、オオウバユリ、ミヤマシラスゲ等がある。


F 高層湿原

Sphagniherbosa

(=high moor)

  これは厚い泥炭層の上にミズゴケ類(Sphagnum)の跋扈した群落であるが、その中所々に水溜りや小池があり、特殊な水草や微小植物が繁茂し、また一方で小高い所には乾燥に堪える様な特別の植物がある。一般的には土壌が酸性を呈する特殊湿原であり、群落が水中、湿原、やや乾性という様な複雑な「群叢複合体 Associations complex」をなしている。

  低地における湿原には湿地草原、挺水草原、水中草原等の各群落がそれぞれ個々に発達しているのであるが、高地においてもこれら3草原がそれぞれ集団で発達しており、低地のものとは要素やその他の諸条件から見てかなり著しい差のあるものである。したがって、高地植生もそれぞれ高層湿地草原、高層挺水草原、高層水中草原と呼ばれ、前3草原と対立させるべきではあるが、群落区分上高層の3草原を合して特殊な一単位とみなし、高地性を尊重して「高層湿原」とするのが本邦諸学者の定説である。

  本湿原の特徴植物はミズゴケ類(Sphagnum)であるが、当地域から発見されたミズゴケの種類が極めて豊富であり、現在に15種類くらいが数えられているのを見ても明らかである。

  本湿原については八甲田高山植物研究所の吉井博士が目下鋭意研究されておられるが、その第一回発表は、昭和6年Science Reports of the Tohoku Imperial Univercity Sendai〔Four Series Biology vol, v1,No.2,P308-346( une 1931)〕上に、林信夫氏とともに「火山灰上に形成された亜高山帯湿原の植物学的研究」(=Botanische Studien subalpiner Moore auf vulkanischer Asche)を発表されたのである。当該論文によって、北八甲田西腹の上・下両毛無岱の本湿原が最も良く研究されている。それによれば、『上下の段丘からなる毛無岱の湿原は試錐調査(バイセクト)』 により3つの泥炭層と3つの火山灰層との交互の発達による事が明らかにされた。すなわち、最上部の泥炭層は現在の湿原植物の根層を含むもので、厚さ20cmに達し植物体の大部分はなお泥炭化しないので粗腐植土の様な状態を示している。この不完全な泥炭層の直下には第一火山灰層があって厚さ16cm程ある。この火山灰層は現在の湿原が生じた主因となった最も重要な層である。すなわち、火山灰が圧縮膠着して雨水の不透層となったので、土壌は常に湿潤に保たれこの所に湿原が発達したのである。この火山灰層の下部には、1cmの薄層ではあるが第二泥炭層が認められる。さらにこの下部には15cmの厚さを持つ第二火山灰層があり、またその下層として第三泥炭層が認められる。この層は最も厚く実に35cmに達した完全な泥炭層である。この下底をなすものは第三火山灰層でほとんど基岩の様な状態をなす。すなわち、火山灰と泥炭形成とが互に3回ずつ繰返された事になる(図23)。

図23 湿原の土壌断面


  この泥炭湿原の成因は、まず段丘上に堆積した火山灰が水の不透層を形成して土壌を湿潤たらしめ、これに高山性の気候が作用して植物の遺体を泥炭化させたものである。泥炭湿原の現在は主として湧水によって養われているから、一種の湧水湿原と称すべきものであるが、これら酸性の貧養土上に生じたもので、したがって貧養(泥炭)植物が群落を構成しいる。この湿原中には小沼が多く、中に下縁が着くころ隆起して、いわゆる田型すなわち田の畔の形をなすものが多い。この成因は明らかに斜地の湧水であって、これを中心として畔をもつ小沼が生じたのである。すなわち、沼の線(田の畔)が特に隆起したものは大抵平坦または緩傾斜の地が急に傾斜度を増す地点に見られる。これは不透性の火山灰土中を流下する地下水がこの地点で湧出するためである。湧水は春季もなお起るから、勢いこの地点を中心として植物の生育が盛んになる。すなわち、この貧養水を以て足りる禾本類やミズゴケ類が生ずる。やがてこれら植物の根茎や遺体が生育の盛んなため湧水の下方に堆積する。したがって湧水は停滞し、付近は常に湿潤となり貯水を中心としてやや円形にさらに多くの植物が集落することとなる(図24)。

図24 泥炭湿原の形成過程


  このようにして、下縁が築れるにしたがってまた湧水が溜まるから益々小沼の縁(田の畔)は高まる。すなわち、長い年月の間に植物の遺体やこの上に生じた植物(特に禾本類)によって沼の下縁が高まると同時に、これに沿って両縁も高起する事になる。この段や下縁は溜水が幾分透過するから植物生育もその遺体の堆積も多くなる。各沼の分布は一見不規則に散在する様であるが、その間に一定の集落がありそれぞれ小群を形成しているのである。小沼の構造分布ならびにその植物群落の状態からして、かつてこの段丘上に存在した大きな沼沢が次第に乾燥していわゆる陸化(Hydrosere)の遷移が一般的に起り、ただ湧水点を中心として小沼が生じ今日の状態をなすものと考えられる。各沼の植物群落を知るために各沼の上・下両部分単位群落とみなしてこの部分の植物に比較すれば、高起した沼縁からなる場合は上下の部分により著しくその植物が別である。一般に上部には種類が少ないが下部には多い。これは両部分の乾湿の程度が異なることによる。

  これらを通じて常在度の多いものはヌマガヤ、サギスゲ、チングルマであり、実際に本湿原の大部分は“ヌマガヤ―サギスゲ群叢”に属する云々』といっておられる。当地域に発達している高層湿原は全般から見て大体二分されると思う。ひとつは高山性高層湿原とも称すべきもので、“Bcアオモリトドマツ―ブナ―ダケカンバ群叢”以上の高所に発達している普通型であり、他は低山性高層湿原とも称すべきもので、“Daブナ群叢”以下の低所に発達している特殊型との両者である。前者には南・北両八甲田連峰に拡まる大部分の湿原が属するものであり、後者には谷地および田代萢の両者がこれに属している。

  当地域における湿原は北から列挙すれば、

田代区 北八甲田北東腹、田代岱に散在するもので特に中央のものを指す傾向がある(突込萢※72)と称されるのもある)。

田代萢 田代萢岳頂上付近のもの。

毛無岱 井戸岳西腹にあり第1、第2、すなわち上・下の両区に分たる。

千人田※73) 大岳・子岳・硫黄岳の中央に位置す。

地獄萢 酸ヶ湯付近地獄沼上部に位置す。

赤水萢 同上、赤水沢の上流部で前者の南東にある。

昔迷い 硫黄岳の西南腹にあり大部分“BaⅡアオモリトドマツ―モンゴリナラ型”なるも中に所々湿原を存す。

清水萢 石倉岳の西南部、荒川上流部分岐点付近の北岸にある。

高田萢 硫黄岳、駒ヶ峯間の郡界付近、以東にあり大部分“BaⅡアオモリトドマツ―モンゴリナラ型”であるが、所々に湿原があり睡蓮沼最も著名である。高田大岳の西南麓にあるのでこの名がある。

谷地 谷地湿原の東側にある。

横沼萢 逆川岳南腹横沼付近にある。

横岳萢 横岳頂上に渡って散在するもの。

逆川萢 駒ヶ峯-櫛ヶ峯の北側逆川(荒川の一枝流)上流部一帯に渡るもの。

櫛ヶ峯萢 櫛ヶ峯頂上から北東および南東に連なる“く字型”に狭長い区域。

黄瀬萢 駒ヶ峯南腹にあり、俗に「黄瀬田形萢」と称されるもの。

猿倉岳萢 猿倉岳(標高1,353.6m)頂上付近から乗鞍岳への鞍部に至区域に散在するもの。

猿倉萢 猿倉岳東腹にあるもの。

太田沼萢 乗鞍岳西南腹に位置する太田沼の周囲にある。

太田代 南津軽郡竹館村の滝ノ股沢と上北郡十和田村黄瀬川との中間郡界にあり黄瀬萢の南方に位する、別に大谷地と称する。

  これら各湿原について説明を付する事が便宜であると思われるが、これを群落的に見る場合は、

a高山水生植物群落

b泥炭地草本群落

cヤチヤナギ群落

等区分する方が穏当である。


Fa 高山水生植物群落

Alpini - hydrophyte

  高山性の水生植物、すなわち、水中に少なくとも栄養体の一部を置く植物を総括して本群落とした。すなわち、これには高山性の挺水植物、浮葉植物、沈水植物の3者が含まれている。

これは高層湿原中に介在する小沼に関連して、その中またはその周囲に発達するものの総称である。

  高山性高層植物湿原中では大体次のような群落がそれぞれの湿原に発達している。

Ⅰ沈水植物

(1)エゾミズニラ―ヒメミズニラ群 Isoetetum

  これは小沼底にあるミズニラ類の群落である。場所により単独の種類の場合と両者を産する場合があるが、高山性のものとしてはエゾミズニラ、ヒメミズニラの両者があるにすぎない。田代萢、下毛無岱、仙人田、高田萢、横沼、逆川萢、猿倉岳萢、黄瀬萢等に認められる。なお、舘脇氏によれば蔦沼にミズニラを産する由。

(2)タチモ群落 Myriophylletum ussuriensis

  これは京大、三木茂氏の同定にかかるタチモ単純群落であるが、当地域のものは高山性池沼底に沈水植物の形態をなしており、一般に見られる湿地植物型は認められない、黄瀬萢と逆川萢とに産する。

Ⅱ水中植物

(3)タヌキモ―コタヌキモ群落 Utricularietum

  水中に栄養体を有して浮動し、花は挺水型をなすものであり、タヌキモを基準種とする。コタヌキは一般に底地性の小沼付近にあり、小沼がほとんど乾燥して泥塊をなすような、沼としても極めて浅い場所に限られている。清水萢、高田萢、逆川萢、黄瀬萢、田代萢各地等に認められる。また、本群落に入れねばならぬ一型にムラサキミミカキグサがあるが、これは湿原植物に近い型を取り谷地に産する。

Ⅲ浮葉植物

(4)ヒツジグサ―ネムロコウホネ群落 Nymphaetum nupharosum

  従来当地域から報告されている本群落にはヒツジグサ一種のみであり、ほとんどその単純群落の様に考えられているが、本調査によりネムロコウホネが発見されて両者の混交群落の様に考えられるに至った。

  ヒツジグサは俗に睡蓮とも称され睡蓮沼は有名な産地であったが、高田萢、逆川萢、黄瀬萢にも見出された。ネムロコウホネは黄瀬萢の一部に産するにすぎないので、該所は保護を加える必要がある。

(5)ヒルムシロ群落 Potamogetonetum

  本群落に属するものは次記“G水生植物群系”に属するものが多いのであるが、高山性のものとしてはフトヒルムシロPotamogeton fryeri , BENN 1種のみ上昇しているにすぎない。下毛無岱、睡蓮沼等に認められる。

Ⅳ挺水植物

  これは根を地中に置き栄養体は必ず水中を経て空中に拡まるものであるが、これには大形のものと小形のものとがあり、沈所のものと浅所のものとがある。したがって、沈所のものから列記すれば次のとおりである。

(6)コミクリ群落 Sparganietum

  当地域のミクリ類は種類の決定を京大三木茂氏に依頼しコミクリ一種とされたが、2種くらいある様に思われる。いずれにしても高山性池沼に限られており、下毛無岱、高田萢、横沼、逆川萢、猿倉萢、黄瀬萢等に認められる。

(7)ヌマハリイ―ミヤマホタルイ―ミヤマホソコウガイゼキショウ群落

Heleocharietum scirposum juncosum

  これは各因子共、極めて類似した外形を呈し、また相似た環境に生じているけれども、それぞれ独立の群落を形成する事があり、これらの群落が合うたものであるとする考えが穏当であろう。

  すなわち、ヌマハリイ群落にはヒメヌマハリイ、オオヌマハリイがあり、ミヤマホタルイ群落にはサンカクイ、フトイ、シズイがあり、ミヤマホソコウガイゼキショウ群落にはエゾホソイ、ヒロハノコウガイゼキショウ、ヒライ等がある。まず、これらの基準種と思われるヌマハリイ、ミヤマホタルイ、ミヤマホソコウガイゼキショウをあげ3者の群落にする事とした。

  この“ヌマハリイ―ミヤマホタルイ―ミヤマホソコウガイゼキショウ群落”の発達するのは、上毛無岱、下毛無岱、仙人田、高田萢、逆川萢、猿倉岳萢、黄瀬萢、田代萢の一部等である。ヒメヌマハリイ、オオヌマハリイ等は低地湿原の田代萢、谷地、蔦等に認められる。フトイは田代、谷地に、サンカクイは蔦に、シズイ(三木氏同定)は異例として太田沼の湖底に沈水植物としてミズニラ状をなしているが、開花結実期(未だ見ないが)には挺水植物であらねばならない。エゾホソイ、ヒロハノコウガイゼキショウは毛無岱、赤水岱等に見られ、ヒライは谷地に多い。このイ属の4種(ミヤマホソコウガイゼキショウ、エゾホソイ、ヒロハノコウガイゼキショウ、ヒライ)は時に挺水植物となるだけで、一般には湿原植物として現れる場合が多い。これらの他本群落に近いものにホシグサ群落Eriocauletumがあり、低地に多いのであるが、当地域には谷地にクロホシクサがある。量は僅少である。

(8)キタヨシ群落 Phragmitetum vulgaris

  ヨシ群落は本邦を通じて南は台湾から北は樺太まで、いたる所の湿地に群生しているのであるが、本州北・中部において南北両系統のものに分れている。南方種はヨシで、本州北・中部においては低地に生じ、北方種はキタヨシで、本州北・中部では前者の上部、中山体に達している。当地域のものは全部キタヨシに相当する。ヨシ群落は一般に低地の湿地草原の優占種であり挺水草原では優占種とはならないが、当地域のものも、その列に漏れず良好な発達は全く望み得ないが、赤水萢、清水萢、高田萢、谷地に認められる。

(9)ミツガシワ―サワギキョウ群落 Menyanthetum lobelietum

  これは両因子共に極めて類似した環境に生じているけれども、またそれぞれ独立の群落を形成している様に思われる。したがって、まずMenyanthetumとLobelietumとの混交群落として取り扱う事にした。これはほとんど全ての湿原に発達しているが、特に著しい所は田代萢、毛無萢、清水萢、高田萢、逆川萢、猿倉萢、猿倉岳萢、黄瀬萢、田代萢等に認められる。一般にミツガシワはサワギキョウに比較して池沼の畦畔に根を有して長く池沼中に根茎を出す性質がある様である。

(10)ホロムイソウ―ホソバノシバナ群落 Scheuchzerietum triglochinosum

  これも前同様2つの群落であり相共に群落をなす事はないが、分類学上全科に属させているので便宜上全て一つの群落にした。ホロムイソウは、池沼が時代の経過(陸化)によって埋められ泥塊をなす様な所で、水分は全くない様な場所に普通である。ホソバノシバナは、低所の湿原に多い泥塊が正に湿原に移行しようとする直前に発達するものと思われる。

  ホロムイソウは田茂萢、下毛無岱、猿倉萢、猿倉岳萢等に認められ、ホソバノシバナは田代萢および谷地に認められる。

(11)ヤチスゲ群落 Caricetum limosis

  これは前記ホロムイソウ群落Scheuchzerietumと同一環境に生ずるが、むしろやや後記に出現しホロムイソウを圧迫する傾向がある。当地域においてはほとんど全湿原に渡っているが、その主なものは田茂萢、下毛無萢、仙人田、清水萢、高田萢、猿倉岳萢、黄瀬萢、田代萢、谷地等である。

(12)ミズドクサ―ミズスギナ―イヌスギナ群落 Equisetetum

  これは水生トクサ類の群落である。ミズドクサ、ミズスギナの両者は挺水植物として池沼の浅い岸畔に生じ、当地域では横沼と蔦の重沼とに見られる。イヌスギナは高層湿原中「PH酸性」のかなり強い赤水萢の浅い池沼中に生じており、それぞれ群落をなしている。

  これらの水生植物を通覧すれば、高層湿原中高山性のものと低山性のものとは自ら若干の差を認めねばならない。すなわち、田代萢、谷地の両者は低山性に属し他の全ての湿原に比較して次の諸点を異にする。

(1)低山性湿原に限られるもの コタヌキモ、ムラサキミミカキグサ、ヒメヌマハリイ、オオヌマハリイ、フトイ、クロホシクサ、ホソバノシバナ等の群落

(2)高山性湿原に限られるもの ヒツジグサ、ネムロコウホネ、コミクリ、エゾホソイ、ホロムイソウ、イヌスギナ等の群落

  また、池沼植物遷移を考えるならばHydrosereの遷移であるから、現在の沈所から次第に浅い方向に向かって発達している植物群落が、すなわち遷移の方向を示めすものであらねばならない。なぜなら、池沼は時代の経過とともに次第にその沈度を減ずるものであるという事を前提とするのである。堀川氏によれば〔「八甲田山の植生」第562頁(1930年)〕ヒツジグサ群落→ミツガシワ群落→ホロムイソウ群落→湿原と遷移すべきものであるといわれたが、南・北両八甲田連峰を通じて観察された結果は次の表13とおりであると考える。


表13 Fa植生変化の経路


Fb 湿原(泥炭地草本群落)

  高層湿原中の池沼に生ずる前記高山水生植物群落を除いた他の大部分が、本群落に属するものである。一般に泥炭層上に密生した特殊植物群落で、これらは泥炭地植物(貧養土植物)と称されている。主としてミズゴケ類(これはほとんど泥炭層の指標植物にあたるもので種類は沢山あり、当地域には大体25種類くらい)やスゲ類(泥炭地特有のスゲ類は当地域において大体6種類くらいある様である)が繁茂しており、また、湿厚自体もその発達過程により数個の階段がある様である。これらは後述するとおりであるが、以下湿原の植相を記するにあたり、便宜上前記“Fa高山水生植物群落”のように、群落別とせず各湿原ごとに説明をつけた。

  ・田茂萢においては、ミズゴケ類の他ミヤマイヌノハナヒゲ、ワタスゲ、ヌマガヤ、ミネハリイ、ミヤマホタルイ、ミヤマホソコウガイゼキショウ、ヒメイ、カワズスゲ等禾本莎草類をはじめ、モウセンゴケ、チングルマ、ツルコケモモ、コバノトンボソウ、キンコウカ、イワイチョウ、ヒナザクラ等が多い。

  ・上毛無岱においては、ミズゴケ類の他イワノガリヤス、ヌマガヤ、ミヤマイヌノハナヒゲ、タカネショウジョウスゲ、ワタスゲ等の禾本莎草類を始めキンコウカ、イワイチョウ、チングルマ、モウセンゴケ、イワカガミ、ヒナザクラ等が多く、萢周縁にはハイマツがある。

  ・下毛無岱においては、ミズゴケ類の他カワズスゲ、イワノガリヤス、ヌマガヤ、ワタスゲ、ミヤマイヌノハナヒゲ、タカネショウジョウスゲ等の禾本莎草類を始め、ツルコケモモ、イワイチョウ、チングルマ、キンコウカ、タカラコウ、エゾシオガマ、コバノトンボソウ、モウセンゴケ、イワカガミ、シロバナニガナ、シナノオトギリ、ウメバチソウ等が多い。

  ・千人田においては、池沼の水縁にミズゴケ類の他ヒメワタスゲ、カワズスゲ、ミヤマホソコウガイゼキショウ、ミネハリイ、ワタスゲ等の禾本莎草類を始め、ツルコケモモ、チングルマ、ヒナザクラ、モウセンゴケ、イワイチョウ等がある。湿原にはミネハリイ、チングルマ、シナノオトギリ、キンコウカ、イワイチョウ、ヒナザクラ、ネバリノギラン、ミヤマリンドウ等がある。

  ・赤水萢においては、ミズゴケ類(ハリミズゴケ、ヒメミズゴケ、ホソヒメミズゴケ、ホソベリミズゴケ、ウロコミズゴケ、ワタミズゴケ、ホソバワタミズゴケ等)の他、エゾホソイ、カワズスゲ、イワノガリヤス、ワタスゲ、サギスゲ、エゾアブラガヤ等の禾本莎草類を始めキンコウカ、イワカガミ、アカモノ、シロモノ、ツルコケモモ、モウセンゴケ、ネバリノギラン等が多い。

  ・清水萢においては、ミズゴケ類(ハネミズゴケ、ヒメミズゴケ、タカネミズゴケ、ヒロハセンダイミズゴケ、オオミズゴケ、アオオオミズゴケ、S. Rubellum, WILS.、ウロコミズゴケ、ホソバワタミズゴケ等)の他、キタヨシ、ミヤマホソコウガイゼキショウ、ワタスゲ、ミヤマイヌノハナヒゲ、ヤチスゲ等の莎草類を始め、キンコウカ、ツルコケモモ、モウセンゴケ、ネバリノギラン、コバノトンボソウ、コアニチドリ、トキソウ、サワギキョウ、ミズギク等がある。

  ・高田萢(睡蓮沼)においては泥炭の厚さは場所により差異はあるが、42.5cm、51.5cm、72.5cmおよび86.0cm以上等種々である。池沼の水縁および湿原においては、ミズゴケ類(キダチミズゴケ、ヒメミズゴケ、タカネミズゴケ、ヤマトミズゴケ、ヒロハセンダイミズゴケ、イボミズゴケ、ウゼンミズゴケ等)およびイトササバゴケ、アマハリガネゴケ等の他カワズスゲ、ミカヅキグサ、ワタスゲ、ミヤマホソコウガイゼキショウ、ミタケスゲ、エゾアゼスゲ、ホロムイスゲ、ミヤマイヌノハナヒゲ、エゾヌカボ等の禾本莎草を始め、サワラン、サワギキョウ、ツルコケモモ、ヒメシャクナゲ、モウセンゴケ、キンコウカ、シナノオトギリ、イワイチョウ、ミズギク等がある。萢の周縁においてはウラジロレンゲツツジ、イヌツゲ、ヒメヤシャブシ、モンゴリナラ、ウラジロヨウラク、アオモリトドマツ、ハイマツ、シロバナシャクナゲ、アカミノイヌツゲ、スノキ、ミネカエデ等の灌木およびミズバショウ、タカラコウ等があり、“BaⅡアオモリトドマツ―モンゴリナラ型”に近い型をなしている。

  ・逆川萢においては泥炭層の厚さが場所により差があり、22.0cmの所もあり、また100.0cm以上の所もあった。池沼の水縁においてはミズゴケ類外ミタケスゲ、ホロムイスゲ、ヌマガヤ、ヤチスゲ、エゾアブラガヤ、イワノガリヤス等の禾本莎草類を始め、サワギキョウ、モウセンゴケ、ヒメシャクナゲ、ミツガシワ、チングルマ等がある。また湿原中ではホロムイスゲ、ミカヅキグサ、ワタスゲ、ミヤマイヌノハナヒゲ、ヌマガヤ、カワズスゲ、ミヤマホソコウガイゼキショウ等の禾本莎草類を始め、キンコウカ、モウセンゴケ、ヒメシャクナゲ、ツルコケモモ、チングルマ、ヒナザクラ等がある。湿原の周縁においてはアオモリトドマツ、シロバナシャクナゲ、ウラジロヨウラク、ミネカエデ、ハイマツ、アカミノイヌツゲ、ミヤマホツツジ等があり“BaⅡ型”に相当する。

  ・猿倉萢においては泥炭層の厚さは場所により差はあるが、32.5cm(キンコウカ群落)、46.7cm(イワイチョウ群落)、70.0cm(キンコウカ群落)、80.8cm(ホロムイソウ、キンコウカ群落)、100.4cm(キンコウカ群落)、149.0cm(ホロムイソウ、ヤチスゲ群落)等がある。池沼水縁においてはミズゴケ類(カワラミズゴケ、ヒメミズゴケ、ヤマトミズゴケ、イボミズゴケ、ウロコミズゴケ、オオウロコミズゴケ、ホソバワタミズゴケ、ウゼンミズゴケ等)の他、ヤチスゲ、ホロムイソウ、ヒメシャクナゲ、モウセンゴケ、ヒメツルコケモモ、キンコウカ等がある。湿原においてはカワズスゲ、キンコウカ、ヤチスギラン、チングルマ、ホロムイスゲ、ツマトリソウ、ショウジョウバカマ、イワイチョウ等がある。湿原の周縁においてはハイマツ、ミネカエデ、ウラジロヨウラク、イヌツゲ、アオモリトドマツ、チシマザサ、ハナヒリノキ、シロバナシャクナゲ、ハクサンチドリ等があり“BaⅡ型”に相当する。

  ・猿倉岳萢においては泥炭層の厚さは36.3cm(イワイチョウ群落)、37.5cm(ミネハリイ群落)、53.2cm(ホロムイスゲ群落)、70.0cm(ホロムイスゲ群落)等一定していない。湿原中のものはホロムイスゲ、カワズスゲ、ミネハリイ、ワタスゲ、ヤチスゲ等の莎草類を始め、モウセンゴケ、ヒナザクラ、イワイチョウ、ツルコケモモ、シラネニンジン、イワカガミ、チングルマ、ヒメシャクナゲ等が多い。湿原の周縁ではアオモリトドマツ、ハイマツ、ミネカエデ、シロバナシャクナゲ、チシマザサ、アカミノイヌツゲ、ナナカマド、ウラジロヨウラク、コバイケイソウ等があり“BaⅡ型”に類似している。

  ・黄瀬萢においては泥炭層の厚さは40.0cm、50.0cm、86.0cm等一定していない。湿原内ではミズゴケ類(カワラミズゴケ、タカネミズゴケ、カズサミズゴケ、センダイミズゴケ、ヒロハセンダイミズゴケ、イボミズゴケ、ワタミズゴケ、ホソバワタミズゴケ等)の他ワタスゲ、ホロムイスゲ、ミタケスゲ、ヤチスゲ、カワズスゲ、ミネハリイ、ホロムイソウ、ミヤマホソコウガイゼキショウ、ミカヅキグサ等の禾本莎草類を始め、ヒナザクラ、キンコウカ、イワイチョウ、シロバナトウウチソウ、ネバリノギラン、イワカガミ、ミツバオウレン、ヒメシャクナゲ、ハイマツおよびヒノキアスナロ(一部分にすぎず)その他の灌木類ゼンテイカ、イワノガリヤス、コバイケイソウ、ナガボノシロワレモコウ等がある。

  ・田代萢においては、湿原内にミズゴケ類の他ホロムイスゲ、カワズスゲ、ワタスゲ、ヤチスゲ、ヌマガヤ、ミカヅキグサ、ミヤマイヌノハナヒゲ等の禾本莎草類を始め、ヒメシャクナゲ、トキソウ、サワラン、コアニチドリ、キンコウカ、モウセンゴケ、シロバナニガナ、チングルマ、コバノトンボソウ、ミズギボウシ、ホソバノシバナ、ネバリノギラン等がある。さらに、所によりヤチヤナギの群落を混入するが、それは“Fe群落”において述べる。湿原の周縁はエゾハンノキ、ヤチヤナギ、ウラジロレンゲツツジ、イヌツゲ、オクイボタ、チシマザクラ等の灌木およびゼンテイカ、コウゾ、ミズギク、ミズギボウシ、ナガボノシロワレモコウ、ツボスミレ、ヒメシロネ、ヒメシダ等多く、ヤチヤナギの混入は湿原→ヤチヤナギ群落→森林と遷移する周囲森林へ移動の推移帯を意味しているのである。

  ・谷地においては、泥炭地の厚さは55.5cm、71.0cm、94.0cm等一定していない。また、池沼が発達していないので湿原のみである。ミズゴケ類(ハリミズゴケ、ホソバミズゴケ、センダイミズゴケ、ヒロハセンダイミズゴケ、ウロコミズゴケ等)の他ホロムイスゲ、キタヨシ、フトイ、カワズスゲ、アゼスゲ、ミチノクハリスゲ、ハクサンスゲ、ミヤマイヌノハナヒゲ、エゾアブラガヤ、ワタスゲ、ヤチスゲ、ミカヅキグサ、ヒメヌマハリイ等の莎草類をはじめ、ホソバノシバナ、ミズギボウシ、ミズギク、サワギキョウ、ヒメシダ、モウセンゴケ、ツルコケモモ、エゾシロネ、ミツガシワ、シロバナニガナ、ヤチスギラン等が多い。湿原の周縁においてはウラジロレンゲツツジ、オクイボタ、ミネヤナギ等灌木の他コバイケイソウ、ミズバショウ、オクトリカブト、エゾオオバセンキュウ、ヒメシダ、ヤチカワズスゲ、ミズギク等がある。

  以上が当地域の湿原の植相状況であり、これらが果していかなる遷移をなすかが問題であるが、当地域の湿原はHydrosere(湿潤植生列)と解すべきものであるから、前記”Fa高山水生植物群落“が池沼の深さを次第に減じて泥塊に達して終るものと考えれば、その後泥塊に草類が次第に侵入して湿原となり、さらに周囲群落に次第に侵入されてこれと置換されるのが基本型と思われる。

  これらの遷移の途中においてもかなり複雑な群落型を経なければならないのであるが、その詳細ははっきり言えない。

  ただ大体の傾向を見れば、

第1期 未だ泥塊を完全に被覆し得ず、閉植生はなしているが、根面には泥面を認められる草本群落。

第2期 泥面を完全に被覆し完全な閉植生をなす草本群落。

第3期 第2期のものに灌木類の侵入のあるもの。

等に分けられる。各期に属するものでも、各湿原により、また場所によりそれぞれ異なった因子が発達している。これらのうち最も多いもの、または特異なものを挙げれば次のとおりである。

  第1期 ミヤマホタルイ、ミヤマホソコウガイゼキショウ、ヤチスゲ、ヒメワタスゲ等の莎草群落があり、さらに「コアニチドリ―トキソウ群落」、「ヤチスギラン群落」、「ホロムイソウ―ホソバノシバナ群落」、「ヒメシャクナゲ群落」等がある。

  第2期 これは最初の型が「ミネハリイ群落」、「ヒナザクラ群落」、「イワイチョウ群落」等で、次が禾本莎草を主体とした湿原となり、群落を構成する種類が最も多数ある。この中で小高い所やや乾燥したと思われる所に「ツルコケモモ群落」、「チングルマ群落」がある。

  第3期 侵入灌木の主たる種類はハイマツ、ウラジロレンゲツツジ、イヌツゲ、モンゴリナラ、ウラジロヨウラク、シロバナシャクナゲ、アカミノイヌツゲ、ミネカエデ、アオモリトドマツおよびヤチヤナギがあり、ヤチヤナギは特に特定の場所に純群落をなすのでFcで述べる事とし、他のものは“BaⅡアオモリトドマツ―モンゴリナラ型”の諸因子である。草類ではゼンテイカ、コバイケイソウ、イワノガリヤス、エゾオオバセンキュウ等の大型草本が多い。


Fc ヤチヤナギ群叢 

Myricetum japonicae

  ヤチヤナギは別名エゾヤマモモとも称され、従来Myrica gale LINNAEUS var. tomentosa C.de CANDOLLEの学名を有するものとして知られていたが、最近中井猛之進博士は「東亜植物」第166頁(1935年)においてMyrica japonica NAKAIを提唱された。

  本種はヤマモモ科Myricaceaeに属する灌木であるが、本科に属するもので本邦野生種には、本州中部以南に産するヤマモモ(シロモモを含む)と台湾に産するコウシュンヤマモモ、および本州中部以北、北海道に産する本種と合計3種を産するにすぎず、しかも他の両者はいずれも暖・熱帯系を属し、本種のみ寒帯系に属するのである。したがって、本種はヤマモモ科の北方種と解すべきである。本種は泥炭地特有の植物で北海道にはかなり広く分布しているが、本州では従来本県田名部付近(現在では土地改良のため、漸次絶滅に瀕しつつある)、および中部本州の尾瀬沼付近(武田博士による)、さらに美濃の某湿原(木村有香氏による)の3ヶ所に知られていたにすぎないが、本調査によって当地域内の田代萢付近には極めて広範囲に純群落を形成しているを知り得たのである。

  当地域に本種の産する事は、舘脇操博士が“山岳”第22年第1号第43頁に高田各地産のものを報告されたのであるが、本調査においては残念ながら高田萢で発見し得なかった。それなのに、田代萢においては田代岱に散在する各湿原に極めて豊富な本種の単純群落があるを知り得た。その植相は大体次のとおりである。

  田代萢西方の俗称「ツッコミ萢」(突込萢)においては、灌木類はほとんどヤチヤナギ一種であるが、内にウラジロレンゲツツジ、ハイイヌツゲ、エゾハンノキ、オクイボタ、チシマザクラの少量を混入している。草類ではミズゴケ類の他カワズスゲ、ゼンテイカ、ミノボロスゲ、コウゾ、ツボスミレ、ヒメシロネ、ナガボノシロワレモコウ、ミズギク、ミズギボウシ、イワノガリヤス、ヒメシダ、シロバナニガナ、ヒメイ等が多い。

  田代萢においては、湿原の周縁もしくは湿原の古い所または湿原のやや乾燥する所等に本種の単純群落が認められる。そこでは湿原に本種が発生し初めた所で、灌木類にヤチヤナギ、ハイイヌツゲの両種があり、草類ではモウセンゴケ、キンコウカ、ホソバノシバナ、ヒメシャクナゲ、ミヤマイヌノハナヒゲ、ミカヅキグサ、ミズギボウシ、ネバリノギラン、チングルマ等があり、また、ヤチヤナギ群落の時代の経過とともに他種の侵入があった所では灌木以上にエゾハンノキが優勢で、ヤチヤナギ、ウラジロレンゲツツジ、ハイイヌツゲ、チシマザクラ、オクイボタ等がある。草類ではサワギキョウ、ミズギボウシ、ゼンテイカ、ニッコウシダ、ツボスミレ、ヒメシダ、オオイワアザミ等がある。


G 水生草原

Aguiherbosa

   これは低地における水中または水辺に発達する好水性植物の群落である。本邦学者によれば、

(1)湿地草原 Humidi―herbosa 地下水は30cm以内、下根は常に地下水に浸るのみでなく少し雨が降ると根本に水が上る程度の所。

(2)挺水草原 Emersi―helbosa 常に根本が水で被われ茎は空中にある。

(3)水中草原 Submersi―herbosa 浮葉または沈水植物群落。

の3大群落に区別されているが、当地域においてはこれらに属するものは大部分前述の高層湿原に入れられているもののみである。高層湿原は前述のように極めて複雑なもので、当地域付近の低所における水生草原には湿地草原に属するものは皆無であるが、挺水草原の少量および水生草原には湿地草原および水中草原の若干が認められ、大部分十和田湖畔に限られて発達を見るのである。

  当地域における高層湿原は標高800m以上(例外として田代区は標高550m以上)に発達しており、それ以下の地域には本群落の発達があらねばならない。ただし、その大部分は本群落の発達条件となる平坦地形で水の急激に流れない様な場所がほとんどないので、本群落は十和田湖畔および田代区に若干の発達を認められているにすぎない。

  ・田代区においては、雪中行軍遭難者銅像付近“DaⅣブナ退化型”中に介在する小池沼に発達するものである。本小池沼はほとんど牛馬の給水場の様な状態をなしている。池中植物としては、浮葉植物としてイトヒルムシロ、挺水植物としてフトイ、ヘラオモダカ、ミズバショウ等がある。また、本区の駒込川女流における俗称「田代沼」における水中植物はミズスギナおよびバイカモの単純群落であり、また、街道付近における小沢にバイカモの単純群落の発達が認められる。

  ・十和田区において最も発達良好なのは奥入瀬流出部となる子ノ口橋付近におけるもので、挺水植物にガマがあり、水中植物にはエゾヒルムシロ、リュウノヒゲモ、ヒロハノエビモ、ホザキノフサモ等がある。十和田湖の周囲においては湖水自体が全方位でともに湖岸から急に深くなっているので全般的に本群落の発達は僅少であるが、場所により浅い所にもあるので、そのような浅い所を限って所々に本群落の発達が見られる。

  この例は滝ノ沢、宇樽部、御倉半島の一部等に認められる。挺水植物ではキタヨシがあり、水中植物にはフトヒルムシロ、エゾヒルムシロ、センニンモ、リュウノヒゲモ、ヒロハノエビモ、ホザキノフサモ等がある。これらはいずれも浅水中に生ずるのであるが、十和田湖中、西湖および東湖の深部湖底にはフラスコモ類一種が繁茂している場所がある。中野治房氏(「植物群落とその遷移」15頁(1930年))はこれを車軸藻群叢と呼んでおられ、十和田湖のものは最深19mの場所および本邦における本群叢の最深記録のものであるといっておられる。


3 荒原群系族

Deserta

  これは砂、礫、岩の各々またはこれらの集合体からなり、気候的またはその他の原因によって土壌または腐葉土の形成はほとんど認められず、砂、礫、岩はそれぞれ一体をなして地面を構成しているものであり、地味不良である事は言うまでもない。植物は極めて疎生し、完全な開植生であり点状群落をなすものばかりである。

  Rübel式(中野氏による)の類別によれば

1 乾荒原(砂漠) 本邦になし

2 本寒地荒原 高山の最高所にある不安定砂岩地の植生(EaⅠの一部にあたる)

3 海原荒原 海岸に近接した地において塩分のため疎生した植生(本地域になし)

4 転移荒原 地盤が移動するため植物が疎生する植生、主として海岸にあるが山地の河岸中世層もその一型である。奥入瀬区のケヤマハンノキ林がこれに近い。

5 岩質荒原 礫岩、巨岩のため地味不毛の荒原で当地域では城ヶ倉、御倉、中山両半島その他に好例が多い。

6 硫黄植物群系 硫気孔の付近に発達するもので硫化水素や亜硫酸ガスの害があり、土壌は粘土性で著しい酸性をなす。当地域にも猿倉、酸ヶ湯付近にこれに近いものはあるが特殊植物群落の著しいものが無いので省略する。

等となる。以下、主として岩質荒原について述べる。


H 岩質荒原

Petrideserta

  これは礫岩または巨岩のため地味不毛の荒原である。地面は巨岩を主体とする岩石地なので、植物はその間隙を利用して根を下し閉植生をなすものである。発生後長い年月を経れば次第に岩石の崩壊(風化)を促しXerosere(乾燥植生列)の第一段階程をなすものである。 我が国では主として高山帯に発達するのであるが、本調査において高山帯のものは便宜上“EaⅠ岩石地植生群落”に所属させたので、比較的低山地に発達する懸崖、絶壁を本荒原ととするものである。しかも、本荒原はその群落小体相互間の間隙には地衣類や蘚類、時に苔類が発生して特殊な群落を構成し、これら互いに相異する群落組織を合致させているので、高層湿原でいわれたような群叢複合体Associationshomplexをなしているのである。

  当地域における発達状況を見ると、最も著しいものでは北八甲田西腹区の城ヶ倉渓流のもの、および十和田区の御倉・中山半島両半島のものの両者を挙げ得るのであるが、この他さらに南八甲田東腹区、黄瀬川区、浅瀬石川上流区、奥入瀬区等の渓流両岸に若干発達を認められる所である。すなわち、当地域の本荒原発達は各渓流沿の両岸断崖岩石地に限って発達するもので、周囲群叢としては上部に“DaⅠブナ単純型”下部に“Dcトチ―サワグルミ―カツラ群叢”があり、近似群叢では“DaⅢブナ―ミズナラ―イタヤカエデ型”や“Cfヒメコマツ―ムツアカマツ群叢”、時に“CaⅡネズコ型”の乾燥植生列的な最初の過程をなすものと思われる。ただし、本荒原にも乾性と湿性とがあり得て、両極端の型は著しくその形態を異にしている。


Ha 水湿性岩石地群落

  これは断崖岩石地が水湿性に富み湿性岩石地植物の群落をなすもので、場所が断崖地をなす関係上瀑布付近に発達するものが多い。これは十和田湖畔の両半島には全く発達していない。その原因は、両半島にはいずれもその上部および各部にわたり湧水を見ない(地下水の分布が地上部に達していない)のによるものと思われる。主な発達地は城ヶ倉渓流であり、黄瀬区、奥入瀬区にも若干認められる。

  城ヶ倉渓流においては両岸から垂れる瀑布の周囲に良く発達しているが、また、湧水量少なくとも全面的に水湿に富む部分もある。

  これらにおける植相は灌木にヒメヤシャブシがある。草類ではタヌキラン、キンコウカ、モウセンゴケ、コアニチドリ、イワノガリヤス、オオウシノケグサがある。少量のダイモンジソウ、シロバナニガナ、ネバリノギランを混入している。これら諸因子の内で群落を支配するものの主なものは次のとおりである。

タヌキラン群落 Caricetum podpgynae

キンコウカ群落 Northecietum asiaticae

モウセンゴケ群落 Droseretum rotundifoliae

イワノガリヤス群落 Calamagrostidetum langsdorffii

  これに近いものでは黄瀬区、奥入瀬区の「タヌキラン―フタマタタヌキラン群落」、「オオバノミゾホオズキ群落」および三階滝(荒川上流)付近の「フキユキノシタ群落」等があるが、発達区はいずれも僅少である。


Hb 乾性岩石地群落

  これは断崖岩石地が水分を欠き、乾燥性に傾き、主として耐乾性植物が群落をなしたものであるからXerosereに相当する。

  本調査において本荒原に属させたものは低地断崖なので、場所によっては植生連続の様々な過程があり、侵入の初期のもの、点状から斑状群落をなすもの、および全面群落をなすもの等種々雑多である。最も著しく発達しているのは十和田湖畔の両半島であり、城ヶ倉流域その他の各区に若干□※74)の発達が認められる。

  城ヶ倉渓流においては植生連続の第1の過程はCaloplaca elegansその他の地表類である。次の過程のものはヒモカズラ、ミヤマビャクシン、アサギリソウ、イヌヨモギ、イワジャコウソウ、タカネナデシコ、ヒメノガリヤス、イワキンバイ、ホソバノイワハタザオ、ツルデンダ等多く、それぞれ群落を支配している。この状態のさらに進歩したものには灌木階のヤマツツジ、ヒメコマツ、コメツガ、タニウツギ、キツネヤナギ等の混入がある。これらはいずれも閉植生をなすまでにはなっていない。

  城ヶ倉においてもさらに進んで、ほとんど閉植生に達しようとする過程においては、灌木にヒメヤシャブシ、タニウツギ、クサボタンがあり、草類にはコカラマツ、ニガナ、ナガバオトギリ、ヤマブキショウマ、トガヒゴタイ、クルマユリ、イワデンダ等がある。

  これと同程度のものが城ヶ倉上流部、逆川岳北東部に認められるが、該所においては、灌木階はヒメヤシャブシ、タニウツギ、キツネヤナギ、チシマザサ等がある。草類では比較的大形種が多く、ヒトツバヨモギ、ムツノガリヤス、シシウド、エゾシオガマ、モミジカラマツ、アラゲキスミレ、クロバナヒキオコシ、クルマバヒヨドリ、ツリガネニンジン、オニシモツケ、エゾニュウ、ゴマナ等がある。

  城ヶ倉付近ではこれらより湿潤に傾いた型はほとんど見られない。さらに水湿に富んだものが前記“Ha水湿型”である。

  これらよりさらに湿潤に傾いた型は黄瀬川下流部に良く発達しているが、該所においては、灌木はタニウツギ、ゴトウヅルおよびカツラの稚樹が多い。草類では大形なエゾオオバセンキュウ、ケナシオニシモツケ、ゼンマイ、ミヤマイタチシダ、トリアシショウマ、アマニュウ、クジャクシダ、イタチシダ、イワノガリヤス等があり、ほとんど大形多巡草となっている。小形の草類ではフクロシダ、エゾイワデンダ、イヌシダ、ダイモンジソウ、ヒメカンスゲ等の岩石地植物が多い。すなわち、灌木にカツラの稚樹があり、草類には大形多巡草のある事は“Deトチ―サワグルミ―カツラ群叢”の最初の第1過程を意味するものと思われる。

  十和田湖畔において、断崖岩石地が直接湖畔に面している場所は御倉・中山両半島特に中湖に面する部分にほとんど限られている。

  湖畔岩石地においても輝石安山岩からなる巨岩性のものが大部分であるが、他に火山噴出物の堆積、すなわち、火山屑、火山礫が堆積した俗称「錦石」のものとは生育する植物にも大きな差異がある。後者においてはミヤマハタザオ、メドハギ、ムラサキベンケイ、エゾカワラナデシコ等が主なものである。火山礫の崩壊によって転移荒原的な性質を現している。前者、すなわち、輝石安山岩の巨岩よりなる部分はいずれも極めて安定した基岩なので植物はその亀裂に根を下して生育している。この植生は、灌木にヤマツツジ、リョウブ、タニウツギ、ヒロハハナヒリノキ、コメツツジ、キツネヤナギ、ホツツジ、ヒメコマツ、ムツアカマツ等がある。草類ではニオイシダ、マルバキンレイカ、オサシダ、ヤマハハコ、ヤナギラン、エゾタンポポ、イワキンバイ、イヌヨモギ、ヒメノガリヤス、エゾイワデンダ、イヌシダ等がある。さらに、水縁に近くダイモンジソウ、ヤマブキショウマ、ナガバオトギリ、チャボミツデウラボシ、ウメバチソウ、ヤナギタンポポ等が多い。すなわち、これらによっても明らかなとおり因子各種はほとんど乾燥に堪える種類のみであり、しかも、灌木は“Cfヒメコマツ―ムツアカマツ群叢”および“DaⅢブナ―ミズナラ―イタヤカエデ型”の因子と共通のものが多いので、本群落はこれらの群落に近似のものである事は明らかである。ただ、草類因子にいっそう耐乾性に富んだ種類を含む事から、原始な型である事が明らかに想像される。十和田湖畔において直接に湖畔断崖岩石地に接しているものは、これら御倉・中山両半島の他にただ1ヶ所、西北岸十和田鉱山―滝ノ沢間の一部に僅少の発達が認められる。該所においては基岩は火山の噴火物、すなわち、火山屑、火山礫、火山岩の堆積であるがやや安定しているものの様である。灌木ではタニウツギ、アイズシモツケ、マルバアオダモ、ヤマツツジ、ミヤマザクラ等がある。草類ではイワキンバイ、イヌヨモギ、エゾカワラナデシコ、イワデンダ、ヒメノガリヤス、ムラサキベンケイ、キリンソウ、ダイモンジソウ、マルバキンレイカ等がある。なお、該所の中で、石灰分の滲出[しんしゅつ]した場所に若干のコガネシダが認められた事は注意を要する事である。

  以上、各群系、群叢および群落型について述べたが、これらそれぞれの群落単位が当地域においていかなる面積関係に置かれているかを見るならば「植生調査簿」に明らかなとおりであるが、その概要を概活的に表示すれば次の表14のとおりである(赤書は秋田営林局管内分)


表14 群落単位の面積

(以上、群落占有面積および秋田営林局管内面積はいずれもプラニメーター計算により算出し、他の数値は当局計画課風景計画係の調査結果によるものである)

  以上、数字の右側に―線をつけるは群系の占有面積にして該群系に属する群叢占有面積の合計数値である。したがって、この数値の内訳が左側に配列されている訳である。また、数字の右側に―線の付してあるものは各群叢に属する群落型の占有面積なので、該群叢に属する各群落型占有面積の合計は該群叢占有面積と一致するものである。


第7章 垂直分布

  垂直分布とは標高差による生物界の変化を指すものである事は言うまでもない。これには高山の場合と海底の場合とがあり、本調査では陸生植物による高山の変化のみを考えるものである。

  「植物帯が海抜高距とともに変化する事はあたかも緯度の変化におけると同様である」という事実が発見されたのは18世紀になってからで、最初フランスのトルネフォー※75)氏が小アジアアララット山(5,160m)でこの事実を知り、次いでスイスやイギリスの諸学者がそれぞれこれを立証して定説となったのである。

  我が国におけるこの事実の研究は明治時代以後に始まり、次第に進歩発達して来たのであるが、最近におけるこの研究分野の発達は極めて顕著なるもので種々論議をされている所である。垂直ならびに水平的分布がいかなる原因によって生じたかを論ずるにあたり、環境因子の中で気温が最も重大な役割を演ずる事は周知の事であるが、竹中氏はその著「日本高山植物概論」25頁において次のような表15を掲示しておられた。


表15 本邦高山と北部低地における環境

  表15によって見れば、気象学的諸因子の中で両地共通なものは平均気温のみである事が知られるので、夏季植物の生育旺盛な時期の平均気温によって植物の水平並みに垂直的な分布が生ずるのである、といっておられる。すなわち、垂直的に高山を下部から上部に向かって上昇する事は水平的に南方から北方に(北半球における場合、南半球はこの逆)進む事と一致するもので、いずれにおいても気温の漸減が認められる。気温の減少には水平的と垂直的な場合で差異を生ずるが、いずれにおいてもそれぞれある一定の比率があり、これを気温逓減率と称している。竹中氏前同書(85頁)においては、本邦においては垂直的に100m上下する事により0.55度(C)の差を生じ、水平的に緯度1度南北する毎に0.52度(C)の差を生じ、これが本邦夏季におけるそれぞれの逓減率であるといわれた。また、小泉源一氏は植物学雑誌第28巻(15頁)(1914年)において、垂直分布の逓減率を100mにつき春期は0.5度C、夏期は0.55度C、秋期は0.45度C、冬期は0.4度Cとしておられる。本調査において、逓減率を決定するにあたり、前記「気候」の部で述べた諸結果を基準として次のとおり算定した。

  すなわち、まず海抜高900mの酸ヶ湯における昭和11年度の数値を基準として、今年度における休屋、小沢口、黒石、青森の諸結果を対照し、その気温差を前記小泉氏の四季に対する逓減率による両者の気温差と対照すれば表16のとおりである。


表16 酸ヶ湯を基準とした各地点の気温および逓減率

  ただし、表16の中で小沢口(標高100m)、黒石(標高409m)においては、青森(標高3.6m)に比較して大部分の諸因子に対して逆転している。すなわち、正常な場合は海面から次第に上昇するに従いだんだん逓減するはずであるが特殊な場合は反対の現象がみられる事があるというのである。以下この逆転数値をも参考として使用せざるを得なかったので、算出した数値には若干の差異ある事をまぬがれない。

  この結果を概見すれば、酸ヶ湯を基準とし、小泉氏の逓減率による数値との差は青森、休屋※76)、黒石、小沢口の順に差を大ならしめている。すなわち、酸ヶ湯の位置が東津軽郡に属し青森市と同一流域にあるので、酸ヶ湯と青森とは逓減率により近似値を見出せる事となる。他は流域を異にするので、ひいて差を大きくしている。ただし、この結果中で小泉氏の逓減率と現実において特に著しい差異のあるのは秋季間であり各所ともに他に比較して著しい差のある事が明らかなので、これはひいて逓減率の変更を要する事となるのである。今仮に近似数0.6を使用してみると、0.45の場合に比較して著しく現実に接近して来る。さらに最も現実に接近した数字を求めれば次表17のようになる。


表17 逓減率の近似値0.6を使用した気温差

  したがって、当地域秋季における最適の逓減率は0.8となるのであるが、これはただ1ヶ年間のみの結果で、しかも他の季節とあまり著しい差となるので、かえって誤差の生ずるを恐れ逓減率を次表18のようにしようとするのである。


表18 八甲田山の逓減率

  各標高による気温を算定するには、その場所の傾斜方向や流域関係を明らかにしてその場所に近い測定個所の数値により換算するのが穏当であるが、本調査においては便宜上各所ともに共通な平均値を算出する事とした。その算出法は、まず各個所の気温を前提の逓減率により海面高に換算すべきで、その結果は次表19のとおりである。


表19 海面高で換算した気温

  ただし、最高平均気温および最低平均気温は前述のように算出したが、その逓減率は基準となるべき酸ヶ湯のものが不明であったので、便宜上各季節の平均気温の逓減率を行ったので、正確を欠く点があるかも知れない。

  この換算結果、特に平均気温においては青森と休屋、小沢口と黒石とがそれぞれ極めて類似している事が知られる。その原因は、前両者はともに水辺に近く位置して水蒸気による気温の緩和があり、海岸性気候と称されるものであるに対して、後両者はともに水辺に遠く寒暖の差が著しいので、大陸性気候をなしているのに基因するものであると思われる。次に、この海面高に換算した各地の平均気温の平均値を基準として、前記当地域の逓減率を用いて各標高における逓減率状態を示せば次表20のとおりである。これは、当地域内各地を通じた平均値であらねばならない。


表20 海面高で換算した気温

  ただし、いわゆる北八甲田連峰の各地はいずれも青森市とほぼ同一流域内にあると思われるので、該区の気温は青森を基準として前記逓減率を用い、前同様の結果を求むる事にもまた有意義であらねばならない。すなわち次表21のとおりである。


表21 海面高で換算した気温

  翻って現実における垂直分布を調査した結果、当地域の各群系および各群叢を通じ最も代表的と思われる種類を選定して、これらの「生育高距グラフ」を作ったのであるが、それは次図25のとおりである。

図25の中で実線は出現度の多き高距を示し、点線はその少なきを示した。

図25 生育地垂直分布表


  これらの表によって、現実の垂直分布状態は大体推知し得られるものと思われる。森林限界(Forest limit)の決定にあたっては、堀川芳雄博士はThe vegetation of Mt. Hakkoda p.567 (1930)においてアオモリトドマツによる事を提唱された。現実においては、アオモリトドマツは当地域の高所付近に普遍的に分布する重要要素であるばかりでなく、表18によっても明らかなとおり、低所標高550m付近から最高1,500m付近に達しているのである。

  全ての樹種は標高が高まるに従い樹高を小にする事は言うまでもないから、アオモリトドマツもその例に異わず標高900mで20-19mの樹高を有し、上部限界は標高1,500mにおいては樹高2mくらいであり、しかもその生育量も次第に稀薄となっている。森林樹木とは一般に8m以上の樹高を有するものとされているから、アオモリトドマツが8mの樹高を有する点、標高1,400m以下はその生育量も多くかつ普遍的なので、この1,400mの標高を以て森林限界線とするのは現実における最も穏当な見解と思われる。ただし、気候上から見た本来の状態、すなわち、法正状態におけるものは、針葉樹帯(アオモリトドマツ帯)は年平均気温6.5―2.9度間(小泉氏、前同55頁)にあるとされている事から考えて、当地域の最高所における年平均気温は2.9度に達していず、青森を基準とした逓減換算結果が3.0以上であり、各地平均を基準とした逓減換算結果が3.8以上となっている。ただし、当地域の最高所酸ヶ湯大岳は青森と同一流域に属するものなので、その頂上付近の年平均は青森を基準とした3.0度以上という数値が近似数と見てまず不可ないものと考える。この点から推察すれば、八甲田山の最高所においてさえ厳密な意味の灌木帯とはいえず、針葉喬木帯の最上層近くに位置するものであるとせねばならない。換言すれば、局部的の気象をも考えて最高所付近において辛うじて灌木帯にほんの少し頭を出しているともいえない事はない所である。ただし、現実林においては標高1,400mを以て森林限界としているが、この標高は青森を基準とした逓減換算結果において4.0度の年平均気温を有しており、アオモリトドマツ個体としての上昇限界線は標高1,500mに達しており、同上換算結果は3.5度の年平均気温を有している事になる。また、針葉喬木帯(アオモリトドマツ帯)の下部限界は、堀川氏によれば(566頁)800mの線をあげておられるが、現実林は900m線とした方が穏当な様に思われる。小泉氏は年平均気温6.5度とされたが、この平均気温は青森を基準とした逓減換算結果は900mであり、各地平均を基準としたものは1,050m付近となっている。前者の結果と現実林とは一致した900m線をなしているので、この線を下部限界と考えたい。ただし、アオモリトドマツは個体的に著しく下降して550m付近におよぶものがあるが、その標高の青森基準逓減換算結果は年平均気温8.7度くらいである。さらに、落葉広葉樹帯(夏緑喬木帯)について見るに年平均気温13.0-6.5であり、ブナによって代表される事になっている。当地域においては最低部も大体標高200mであり、年平均気温は13.0度に達していないので最低部から落葉広葉樹帯である事は言うまでもない。また、高所は6.5度線、すなわち、前記の様に900m線において上部のアオモリトドマツ林に接しているのであるが、ただし、当地域におけるブナの群落は遥かに高所に達しており1,100mまで達している。この線の青森基準換算結果は5.5度であり、さらに個体的には1,200m前同5.0度にさえ達している。当地域における針葉樹帯と落葉広葉樹帯とを比較して見ると、両者の接触点付近において若干の重複点が認められる。すなわち、針葉樹帯は6.5度の900mまで下降し、落葉広葉樹帯は5.5度の1,100mまで上昇し、この間1.0度、200mの一帯は丁度この両帯の中間混交帯をなし、推移帯を意味するものである。

  これらの関係を具体的に示せば次の表22のとおりである。


表22 標高と樹林帯の関係

  なお、森林施業上において森林垂直分布が必要欠くべらかざるは言うまでもないが、利用林限界を決定する事もまた有意義といわねばならない。利用林限界決定にあたっては、山型、気象および経済上の方面から考えて森林普通施業地として充分伐採利用し、しかもなお、充分更新し得る範囲を決定しなければならぬのであるが、当地域においては針葉樹としてアオモリトドマツ林が現在末利用林に属しているので、ブナ林の上昇限界を追求しその利用範囲を決定すべきである。すなわち、上記の事実により標高1,000mを以て利用林限界となすのが穏当であろう。この限界は丁度前記中間帯の中央に位置している。参考のため当地域に近い地方、すなわち、本州北部および北海道の森林限界および利用林限界を図示すれば北海道は次図26および次表23のとおりである(林常夫氏「林木風衝生態その他」1933年より)。本州北部は未だ管内全般の調査未了なので、概調査分を表示すれば別図27および別表24のとおりである。

図26 北海道森林の垂直的限界の海抜高図


表23 北海道森林の垂直的限界の海抜高表

図27 本州北部森林の垂直的限界の海抜高図


表24 本州北部森林の垂直的限界の海抜高表

  本州北部における各高山の地勢を略記すれば、

1 宮城県地方→高山と称されるものは脊梁山脈※77)以外に認められない。いずれも輝石安山岩よりなる火山群で、蔵王山は最も新しく荒廃の状も最も著しい。南から不忘山、蔵王山と近くにあり、中央には船形山があり、北端に栗駒山がある。

2 岩手県→脊梁山脈のみならず北上山系もある。調査不完全なので、南端の栗駒山と岩手山※78)を脊梁山脈からとり、北上山系からは早池峰をとる。岩手山は新しい噴火で荒廃しており、早池峰は安定し著しい対象をなしている。

3 青森県→高山は八甲田と岩木山くらいのものである。それに宮城県から北上して例を取ったのでその延長上であり、また、北海道との関係上下北半島は釜臥山を例とした。

  これら北海道と本州北部の例から林氏がいわれた種々の条項が明らかとなるが、それ等は当地域とは全く関係ない様に思われるから省略するけれども、当地域における現実林が南・北方面の他地方のものと比較し、さらに海岸と内陸関係とからそこに著しい関係のある事が首肯[しゅこう]できる様に思われる。

  すなわち、前述のように現実林における垂直分布と計算上からのそれとを比較して見れば、針葉喬木帯(アオモリトドマツ林)の下部限界において両者の完全な一致を見ているので、900mの標高線は極めて安定したものと思われる。また、針葉喬木帯の上昇限界、すなわち、灌木帯の下部限界においては現実と計算上との数値に極めて著しい差異のある事が否定できないので、この関係を求明するにあたっては東北地方および北海道における高山の垂直分布を参照し、かつ、八甲田山の火山活動の時期から来る植生連続上の考を合すべきで、その結果、現実林の将来は、現在より針葉喬木帯の上昇限界(灌木帯の下部限界)が上昇すべきものである事を推察し得る所である。


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※1) オコック要素(Okhotsukelements):オホーツク要素

※2) 徳兵エ平:現在の徳兵衛平

※3) 膳棚山:御鼻部山(おはなべやま)の別名

※4) 省営バス:後の国鉄(現在のJR)バス

※5) 表1の総計は面積の合計と一致しないが原文のとおりに記した

※6) 参謀本部:陸軍参謀本部 

※7) 重沼:現在の菅沼に該当すると思われる

※8) 悪水:原本の表題には「亜水」と記されるが、修正跡に基づき悪水と標記した

※9) 神津俶祐[こうずしゅくすけ]:岩石学者・鉱物学者・地球科学者であり、東北大学名誉教授

※10) 気温:氷点下は100から減数して表示され(例 マイナス5度=95度)、冬季月には赤い三角印が付記されている

※11) 月別累年平均値:数年間での各月の平均気温を示しているようだ 

※12) 平均数:平均値と同義と思われるが、原文のまま標記した

※13) 刀自[とじ]:中年以上の婦人を尊敬して呼ぶ語

※14) 検定:植物の類別にあたり、当時は「同定」ではなく「検定」という用語を使っていた

※15) 嚆矢[こうし]:物事のはじまりのこと

※16) 裨益[ひえき]:助けや補いとなること

※17) Sci. Rep. Tohoku Imp. univ : Science Reports of the Tohoku Imperial University.

※18) Contr. Hakkoda Bot. : Mount Hakkoda Botanical Laboratory,Tohoku University.

※19) 群叢、群落:本調査書の「群叢」は現代日本で植生調査の主流になっているBraun-Blanquet方式(Braun-Blanquet 1928)における「群集」と概ね同義であり、「群落」は森林群叢にまとめる必要の無い草本中心の植生を扱っていると推測される

※20) 諸因子:それぞれの群叢を構成する植物を「因子」と呼んでいる

※21) 極盛相:現代の「極相」

※22) 恒存度:現代の「常在度」とほぼ同義

※23) 植生連続:現代では水分や土壌条件に応じた植生分布の空間的な変化(vegetational continum)を示すが、本書では「植生遷移(plant succession)」、すなわち植生の時間的な変化を示す

※24) 蚕食[さんしょく]:蚕(かいこ)が桑の葉を食うように他の領域をだんだんと侵していくこと

※25) 郷土:「生育地」という意味

※26) 著しい好例:「典型的な」という意味

※27) Coryletum brevirostriae:Coryletum brevirostrisの間違いのようだが原本のまま記載した

※28) 各高山灌木帯に✓する:✓部分は判読不能だが、「分布」と思われる

※29) 駒ヶ峯北側の東向斜面1000m:原本では100mとあるが、対応する植生分布図に基づき1000mに修正した 

※30) 石南科:ツツジ科ツツジ属シャクナゲ亜属、本書では石楠科とも標記される

※31) 遊離有機配:有機金属化合物の一種

※32) 背日生長:背日性、すなわち光刺激の反対方向に成長すること

※33) 葉脚:葉身の基部

※34) 進化:本書では「evolution」ではなく「遷移の進行」を意味しており、「退化」は退行遷移を示す

※35) 各種に下線:原本では、該当種の右側に赤縦線で印がつけられている

※36) ミズナラ、ブナ:原本では「ミズナラブナ、ミズナラ」とあり、ミズナラとモンゴリナラを区別して記載していたかもしれない

※37) 纒続[てんぞく]:まとわりつく

※38) 所生:自生する

※39) 湯華:温泉水中に生じた沈殿物

※40) ヒドロセレ:湿潤植生列(Hydrocere)

※41) 泰斗[たいと]:大家のこと

※42) ササ類の樹冠:ササ類を材木として扱い、その葉群層を「樹冠」と表現している

※43) 饒多:沢山ある様子

※44) 樹叢を抽出:葉層を抜けてという意味

※45) 郷土:生育地のこと

※46) 彼我[ひが]の距離:ここから先方までの距離

※47) 主要因子:主要構成種という意味で使用している

※48) 円楕円形:卵状楕円形と思われる

※49) 赤石村:1955年に現在の鰺ヶ沢町に合併

※50) 山子[やまこ、やまご]:木こり等、山で働く人 

※51) 津根川森:青森県平川市切明津根川森周辺に該当する

※52) 目屋:弘前市から西目屋村の周辺に該当すると思われる

※53) 雲谷峠[もやとうげ]:青森市にある山の名称

※54) 後志国[しりべしのくに]:戊辰戦争終結直後に制定された地方区分のひとつで、北海道の旧支庁(小樽市等の20町村を合わせた後志支庁)に引き継がれた

※55) 破壊後継樹の特殊性:草木植物の被食後に木本の後継樹が更新している様子を意味していると思われる

※56) 津根川森山:※54)の津根川森に該当すると思われる

※57) 多巡草:多年草

※58) 青撫:青撫山に該当する

※59) 退化型:退行遷移している植生型を意味している

※60) 外界刺激:自然かく乱のことを意図している

※61) 沈木:比重高いことを示すか?意味不明 

※62) やや進化した型:遷移がやや進行した植生型

※63) 閉植生に達していない:林冠閉鎖していない

※64) トックリハシバミ型:前記述の「ツノハシバミ型」と同義 

※65) ホキバ岱:箒場岱(ほうきばたい)に該当すると思われる

※66) 青橅[あおぶな]:原本では「北東湖畔青椈付近」とあり「青橅山」とみなした

※67) クセロセレ:乾性植生列(Xerosere)

※68) 禾本[かほん]:イネ科植物

※69) 莎草[しゃそう、ささめ]:カヤツリグサ科植物

※70) 雪渓草原:雪田草原のことと思われる

※71) ホーキバ:現在のホーキバ平と思われる

※72) 突込萢:突込沢(突込沢林道)とも呼ばれる

※73) 千人田:仙人田と同義で、現代の仙人岱に該当すると思われる

※74) 若干□:文字の判読が困難のため□で記述した

※75) トルネフォー:トゥルヌフォール(Joseph Pitton de Tournefort)と思われる

※76) 休屋:原文では「林屋」と記されているが「休屋」の誤記と思われる

※77) 脊梁山脈:奥羽脊梁山脈(奥羽山脈)のこと

※78) 岩手山:最新の噴火は1919年(大正8年)の水蒸気爆発

※79) "山林" 第560号 p88:判読困難だったが88頁と思われる

※80) 日本植物帯論:1900年(明治33年)発表

※81) Conifers and Taxads of Japan : Ernest Henry Wilson, The Conifers And Taxads Of Japan,Publications, No. 8, Harvard University Arnold Arboretum,1916

※82) The vegetation of Mt.Fuji : B.Hayata,The vegetation of Mt. Fuji, with a complete list of plants found on the mountain and a botanical map showing their distribution,丸善株式会社,1911